昨年七月に刊行された第十七巻『天地』で完結を迎えた北方謙三さんの『チンギス紀』(第65回毎日芸術賞受賞)。それから四カ月経った十一月下旬、 シリーズ完結を記念し、著者・北方謙三さんと俳優・長谷川博己さんが語り明かす、 一夜限りの豪華トークライブが開催されました。会場には、大作が完結したことの歓びと、もう読めないことの寂しさとがない交ぜになっている読者の方々約二百五十名が集まってくださいました。
イベントは、北方さんの講演、続いて長谷川さんをお迎えしてのトークライブ、最後に当日ご来場いただいた方々からのお二人への質問というかたちで進行。軽妙なやり取りと共に時間はあっという間にすぎ、盛況のうち終演が告げられました。
今号ではその模様をダイジェストしてお伝えします。
構成=増子信一
撮影=長濱 治
講演(北方謙三)
皆さん、本日はどうもありがとうございます。先日完結した『チンギス紀』の連載を始めたとき、周りの人間がみんな「完結するんですか?」というんです。で、単行本が出始めてサイン会をやると、三人に一人ぐらいは、「お願いだから完結させてくださいね」と。みんな、完結前に私が死ぬかもしれないと思っているわけですね(笑)。
で、いざ完結したら、まだ元気なんです。もう一本ぐらい書けるのかなと思って、今、調整中なんですよ(拍手)。
『チンギス紀』の前に『水滸伝』『楊令伝』『岳飛伝』を書いていて、これだけで五十一冊ある。普通ならばこれだけでも一生分書いちゃったようなものなんだけれど、ここでまた『チンギス紀』を書くことになって、まずモンゴルへ行きました。遊牧民の集落に行って、そこで年寄りたちや少年たちと話したりしたんですけど、そこでやりたいことが一つあった。何かというと、羊をさばくこと。
遊牧民のさばき方というのは、血を一滴も地面に落とさない。そのやり方は実に見事なものです。最終的にどうなるかというと、広げられた毛皮の上に、膜をかぶった肉があって、その膜をかぶった肉を脱骨、関節から外していく。その肉を煮るんですけど、水は使わない。塩だけ。岩塩を入れてくつくつやってると、やがて汁が出てきて、ちゃんと煮ものになっている。
モンゴルでは馬に乗ったり羊をさばいたりしましたが、モンゴルを旅行していて一番印象的だったのは、雲です。起伏があるなだらかな平原がどこまでも続いているんですが、そこに軍勢がブワーッと塊で走ってくるように見える。雲の影が地面に落ちているんです。雲が動くごとにその影がザーッと動いて坂を這い登って向こう側に行く。軍勢が行進しているかのようだった。私のイメージとしての『チンギス紀』の中の軍勢の移動というのは、雲の移動なんです。旅行している間ずっと雲を見ていました。
それから、たまに虹が出る。チンギス・カンというのは、その虹の根元を探した人間なんだと思います。虹があるな、あの根元はどこだろうと探しながらあれだけの
『チンギス紀』の連載中、一度の休載もありませんでしたけれど、モンゴルの北のほうを書く必要があって、ロシアのバイカル湖へ行こうとした矢先、がんが見つかったんです。幸いごく初期のものでしたが、それでもやっぱりがんですから、入院して内視鏡手術で全部きれいに取って、傷口が回復するのを待ちながら、連載は続けていました。
さすがに、がんだといわれたときは死ぬかと思いました。というのも、私の友人が同じ病気で死んだんです。その友人とは松田優作という俳優です。彼は私の『檻』という作品を映画にすることになっていて、『檻』を映画でこんなふうにつくりたいといいながら亡くなったみたいなところがあるんです。
