[特集インタビュー]
競走馬を愛し、夢を託したすべての人たちの物語
北海道、日高地方。小さな牧場に生まれたカムナビは、気性難だが速かった伝説の馬、ステイゴールドの血を引いていた。牧場の主がカムナビに託した夢は、パリで開かれる凱旋門賞の制覇。その夢が伝染するかのように、馬主、調教師、
馳星周さんの最新刊は、実在する大レース「凱旋門賞」をめざす人と馬との物語。競馬のイメージを一新する熱気あふれる感動作はどのように書かれたのか。お話をうかがいました。
聞き手・構成=タカザワケンジ/撮影=露木聡子
小さな生産者が見る凱旋門賞の夢
――『フェスタ』はカムナビが子馬の頃から始まります。どのような構想をお持ちだったのでしょうか。
パリで開かれる凱旋門賞というレースがあって、それを制することが日本競馬界の悲願なんです。過去に日本調教馬が二着になったことが四回あるんですが、四回のうちの三回がステイゴールドという馬の
―― ステイゴールドはすごい馬ですが、人間の言うことをなかなか聞かない暴れ馬として有名でしたね。『黄金旅程』のエゴンウレアのモデルとなった馬でもあります。馳さんご自身がステイゴールドに思い入れがあるんですよね。
ありますね。有り余る能力はあるはずなのに、気性の問題でそれがなかなか大成しない。そういう馬を応援したくなるんです。
日本の競馬は日本ダービーを中心に回っていて、府中競馬場の芝二千四百メートルで勝てる馬をつくろうとみんな必死になっています。でも、そうやってつくられた子たちはつまらないんですよ。強いことは強いんだけど、芝の良馬場で速いという馬ばかり。そういう馬を凱旋門賞に送り出すと、ことごとく敗退してしまうんです。要するに馬場と合わないんですよ。日本の競馬場と違って、重い馬場、つまりスピードが出づらくパワーも必要な馬場なんです。しかも雨が降ることが多い。
―― 凱旋門賞では、日本で勝っているエリートの馬が勝てない。もしかするとノン・エリートの馬が勝つかもしれない。夢がありますね。
逆に言えば、そういう馬は日本の競馬ではエリートたちに勝てないんですよ。『フェスタ』に出てくる日高の小さな牧場から出てくるような馬は、日本国内ではなかなか勝てない。ダービーで勝つような馬の種付け料は高いので、小さな牧場には手が出ないんです。一千万、二千万しますから。
しかもサラブレッドは種馬の能力だけではなく、お母さんの能力もすごく重要。大手の牧場は競馬で儲かったお金を使って、海外からいい
競走馬に関わる人々の群像劇
――『フェスタ』にはカムナビに関わる人たちが次々に現れて、それぞれの思いがだんだん積み重なり、物語が盛り上がっていきます。
群像劇にしようというのは最初から思っていました。ジョッキーだけとか生産者だけとかではなく、カムナビに関わるすべての人たちの物語を書きたいと思っていました。
――『黄金旅程』では、装蹄師という仕事にスポットを当てましたが、『フェスタ』でも一頭のサラブレッドにこれだけたくさんの人たちが関わるのかと。しかもカムナビに関わることでそれぞれの人生が動いていきます。
実際に一頭のサラブレッドには本当に多くの人の手がかかっています。人間はサラブレッドがいないと競馬ができませんが、サラブレッドも人間がいないと生きていけません。サラブレッドは人間が従来の馬に手を加え、誕生させた生き物なので、野生で生きていくということはあり得ない。競馬には外から見ていただけではわからない、いろいろな面があるということを書きたかったというのはありますね。
―― 馳さんが出会った競馬関係者や、牧場の関係者の人たちの言葉もヒントになったりしているんですか。
それはとくにはないですね。競馬関係者の知り合いは何人かいますが、ばか話しかしません(笑)。
―― 凱旋門賞の現地取材はされたんですか。
していないですね。去年はステイゴールド一族のスルーセブンシーズが行ったので応援しに行きたかったんですが、今、一緒に暮らしている愛犬がおじいさんになっちゃって、どこかに預けるわけにいかないんです。今は犬優先の生活を送っているので、長期の取材は難しいですね(取材は一月下旬)。
