[今月のエッセイ]
『災厄の宿』刊行に寄せて
ボンネットバスが走る道
徳島県の西、深い山の奥にある
この祖谷渓に、「かずら橋」という吊り橋が架かっている。シラクチカズラ、別名サルナシという植物の蔓で編んだ綱で作られた、珍しい構造の橋である。床が縄梯子みたいな造りのため、足が弱い方や高所恐怖症の方が渡るのには向かないが、四国有数の観光名所となっている。
『災厄の宿』はここを舞台に選んだ。一九七〇年代の半ば、本州四国連絡橋の建設が始まり、四国の観光開発が新たに動き出した時代である。旅館占拠事件を通し、時流に翻弄されていく人々を登場させているが、話自体は台風十七号による大雨以外、全くのフィクションだ。占拠されるかずら橋近くの旅館も、登場する人物も、特定のモデルのない架空の存在なので、お読みいただく際には難しく考えず、ストーリーだけを楽しんでいただければ幸いである。
ただ、本作にはかずら橋以外にも実在のものが登場する。それが、物語の初めと終わりに登場するボンネットバスである。
ボンネットタイプのバスは、定期路線運行では見られなくなって久しいが、レトロなスタイルにファンも多く、保存整備された車両が全国で観光用に走っている。かずら橋に来るボンネットバスもそんな一台で、定期観光バスとして使用されている。各地の同輩と同じく、かつては路線バスとして使われ、実際にかずら橋の傍を通る路線で運行していた。定員が少なくワンマン化も困難なボンネットバスは、都市部の路線からは早々に消えてしまったが、山間部の狭い道を走るには小回りの利くこのタイプが重宝され、一九八〇年代まで残っていた地方もある。
祖谷渓に残るのは一九六六年の富士重工製で、ボンネットバスとしては新しい方だ。それでも、電車に比べれば寿命のずっと短いバスを、六十年近くも維持するのは大変である。現にこの地のバスも、かなり難しい修繕が必要となってしばらく運休に追い込まれ、クラウドファンディングで集めた資金で復活した、という経緯がある。
実際に乗ってみると、路線バスとして全国で走っていた時代を知っている我々世代は、実に懐かしい記憶を呼び覚まされる。車内でもわかるオイルの匂い、独特のエンジン音、床からぐっと突き出したクラッチペダルと、やたら長いシフトレバー。それを頻繁にガチャガチャと動かしながら船の
実は、本作を最初に構想したときは、ボンネットバスを主役に据えよう、との考えがあった。数十年にわたるボンネットバスの運行期間に、人生のどこかの節目でバスに関わった人たちの話を紡ぐのはどうだろう、との思い付きであった。だがストーリーを考えてみると、どうしてもローカル色が濃過ぎ、一般に馴染みにくいものになりそうだった。そこで一から組み立て直して、出来上がったのが『災厄の宿』である。
当初と全く異なる物語になったが、それでもボンネットバスは残しておきたいと思った。作者のこだわり、という奴かもしれない。
エピローグで、二人の老人がボンネットバスに乗り、互いの話をするシーンがある。ネタバレになるのでどういう話をするかは伏せておくが、本作の中で最も書きたかったシーンが、この部分である。時代を超えて事件と二人の老人を繫ぐ存在として、半世紀以上も変わらぬ姿で走るボンネットバスは、いかにもふさわしいと思ったのだ。
今、全国には、非営業の動態保存車も含めて稼働中のボンネットバスが数十台ある。いずれも、長い歴史を経て多くの乗客を運んできた車両だ。その車内では、これまでにどんなドラマがあったのだろうか。もちろん、豪華客船などではないのだから、ドラマと言っても日常の些細な話に終始するだろう。それでも、個々の乗客にとっては深い意味があったかもしれない。そんな風に想像すると、大型観光バスの隣に並べば子供みたいな大きさのボンネットバスも、ぐっと大きく重く見えてくるのだ。このバスを大事に残そう、との努力を惜しまないバス会社の方々には、心からのエールを送りたい。
山本巧次
やまもと・こうじ●作家。
1960年和歌山県生まれ。鉄道会社に勤務の傍ら小説を執筆、2015年『大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう』でデビュー。著書に『開化鉄道探偵』『阪堺電車177号の追憶』『江戸美人捕物帳 入舟長屋のおみわ』『乳頭温泉から消えた女』『急行霧島 それぞれの昭和』等がある。