優作と同じ病気かと思ったとき、俺も死ぬのかと思いましたけど、やっぱり小説の神様っているんですね。今まで事故で二回ぐらい死にかかったことがあるけど、そのとき死なずに済んだと思った瞬間に考えたのは、「小説の神様がいるんだ。もうちょっと頑張って書け。だから、おまえがいいものを書けなくなったらきちんと死なせてやるからと神様がいっている」ということで、今回もそんな気分でした。
そんなふうにして『チンギス紀』全十七巻を書いてきたわけですが、『チンギス紀』は『水滸伝』シリーズと地理的にも時代的にもつながっている部分があって、それを物語の転換の中で取り込んでちゃんと作品にできたのはよかったと思っています。
対談 二人は同じ大学出身
北方 本日はありがとうございます。
長谷川 どうも、売れない俳優をやっております長谷川博己と申します(笑)。
北方 売れない俳優というのは、昔だったらいざ知らず、今いったら嫌みだよな。まあ、それはおいといて、彼は私の大事な読者で、私の作品は全部読んでます。小説が好きなの? 俺の小説だけ好きなんだよな。
長谷川 そうですね(笑)。ぼくが最初に先生に出会ったのは、中学か高校ぐらいのときに、「Hot-Dog PRESS」に連載されていた『試みの地平線』という人生相談です。
北方 あなたの世代は、みんないうよ。
長谷川 その後に『三国志』を読んで、
北方 呂布というのは、三国志史上、一番の悪人だった。三国志正史にもそう書いてあるけど、ほかの史料に当たると、悪人というより単に家族愛が強かっただけじゃないとも読める。そこで最悪の
長谷川 読んだのはまだ役者やる前でしたけど、ああいう役は本当に演じたいと思います。
北方 あなたは私の大学の後輩なんだよね。
長谷川 ぼくは、都内というか、都会の中で大学生生活をしたいと思っていたんですけど、北方先生たちが激しい学生運動をしたために、ぼくらのときは中央大学の校舎がお茶の水から八王子に移転していて、四年間ずっと八王子校舎だったのは全部北方先生のせいだなと(笑)。
北方 いやいや、俺一人じゃないけど、俺らの世代のせいではあると思う。一九六〇年代の後半から七〇年にかけては学園闘争の時代で、内ゲバやリンチなどがあった殺伐とした時代でした。私自身は卒業したら小説書いていました。
でも、人の出会いというのはあるんですね。私は十九歳のときに山本太郎――(れいわ)新選組の山本太郎じゃないよ(笑)―― という詩人に会ったんです。北原白秋の甥で、歴程派の大物の詩人で、当時法政大学の独文の教授でした。私が詩を書いているといったら、読んで、ちょっとこまっしゃくれてるなとかいわれましたけど、その人が「文藝首都」という同人誌の集まりに連れて行ってくれたんです。その中に、一人だけ若くて、ちょっと太った奴がいたわけ。そいつがこっちをじっと見ている。山本さんに、自己紹介しろといわれたので、「北方謙三です」「中上健次です」。それが中上との出会いですよ。
それ以来、どこかで会うと、いやあと言って、お互いに目を合わせないで挨拶する。あるとき、中上、立松(和平)、俺の三人で、ゴールデン街の「まえだ」という店で飲んでいた。当時は三人ともまだ世の中に受け入れてもらえず、互いにおだをあげているうちに喧嘩が始まりそうになった。すると、まえだの“おっかあ”が「外でやれ」というから、じゃあ、外でやろうぜと。三人で喧嘩すると誰が敵かわからなくなって団子になってぐるぐるやってたら、タッタッタッとやくざが来て、「おまえら、何やってるんだ。座れ」という。三人で路上に正座したら、いきなり頭をパンパンパーンと叩かれて、そのやくざは「人に迷惑かけんじゃねえ」といって去って行った。
そんな話がありました。ある意味、文学史上の事件でしたね(笑)。
長谷川 ぼくらが最初に出会ったのも飲み屋ですね。ぼくが突然話しかけて、『三国志』のすばらしさをずっと語っていたら、その次の日に『水滸伝』を全巻送ってくださった。
北方 そうだよ。読んだ?
