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対談/本文を読む

甘糟りり子×稲田俊輔
人生でいちばん衝撃を受けた異国の味
稲田俊輔『異国の味』1/26発売

[対談]

人生でいちばん衝撃を受けた異国の味

日本人ほど積極的に外国の料理を食べたがる人種はいない――。
バブル期のイタメシブーム、エスニック料理の襲来、スペイン・バルの流行、最近の町中華ブーム……日本人はさまざまな外国料理を食べてきました。日本人好みにアレンジされた味を好む一方で、「本格的」「本場」を尊ぶ日本人。そんな矛盾が生む悲喜こもごもの物語や、外国料理の受容と変遷の知られざる歴史、最新の食トピックスを、料理人で飲食店プロデューサー、エッセイの名手でもある稲田俊輔さんが『異国の味』に綴りました。対談のお相手は、『鎌倉だから、おいしい。』など食にまつわる著作も多い甘糟りり子さん。食いしん坊二人の注目料理も飛び出しました!

構成=砂田明子/撮影=大槻志穂

これは日本の“端”から見た物語

稲田 僕はちょうどバブルの頃、日本の端っこの田舎の高校生でした。そこでテレビや雑誌を通じて、東京は華やかで恐ろしいところだ、という強烈なイメージを持ってしまったんです。自分なんかが東京に行ったら、バブル・ピラミッドの最底辺で、ダンゴムシのように潰れてしまうのが関の山だろうと。東京の大学を目指す人間が多い高校でしたが、そういうわけで京都に進学し、大阪や名古屋で働いてきました。対して、ピラミッドの頂点にいたのが、甘糟さんですよね。

甘糟 それはどうでしょう……(笑)。

稲田 それはそうなんです(笑)。で、何が言いたいかと言いますと、この本には、いち生活者としての僕の目から見た世界だけを書いています。全体を俯瞰ふかんするのは不可能なので、むしろ開き直って、日本の端から見た異国の味の物語だけを書きました。甘糟さんから見た物語は、たぶん全然違うと思うんですよね。

甘糟 それはそうだと思いますが、とても面白かったです。稲田さんのご専門は南インド料理ですよね。異国の味というテーマはどうやって生まれたんですか?

稲田 本業が特殊な世界だけに、日本で異国の味を伝える難しさと向き合ってきました。でも考えたら、“先達”はいっぱいいらっしゃるんです。かつてはスパゲッティといえばナポリタンだったのに、イタメシブームが起きて、本場のイタリアンが浸透していく。一方で、微妙にローカライズされた進化も遂げています。あるいは中華では、最近は気楽で親しみやすい町中華がブームになると同時に、中国人が中国人のために営む本格的中国料理店が一部で増えています。

甘糟 ガチ中華ですね。

稲田 はい。だからジャンルごとに広まり方はそれぞれなんだけど、どこかに共通項を見出すこともできて、双方を面白いなと思ったのが発端でした。

甘糟 稲田さんの本、お店の具体的な名前が出てこないですよね、カプリチョーザくらいしか。それは意識的に?

稲田 そうですね。この本に限らず、チェーン店は出すけど個人店は出さない、をポリシーにしています。僕が紹介する店と同じような店があなたの生活圏にもあるはずだから、無理なく通える範囲で見つけてほしいという思いからです。

甘糟 私に足りない視点だ(笑)。

稲田 それができるのは、今の時代だからです。たとえば僕は甘糟さんの『東京のレストラン』(1998年)を、勉強するような気持ちで読みました。あの時代は、こんな美味しいものがあるよと、まず、啓蒙してもらわなくちゃいけなかった。

甘糟 読んでくださっていてうれしいです。当時はスマホもなかったですしね。

稲田 そう。食べログすらなかったわけですから、具体的な情報が必要でした。

甘糟 私、経験値はあるほうなんですが、稲田さんのような記憶力と分析力がないので、なるほどなあと思うことがたくさんあって。食の読み物としても面白いのはもちろん、新しいものを日本に根付かせるとか、新しいブームを作るための戦略の本でもあると思いました。

稲田 うれしいですが、当の本人にヒットさせる力がないですからね……。

甘糟 してるじゃないですか!

稲田 ヒットのうちに入らないです。

甘糟 ぜひ、鎌倉にもご出店を。

稲田 出せるなら出したいですけど、鎌倉の方々の飲食に対するリテラシーの高さは、頼もしくもあり、怖くもあります。

甘糟 最近、鎌倉でビジネスをしたい方の相談を受けることが多くて、私、物件にも詳しくなってきたんです。

稲田 なんと。心強いです!

タイ料理に“一発逆転”を賭けて

甘糟 今日、稲田さんに伺いたかったことのひとつが「パスタ」問題。いつから「パスタ」と言うようになりましたか?

