[本を読む]
頭より先に、身体に浸み込んでくる言葉
行間から鈴木さんの肉声が聴こえてくるようで、胸が熱くなってきた。鈴木さんとは対談本を二冊出した。私の道場である凱風館に来てもらって一緒に合気道の稽古をしたこともある。鈴木さんは講道館柔道三段である。武道に対する敬意とあふれるような好奇心が印象的だった。札幌の時計台での対談にも呼ばれた。一緒に酌み交わしたことは数えきれない。だから、この本の鈴木さんの文章を読むとまるで耳元で鈴木さんが話しているのを聴いているように感じる。
鈴木さんの思想を論じる人は多いが、鈴木さんの文章について語る人はあまりいない。鈴木さんは独特の「文体」を持っていた。「スタイル」と言ってもいいし、「ヴォイス」と言ってもいい。それは身体実感の裏付けの確かな言葉しか語らないという自制のことである。護憲派の媒体に寄稿するにあたって鈴木さんはこう書いた。
「何を考えているかわからない。何をしでかすかわからない。自分でも自分の心が読めない。自分でも持て余している。そんな僕でもいいのだろうか。『いいですよ』と『マガジン9条(『マガジン9』に改称―― 引用者)』は言う。日本一自由で開かれた場所だ。よし、挑戦してみよう。ここで書くことで、さらに強固な改憲派になるか、護憲派に転向するか。あるいは憲法なんかいらないという『超憲派』になるか。自分の成長、変化が楽しみだ。励ましなんかいらない。どうせ友達なんかいないんだし。愛も連帯も支援もいらない。批判・罵倒だけでいい。」(19頁)
すごい文章だ。こんな文章を書ける人は後にも先にも鈴木邦男しかいないと思う。最後の切れ味のよい
鈴木さんは音読に堪える文章を書いた。「音読に堪える」というのは、読み手が頭で理解するより先に、身体に浸み込み、身体に叩き込まれるような言葉を書くということだ。
だから、本書はできたら声に出して読んでほしいと思う。
内田 樹
うちだ・たつる●思想家