長谷川 読みましたよ。
北方 『三国志』に入れ込んだやつというと、我々の共通の友人の
長谷川 いやいや。吉川さんとこの間話したんですけど、『チンギス紀』も今読み始めたといってました。「俺は完結しないと読まないんだ」と。それを北方さんにいっといてと。
北方 わかった、聞いた。でもさ、吉川からアルバムが送られてくるじゃない、CD。あれ全部聞くよ、一応。
長谷川 映画のときは必ずぼくが北方さんにチケットを渡しに行くんですけど、そのときも、映画は小屋(映画館)で観るものだといって観に行ってくださる。
北方 長谷川君が最初に出た映画『地獄でなぜ悪い』、俺はいいと思った。ああやってつくれる映画というのはいいんですよ。それが『カメラを止めるな!』になると、偶然できている。その点『地獄で~』は、映画をつくるのは地獄だけど、地獄でなぜ悪いという、そういう単純な開き直りの映画なんだよね。だから、『地獄で~』の最後で長谷川君が走っていて、なぜ走るのかわからないけど、その走ってる姿が何かいいんだよ。
長谷川 でも、最後の走るシーンは、もともと台本にはなかったんです。
北方 そういうのをやれるからいいんですよ。映画というのはその場で出来上がることって、しょっちゅうあるよね。
対談 チンギスが自分で死んでくれた
長谷川 ぼくには現実の北方先生と作品のチンギスとが重なるところがすごくあって、さっきの話で、ご病気されて死にかけたということとつながるのかわからないですけど、後半のほうは、先生の死生観が今までとちょっと違う感じで出ている気がしました。チンギスの最期の姿も、静かに消えていく感じというか……。
北方 最終巻を書いているとき、俺は死なないで済んだと思っていたからチンギスもなかなか死なない。生命力を持て余しているみたいに死なないんだね。でも、死なせなきゃいけないので死なせたんだけど、あれは私が死なせたのではなく、チンギスが自分で死んでくれたんです。
長谷川 そうですか。ぼくは北方先生ご自身がいろいろ死を身近に感じているのかなと思ったのですが。
北方 それは感じる。今、七十六歳だけど、五十歳ぐらいのとき七十まで生きると思っていなかった。ところが、はっと気がついたら七十過ぎている。七十六になってしまったら、死は必然的に身近です。誰でもそうでしょう。それであと十年か、下手すると二十年ぐらい生きて、早く死ねなんていわれる可能性だってあるし、明日死んじゃう可能性だってある。死の確率がすごく高くなっているから、身近に感じざるを得ない。
長谷川 そう自問自答されてるんだろうなというのが、作品を通して感じられました。ぼくはこうやって親しくさせてもらっていますから、作品を読みながら、あのときああいうこといってたなという先生の言葉とつながってきたりもします。
北方 長谷川君と一緒に飯食ったり酒飲んでいても、当時は、頭の中の半分ぐらい『チンギス紀』があって、それで俺の死生観だとか何とかがワッと出て語っていたのかもしれない。
長谷川 チンギスが最後に黒水城を眺めるわけですが、あの描写がすごくきれいで、印象に残ったんですけど、黒水城って、どういう象徴なんですか。
北方 黒水城はチンギスの心の中にある最後の城なんです。実際にある風景じゃない。チンギスが心の中に持っていた風景が見えたというふうに書いている。黒水城には、もしかするとかつて愛した女がいたりするかもしれない、そういう城なんですよ。だから、黒水城の象徴しているものは死ですよ。
長谷川 やはりそうですよね。
北方 チンギスが最後に帰還する途中で黒水城を見る。その後にもう一回マルガーシと戦をして、それでも生き残ってしまうのだけど、黒水城については思い入れたっぷりに書いたから、雑誌連載のときには、西のぼるさんが不思議でとてもいい挿絵を描いてくださいましたよ。
長谷川 北方先生の作品は、どれも死に様がかっこいいですよね。先生は死に様じゃなくて生き様を書いているんだとおっしゃいますけれども、死に様がまたいいですよね。
北方 あの死に様が突然出てきても何の説得力もない。こうやって生きてきた人間がああいうふうに死ぬというのが、やっぱり死に様だから、そうすると、生き様を書かないとどうしようもない。
今日はいろいろあてどないふうに話してきたけど、言葉の一つ一つの中に長谷川博己が出ていて、北方謙三も出ている。そういうものなんですよ。だからせっかくこうやって直接会っているんだから、皆さんは我々がしゃべることの意味を深く考えるんじゃなくて、長谷川博己を感じてほしい、北方謙三を感じてほしい。
長谷川博己も私も、実はウイルスなんですよ。皆さん、今日、感染しました。北方ウイルスに限っていいますと、感染した人は、潜伏期間三日。三日から一週間で発病。発病する場所はどこだか決まっています。本屋さんの前ね。ふわっと発病して、ふわっと本屋さん入ったら、北方と書いてあるのは全部買う(笑)。
長谷川ウイルスに感染したら、テレビドラマから何から全部ひっくり返して観ちゃう。今日皆さんと我々は袖すり合ったんです。
これで終わりますが、皆さんに楽しんでいただけたら何よりです(拍手)。
来場者からの質問
―― 事前に皆様から募集した質問にお二方にお答えいただきます。一番多かった質問は、「長谷川さん、ずばり、北方作品の中で演じてみたいキャラクター、教えてください」。