稲田 僕自身は、大学生の頃からです。

甘糟 やっぱり正確に覚えているんですね。抵抗はなかったですか? あるときまで、男性がパスタって言うなんて小っ恥ずかしい、みたいな空気があったような気がしていて。

稲田 いきりたかったんでしょうね。東京のヒエラルキーから逃げた負い目を、京都で埋め合わせようとしていました。

甘糟 私はバブルの頃くらいかなあと思っているんです。CMに港区っぽい男の人が出てきて、「あの人はスカッシュをしてパスタのゆで具合を気にする男です」みたいな台詞がお茶の間に流れたと記憶しているんですが、そのCM、ネットでいくら探しても出てこないので、幻覚を見たのかなあ。

稲田 バブルからバブル崩壊後が僕の大学時代に重なるので、時期的にはきっとその頃なんでしょうね。

甘糟 日本の津々浦々にパスタが浸透したことを実感するエピソード、面白かったです。1993年に大阪郊外の路上で、ヤンママ風の若い女性が、「ペペロンチーノ、めっちゃハマるで」と喋ってるのを聞いて、感慨にふける稲田さん。

稲田 ああいうことだけは覚えてるんですよ、鮮明に。

甘糟 私も細部を収穫するタイプです。

稲田 甘糟さんにとって、異国の味といえば何になりますか?

甘糟 私は横浜生まれで伊勢佐木町の近くに住んでいたので、中華街や元町に行けば異国の味にあふれてました。小学生になる前に鎌倉に越しましたが、昔の鎌倉でもイタリアンやフレンチはもちろん、『孤独のグルメ』に出たドイツ料理のレストランなんかもあったんですよ。ですから、異国の味は日常の味だったんですよね。そんな私がカルチャーショックを受けたのはタイ料理でした。味覚的にびっくりしたんです。デザートではなくておかずなのに「甘さ」が堂々と前面に出ていて、「酸っぱさ」も全肯定されていることに衝撃を受けました。「甘じょっぱい」なんていうフレーズがまだ一般的ではなかったですしね。

稲田 僕も生涯でいちばん衝撃を受けた料理はタイ料理です。パラダイムシフトが起きたと本に書いたように、世界がひっくり返ったくらいの衝撃でした。タイ料理は日本人の口に合うポテンシャルを秘めつつ、「辛い」とか「パクチー」とか表面的には超新しいものをまとっていて、そのバランスが絶妙だった。タイ料理には伊勢佐木町で出会われたんですか?

甘糟 いえ、大人になってからです。広尾にあった、おしゃれなタイ料理屋でした。イタリアンとかフレンチには何も思わなくなっていたから、珍しいエスニックなら行ってあげてもいいかなって感じで。嫌なヤツですよね。

稲田 僕はイタいヤツで、入り口は甘糟さんと真逆なんですけど、同じようなところに行き着いてます。底辺のダンゴムシは、イタリアンやフレンチのような確立された世界で今更のし上がれない。競争の軸を変えたいと思っていた大学時代に現れたのがタイ料理でした。

甘糟 野球やサッカーじゃなくて、クリケットで勝負する、みたいな……。

稲田 そうそう。ピラミッドが成熟していない世界に入り込めば一発逆転できるぞと。当時、タイ料理って、和洋中に続く、新しい文化でしたよね。すっかり浸透して、今は日常になりましたが。

甘糟 稲田さんは異国の料理を本場そのままの味で食べたい「原理主義」だと書かれていますよね。私はエセ原理主義なんです。オシャレ系タイ料理屋に行った後は、本場の料理を出すお店にも行きましたし、タイ料理教室まで通いました。美味しいか美味しくないか、すぐに判断できないものって、もう少し奥まで進みたくなります。

稲田 僕は自分の味覚や好みが特殊で、一般の人が好む味がわからないからこそ、それをリサーチしようとしているところがあるんですよ。甘糟さんは反対に、一般の味がわかりつつ、マニアな世界に足を踏み入れていくんですよね。

甘糟 昔、ホイチョイ・プロダクションズの馬場(康夫)さんに言われたんですよ。君はトレンドウォッチャーと言われているけどむしろ保守的で、新しいものなんかちっともいいと思っていない。どれほどのものか確かめてやろうという気持ちが君の原動力だよねと。ああ、その通りだなと思って。

稲田 新しいものをおいそれとは受け入れないぞと思いつつ、気にはなる。そこにはあのお母様(甘糟幸子さん)の下で育たれた影響もあるのかなと思います。

甘糟 そうかもしれませんね。

「味覚の関西化」が進行中

稲田 先ほど「甘じょっぱい」が衝撃だったと言われましたが、僕は西の人間だから、身近だったんです。

甘糟 ああ、そうか。関西って、すき焼きにお砂糖と醬油を入れますものね。割り下の関東人にはあれ、カルチャーショックでした。それこそ異国の味。稲田さんもお砂糖入れます?