―― 想像力だけでお書きになっているのはすごいですね。
今はネットで調べればいろんなことがわかりますし、登場人物たちの考えや生い立ちはほとんど想像です。人間のやることですから、そんなに外れてはいないと思っています。
―― たしかに読んでいて、競馬に詳しくない人でも、自分の人生とか身の回りの出来事と重ねて読めると思います。仕事とか、夢とか、普遍的なことをお書きになられています。
そうですね。仕事に熱意を持つ人がいるのと同じように、馬に熱意を持つ人がいるというだけの話だとは思います。
―― カムナビをナカヤマフェスタの子供ということにしたのはなぜでしょう。『フェスタ』というタイトルが最終的に本を閉じた時にぴったりだなと思ったんですが。
自分がステイゴールドの大ファンなので、まず、ステイゴールド一族が日本初の凱旋門賞の勝ち馬になってほしいという思いが一つ。もう一つは、同じステイゴールドの子供でもオルフェーヴルは種付け料が高いので、弱小の小さな生産牧場の出せる金額ではない。でも、ナカヤマフェスタは種付け料が安いんですよ。だからナカヤマフェスタだなと。
―― リアルに考えた時にナカヤマフェスタの子だったんですね。
オルフェーヴルというのはモンスターなんです。日本ダービーを含めたクラシック三冠を制したうえに、凱旋門賞でもほぼ勝ちに等しい二着。日本のパンパン(水分が少なく乾燥した状態)の良馬場でも、フランスの泥んこ馬場でも強いという
ナカヤマフェスタはオルフェーヴルほどは日本で活躍していません。日本で勝ったGⅠ(競馬の国際的な格付けでもっとも上位のレース)は宝塚記念という、ちょっと体力の要るスタミナ寄りのレースだったりするので、そういう馬の産駒が向こうで強いのは現実的にもあり得るなという感じですね。
―― ステイゴールド一族は走る才能はあっても、人間の思い通りに走ってくれない。レースのたびに能力を発揮するのかしないのかハラハラしました。物語としても、勝ち過ぎても駄目だし負け過ぎても駄目ですよね。どのレースに勝たせようか、ということを考えるのも大変だったのでは?
おっしゃるように勝ちまくるのもおかしいし、どこで勝つのか、どこで負けるのかは苦心して考えました。とくに難しかったのはGⅠ。ある程度の獲得賞金がないと凱旋門賞にエントリーできないので、どこかで一回はGⅠで勝たせないといけないんですよ。ここなら勝てるんじゃないかというレースを選んでいます。
―― 馳さんの競馬研究の成果が生かされているんですね。『黄金旅程』のお話をうかがった時には毎週末、競馬の中継をご覧になっているとおっしゃっていましたね。
今も見てます。競馬ファンですからね。
お金をかけても勝てるとは限らない
―― カムナビに関わる人々は、日高の小さい牧場から始まり、良血馬がなかなか入ってこない廐舎、技術はあるが勝ち鞍にいまひとつ恵まれないジョッキーといった人たち。彼らがカムナビと出会うことで変わるチャンスを得ます。そういう夢を描ける世界なんですね。
夢がないとやっていけない世界でもあるんですよ。例えば馬主さんの中には、一頭の馬を三億、四億出して買う大金持ちがいますが、そういう人たちでも馬で儲けようとはこれっぽっちも思っていないんですよね。みんな夢を買っていると言うんです。
どんな夢かというと、ダービー馬のオーナーになること。でも五億円出して買った馬がダービー馬になる確証はどこにもない。デビューする前に怪我をして死んでしまうことだってありますし、デビューしたけれど全然走らないということもある。
――『フェスタ』を読んでいて、印象に残ったのは「馬はわからない」という言葉です。
馬の血統や、体格や走る姿を見て、この馬は走りそうだと競りで買うんですけど、実際に走るのはほんの一握り。GⅠまで勝つ馬なんていうのは神様ですよ。逆に競りで五百万ぐらいだった馬がGⅠを勝っちゃったりもしますしね。
―― 何が起きるかわからない。小説の舞台としてすごく面白い世界なんですね。
そうですね。言ってしまえば何でもあり。ただ基本は無視はできないです。やっぱり血統とかいろいろな要素があるので、それを無視すると成り立たなくなる。