長谷川 たくさんあるんですよ。だけどぼくのジンクスがあって、それを口に出してしまうと大体叶わないんですよね。ただ、多分もうやれないだろうなと思うもので一番やりたいのは『檻』です。さっき優作さんが『檻』をやりたがっていたという話がありましたが、ぼくもあれを読んでから、主人公の滝野という役をやりたいなと思っていました。
北方 『檻』は、いろんな役者さんからオファーが来たんですよ。最初に高倉(健)さん、次に菅原文太さん、それから仲代(達矢)さん、ショーケン(萩原健一)が来て、最終的に預けたのが松田優作なんですよ。彼はすごく入れ込んでいて、「靴の底が地面をざっとこする音がして、それから人がばたって倒れるというシーンを思いつきました」とかいって夜中に電話かかってきたりした。結局のところ、二年もしないうちに亡くなっちゃったんですけど。
今は誰にも預けてないから、あなたにあげます。
長谷川 ありがとうございます。もう一つぼくが頂いているのがあります……。
北方 『いつか時が汝を』でしょ。アメリカ南部の黒人の居住区に日本人が一人いる。彼は毎日、毎日、時計の修理をしているんだけど、実は裏の職業がある。それはここでは黙っていましょう。
長谷川 あの主人公のシンゴは、何となく、自分の肉体と容姿からすると、なかなか役が回って来ないかなという気はするけど……。
北方 いや、あれは見た感じもぴったりで、君が一人でずうっと壊れた時計を修理している。それなんか、芝居のしようがいっぱいあると思うな。
―― 続いて、同率で多かったのが、「先生が長谷川さんに演じてもらいたいキャラクターは何か」でした。
北方 『水滸伝』でいえば、
長谷川 ちょっとおこがましいですけど、それはぼくも予想していました。ただ、俳優としてはちょっと違うものに行きたいというところもあるんですよ。そういう意味では、
北方 吉川も林冲は絶対俺だと言い張ってるけどね。
まあ、そんな感じで、今の質問は、本当のところではなかなか答えにくいという質問ですからね、まだ実現している話でもないし、これからいろいろ話が動くかもしれないようなものだから。
―― お時間のほうが迫ってきましたので、最後の質問になります。北方先生の「次回作の構想」をお願いいたします。
北方 さっきいったように、死なないで書けるかなというのがまず第一ですけど、そのための準備をいろいろしています。
全部はまだまとまっていないけれど、ある部分で日本人を書こうと思っています。このところ、日本人を書いてない期間が長いんですよ。それで、日本人の画家が主人公の十五枚の短編をずうっと書いたんです(『オール讀物』連載)。それが全十五回書き終わったところです。十五枚のものをなぜ書くかというと、文体を引き締めるためです。短編を書き終えたので、次に大きいものの構想にかかろうと。そのときに日本人というものを視野に入れておく。それから、海というものを視野に入れて書く。今いえるのはそれぐらいですね。
もうちょっと詳しいことは長谷川君と酒飲んでいるときにいうかもしれないけど、みんなには教えてあげない(笑)。
長谷川 でも、今のお話を伺うと大体想像できます。楽しみですね。
北方 まあ、私はもうちょっと長生きするつもりですから、長生きしている以上は書きますからね。 というわけで、皆さん、本当に今日はここに来ていただいてありがとうございます。こういうトークショーなんてめったにやらないんです、作家はね。役者さんもやらないんですよ、実は。二人でこういうことができたのも、非常にうれしいです。今日はありがとうございました。
※北方謙三著『チンギス紀』シリーズ(全十七巻)の詳細は、公式特設サイトをご覧ください。
https://lp.shueisha.co.jp/kitakata/chingisuki/
北方謙三
きたかた・けんぞう●作家。
1947年佐賀県生まれ。81年『弔鐘はるかなり』で単行本デビュー。著書に『眠りなき夜』(吉川英治文学新人賞)『渇きの街』(日本推理作家協会賞)『破軍の星』(柴田錬三郎賞)『楊家将』(吉川英治文学賞)『水滸伝』(全19巻・司馬遼太郎賞)『独り群せず』(舟橋聖一文学賞)『楊令伝』(全15巻・毎日出版文化賞特別賞)等多数。2023年7月に『チンギス紀』(全17巻・毎日芸術賞)を完結した。10年に第13回日本ミステリー文学大賞を受賞。13年に紫綬褒章を受章。16年に菊池寛賞を受賞。20年に旭日小綬章を受章。
長谷川博己
はせがわ・ひろき●俳優。
1977年東京都出身。中央大学を卒業後、2001年に文学座附属演劇研究所に入所。多数の舞台で活躍した後、08年に「四つの噓」でテレビドラマに進出。10年には「セカンドバージン」に出演し、翌年公開の同作劇場版で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。さらにドラマ「鈴木先生」「家政婦のミタ」「八重の桜」「デート~恋とはどんなものかしら~」等に出演。16年公開の映画「シン・ゴジラ」では内閣官房副長官・矢口蘭堂役で主演。その他の出演作に映画「散歩する侵略者」「はい、泳げません」「リボルバー・リリー」、ドラマ「まんぷく」「麒麟がくる」等がある。