[本を読む]
東大が変われば、日本は変わる
東大と国会(議員)は似ている。
どちらも初めて女性を受け入れたのは一九四六年である。そして今に至るまで女性が圧倒的に少ない。両者ともにかつて女性用トイレが少なく、女性はトイレを見つけるのに難渋した。双方ともに権力の頂点あたりに位置する。東大には東大の女性が入れないサークルが存在し、国会議員の男性たちは高級料亭やレストランで女性の同僚が参加しづらい会合(オールドボーイズクラブ)を開く。
現役の東大副学長である著者は、なぜ東大に女性が少ないのか、歴史面や現象面を微に入り細を穿って観察し、海外との比較も交えて論じる。東大にあまたある「像」の事実は、納得しつつも衝撃的である。一九八〇年代になっても、東大幹部は時代錯誤としか思えない発言をしていた。これまた国会の状況と似ている。
なぜ男性である著者にこのような論考が可能だったかといえば、東大に(国会にも)多い都会の私立の中高一貫男子校ではなく、地方出身で早くから海外に留学した――つまり東大卒ではない―― 一種のアウトサイダーだからであろう。ここに女性と親和性がある。
国会に出入りする永田町や霞が関の住人は東大出身が多い。だから、似たような思考や構造が再生産されるのは当然ともいえる。東大も国会も、女性を受け入れ始めても、なぜそれが必要で、その価値とは、何をもたらせるのかを正面から向き合って考えようとしなかった。
「すべてが男性中心に回って」いて、女性は「存在は許されるものの」、「周縁化され続けてきた」。メインアクターとしてふるまい、意思決定の中枢となる状況ではなかったのである。
著者はこれを打開するために、ある制度を提案する。私も政治の世界を観察し続け、同じことを思ってきた。二つの世界でそれが実現すれば、日本は劇的に変わるだろう。
秋山訓子
あきやま・のりこ●朝日新聞編集委員