――『フェスタ』はその辺りの描写もすごく緻密ですよね。私は競馬についての知識がほとんどないのですが、つまずくことなく読めました。
競馬を知らない人が読んでもわかるようにというのは常に気をつけて書いています。
――『フェスタ』を読んで驚いたのは、日本の競馬と海外の競馬では大きな違いがあるんだなということです。
お国柄が出るんですよね。アメリカなんか、アメリカ人の気質を反映して、レース開始と同時にダーッと全速力で走って、最後まで粘れるか、みたいな競馬だし、ヨーロッパは、ゆっくりゆっくり行って、最後の直線でバーッと走る。日本はその折衷みたいな感じですね。
―― だからこそ勝てる馬のタイプも違う。
そうです。日本のダービーで強い馬が凱旋門賞に行っても勝てないし、逆に向こうの馬が日本に来ても勝てないんですよ。
―― 世界的に競馬が広まって、それぞれの競馬文化をつくっているというのは面白いですよね。
本当に文化ですね。ヨーロッパの大きなレースは観客が競馬場に着飾って集まりますから。オーストラリアにはメルボルンカップという大きなレースがあって国民的行事になっています。メルボルンカップで日本の馬が勝ったことがあるんですが、その時に乗っていた岩田
―― 欧米ではジョッキーの社会的な地位も高そうです。
そうだと思います。イギリスでは名騎手や名調教師が騎士(ナイト)の称号をもらっています。亡くなってしまいましたが、エリザベス女王(二世)が大の競馬ファンで、自分のサラブレッドをレースに出したりしていました。
ステイゴールドが降りてきた
――『黄金旅程』は犯罪が絡んできてサスペンス要素もありましたが、今回はストレートに競走馬をめぐる胸アツな物語になっています。悪いやつを出してやろうとかは思わなかったですか。
今回は思わなかったですね。登場人物のほとんどがホースマンじゃないですか。馬と関わると、心根の悪い人たちは淘汰されていっちゃうんですよ。馬に対する愛がない人たちはどこか途中でいなくなってしまう。馬への愛がないとやっていけない職業だと思います。
――『フェスタ』の中でもカムナビを担当するベテランの廐務員の小田島がいいんですよね。馬のそばにいたいという気持ちが伝わってきて。カムナビのせいで入院するはめになったりもしますが。
馬が好きな人じゃないとできない仕事だと思います。冬でも夏でも毎朝早くから起きて、馬の世話をして。生き物相手だから長い休みなんてめったにとれないですしね。
―― この作品を読んで競馬に対するイメージが変わる読者が多いと思います。愛と夢がキーワードの競馬小説だなと。
競馬はギャンブルとしての側面もあるのできれいごとだけではないんですが、ほかのギャンブルと違って、純粋に馬が好きで競馬を見に行くファンもたくさんいるんですよ。とくに最近は『ウマ娘 プリティーダービー』から入ってきた「ウマ女」という女性ファンもいて、すごく熱心ですよ。
――『フェスタ』はそういう方たちにもぜひ読んでほしいですね。ネタバレしないようにお聞きしたいのですが、物語のクライマックスとなる凱旋門賞の場面をお書きになった時はどうでしたか。
最後の最後までカムナビを凱旋門賞に勝たせようかどうしようか悩みながら書いていました。その時にステイゴールドが降りてきたんです。俺の血が入ってるんだぞ、と。それであのシーンとあの結果になりました。
―― 鳥肌が立ちました。それこそ神がかっている場面で、読んでいて本当にドキドキしましたね。『黄金旅程』『フェスタ』、その間に『ロスト・イン・ザ・ターフ』(文藝春秋)もお出しになり、競馬の世界を描いた作品が続いています。競馬にまつわる物語はこれからもお書きになりますよね。
ええ。本当に競馬は物語の宝庫なんですよ。これからも書いていきたいですね。
馳 星周
はせ・せいしゅう●作家。
1965年北海道生まれ。横浜市立大学卒業。96年『不夜城』(吉川英治文学新人賞)でデビュー。著書に『鎮魂歌 不夜城Ⅱ』(日本推理作家協会賞)『少年と犬』(直木賞)『約束の地で』『雪炎』『神奈備』『パーフェクトワールド(上・下)』『雨降る森の犬』『黄金旅程』『ロスト・イン・ザ・ターフ』等多数。