稲田 僕は生まれは鹿児島で、砂糖をがっつり使う食文化なんです。なんだけど実家はそういう地元の味を毛嫌いしていて、家では京料理的な薄味のものを食べていた……とややこしいんですが、関西文化圏で生きてきて、東京に頻繁に来るようになったのはここ10 年くらいです。で、東京の味に衝撃を受けました。

甘糟 最後の章「東京エスニック」に書かれていますね。

稲田 タイ料理やインド料理に慣れ親しんでいったのと全く同じプロセスで東京の味に馴染んでいくのが、すごく楽しいんですよ。「ざるそばのつゆ、しょっぱあ!」とか「鰻、やわらかあ!」と、びっくりしながら大喜びして。

甘糟 私、鰻の違いも衝撃でした。

稲田 甘糟さん、鰻は関東風に限ると書かれていましたよね。僕も最近、ようやく東京の鰻の良さがわかってきました。最初は煮魚じゃんと思ったんですけど、その後、ふわふわとしたムースだなと。

甘糟 いなりずしも違いますよね。関西って具がたくさん入っている。いなりの主役は油揚げだから、要らないでしょうって思うんですけど流行っていますよね。それからカレーに生卵。あれにもびっくりしました。関東の食は関西に席巻されています。

稲田 僕は東京でカレーにゆで卵が添えられているのを見て、最初「これ、何のためにあるの?」と思いました。今では生卵より好きになりましたが。おっしゃる通り、東京一極集中だとみんな思っているんだけど、実は「味覚の関西化」が進んでいる。東京の人たちは侵略されていることに、案外気づいてないですが。

甘糟 私は気づいていますよ。東京で活躍している料理人や飲食の経営者も、関西出身の人が多いですしね。それから言葉も気になっています。東京の若い子たちが、普通に関西弁を喋っている。吉本の芸人さんの影響だと思いますけど。食と言葉を一緒にできませんが、地域差や性差がなくなってきていると思います。

稲田 わかります。言葉と料理はつながるところがあると思います。

ドジョウ汁に惚れ込んでいます

甘糟 この本には韓国料理が入っていないですよね。理由があったんですか?

稲田 正直なところ、自分に全くといっていいほど体験がなかったんです。外国料理を知るからには、その国の方が日本に来てやられているお店は絶対外せないという感覚があるんです。ただ、インド人がやっているインド料理店、スリランカ人がやっているスリランカ料理店には行けるんだけど、韓国人の方がやっている韓国料理店には、文化的な距離が近いがゆえのアウェー感を感じてしまって、なかなか踏み出せなかったんです。でも、ついに長年の禁を破って、韓国料理デビューを果たしました。

甘糟 どちらに行かれたんですか?

稲田 新大久保周辺ですね。今、「ヤンピョンヘジャンク」のドジョウ汁に惚れ込んでいます。世界の汁もののなかでトップクラスくらいに思っています。

甘糟 トムヤムクンを超えました?

稲田 余裕で超えました! あと一年くらいしたら、「韓国料理編」が書けるかもしれません。甘糟さん、注目している外国料理はありますか?

甘糟 最近だと、代々木上原の「ガテモタブン」で食べたブータン料理が印象的でした。辛いチーズのスープが美味しくて。現地に行ってみたくなりました。

稲田 僕が行きたいのはトルコです。西洋と東洋が混ざりあったトルコ料理に憧れているんですが、日本のトルコレストランのメニューって定型化しているので、そういうものでないトルコ料理を探したいなと。世界にはまだまだ知らない味があると思うとワクワクします。今日はありがとうございました。

稲田俊輔

いなだ・しゅんすけ●料理人・飲食店プロデューサー。
鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。多くの飲食店の立ち上げに携わり、2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理専門店「エリックサウス」を開店、総料理長。南インド料理ブームの火付け役であり、近年は旺盛な執筆活動でも知られる。著書に『おいしいものでできている』『ミニマル料理』『お客さん物語』等。

甘糟りり子

あまかす・りりこ●作家。
横浜生まれ。幼い頃から鎌倉に暮らす。玉川大学を卒業後、アパレル会社勤務をへて文筆の道へ。グルメ、車、ファッションなどトレンドをテーマとしたエッセイや、女性の生き方や恋愛を問う小説を発表。幼い頃から慣れ親しんだ鎌倉に関する著作も多い。著書に『エストロゲン』『産む、産まない、産めない』『産まなくても、産めなくても』『鎌倉の家』『鎌倉だから、おいしい。』『バブル、盆に返らず』等。

『異国の味』

稲田俊輔 著

1月26日発売・単行本

定価 1,650円(税込)

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