[本を読む]
何としても非戦、平和を
考えなければならない
本書の「はじめに」にこうある。
「(ロシアによるウクライナ侵攻で)国家が他国の領土に堂々と入ってくるのを久しぶりに体験することになりました。しかも、その様子が映像でリアルタイムに伝わってきますし、双方が相手の残虐さを世界に向けて宣伝しています。その結果、戦争の評価は別にして、日本でも少なくない国民が、戦争というものを他人事ではなく、自分のこととしてリアルに認識することになりました。そして、(中略)日本にとっての教訓とは何かの議論を開始することになります」
続けて、本書の元となった座談会の直後に起きた、イスラエルとハマスの衝突に端を発したガザにおける人道危機によって、戦争の終わらせ方を論じる必要性が浮き彫りになった、と強調している。四人の専門家たちの議論の中でも、柳澤協二の主張は、私の「日本に二度と戦争をさせない」というジャーナリストとしての原則とも響きあい、わかりやすかった。
たとえば、侵攻の中で多くのロシア兵が死んでいったが、それに対するプーチン大統領の発言を、「私は許せないのです」と柳澤は言う。
プーチン氏は、死んだ兵士の母親に向かって、「人はいつか死ぬ。ロシアでは、交通事故・アルコールで毎年三万人が死んでいる」「問題はどう生きたかだ」「あなたの息子は目的を達した。彼の人生は無駄ではなかった」と語った。
柳澤は「死ぬことで人生目的が達成されるとは、すなわち英霊の思想です。そこには、自分の判断への反省もなく、他者の人生を自分の道具と考える権力側の驕りがある」として、こう述べる。「権力者が正義を語ることほど危ういことはない。人生の目的を自分で決めることこそ、人として生きる原点です。そこに対する畏怖こそ、政治の原点であるべきだ」と。だが、ウクライナから日本に避難してきた女性が平和を望むより祖国に「最後まで勝ってほしい」と言った話について、「だから停戦は難しく、平和はなお難しい」と表明せざるを得ない柳澤の気持ちはよくわかる。だからこそ何としても非戦、平和を考えなければならないのである。
田原総一朗
たはら・そういちろう●ジャーナリスト