[巻頭インタビュー]
阿部定を解き放つ
村山由佳さんの新作『二人キリ』の題材は、阿部
聞き手・構成=瀧井朝世/撮影=露木聡子
自分とはかけ離れた女性と感じた
―― 新作『二人キリ』は、昭和十一年(一九三六年)に愛人を絞殺し陰部を切り取って逃亡、逮捕された阿部定を題材にしたフィクションです。拝読して、自分はあの事件を表層的にしかとらえていなかったなとつくづく思いました。
私もそうでした。あの事件の前後については全然知らなかったんです。
きっかけは、NHKBSプレミアム(当時)の「アナザーストーリーズ」という番組の阿部定特集のゲストに呼ばれたことです。忙しかった時期で、断ろうかとも思ったんですけれど、渡辺淳一先生が『失楽園』で阿部定をモチーフにしていらしたことを思い出したんですよね。渡辺先生が亡くなった時、お嬢さんが遺品の本をくださったんです。その中に阿部定関連の本が三、四冊入っていて、こういうもの一つひとつが『失楽園』に繫がったんだなと。それで、私が断ったら他のどなたかに話がいくんだと考えたら悔しくなって、思い切ってお受けしました。
その時はじめて、阿部定が逮捕された時の調書を読ませてもらったんです。最初は「なんなんだ、この女は訳分からん」と思いました。『風よ あらしよ』で伊藤野枝を書いた時は、「なんでこんなに自分に重なるんだろう」と感じる瞬間がたくさんあったんですけれど、阿部定は「自分とここまでかけ離れた女も珍しいな」というくらい遠く感じました。そこが出発点でした。
―― 遠く感じた女性をなぜ書こうと思われたのでしょうか。
彼女の、男性に過剰に期待して失望するという身の持ち崩し方は、私も書く仕事がなかったらこうなっていたかもしれないなと切実に感じる部分がありました。そう思えば思うほど、なんか愛おしくなってきて、彼女を記号としての「阿部定」ではないところへ引っ張り出してやりたくなったんです。
作中にも書きましたが、定さんは出所した後、坂口安吾と対談しているんですよね。その時の記事を読むとひたすら安吾が前のめりに定さんを女神のように崇めたてまつっていて、定さんは「はあ」とか「ええ」しか言っていない。当時の無頼派作家にとって定さんはファム゠ファタルだったけれど、定さんは冷めている。そこも面白いと思いました。
それと、定さんは少なくとも八十過ぎまでは生きていたようなんです。たった五年で釈放されていることも、長生きしていることも意外でした。
――『風よ あらしよ』で書かれたアナキストで婦人解放運動家の伊藤野枝と定さんって、生まれ年が十年しか違わないんですね。
そうなんですよ。野枝を書いた少し後だったので、頭の中にあの時代の風景があるうちに書けるというのは、私にとって嬉しいことでした。
資料は野枝のほうがたくさんありました。彼女の周りの人たちが
ただ、調書の中で、彼女は事件について微に入り細を
証言を集める一人の青年
―― それが
狂言回し的な人物も、よほどの事情がない限り定さんに執着しないだろうと考えました。吉蔵さんに小春さんという愛人がいたことは確かなんです。裁判官が自分が受け持った裁判を述懐した『どてら裁判』という本に阿部定事件も出てきて、小春が「とにかく吉蔵は女と子供に本当に優しい人だった」と証言したと書かれている。そこから吉弥という存在を考えていきました。
―― 吉弥が幼い頃から左目に義眼を入れている設定にしたのはどうしてですか。
定さんに吉弥を憶えていてほしかったんですよね。一瞬会っただけの彼を思い出してもらうために、何か特徴がほしかった。それに戦時中ですから、兵役につけないことで非国民と呼ばれ、いろんな鬱屈を抱えているだろう、などと考え合わせていきました。
―― 吉弥の友人であり映画監督のRも気になります。吉弥に定さんについての小説を完成させるよう促す人物です。お互いに相手だけが真の理解者であるような、あの関係性がたまらなかったです(笑)。
Rは特にモデルはいなくて、吉弥から芋づる式に出てきたキャラクターです。まだ腐女子という言葉もなかった私の高校時代の萌えポイントが生かされているかも(笑)。吉弥自身ががつがつ知りたがるタイプだと小説の構え全体に品がなくなる気がしたので、
―― 吉弥は定さんについての小説に、どこまで創作を加えていいのか悩みます。読者はその過程を追いながら、この小説自体が吉弥が書いた小説なんだろうなと思いますよね。そのメタっぽさもすごく面白くて。
メタフィクションみたいなものは好きなんですよね。分かりやすいところでいうとエンデの『はてしない物語』とか。今回はああいう驚きを狙ったわけではないですけれど、ひとつのストーリーの外側にもうひとつ枠組みとしてのストーリーを作るのが楽しかったです。
―― 吉弥が集めたいろんな人の証言は、どこまでが事実でどこからが創作なのか、と。
ほぼ創作ですね。
―― え、あんなにリアルなのに!?
実際に情報が残っているのは、定さんが交際していた校長先生や幼馴染みの仙ちゃんくらい。少女時代の彼女を強姦した学生や、父親が十七歳の定を売った
―― 証言を読んでいくと、定さんの流転の人生が浮かび上がります。少女時代に強姦され、不良となり、十七歳で父親に売られ、芸妓となり、娼妓となり、身請けの話が決まったかと思えば話が流れ……。事件に至るまでの数日間の定さん本人の証言は凄みがあるし、出所後は名前を変えてひっそりと暮らしていたのに好き勝手に書かれたモデル小説が出版された時に異議を唱えるために名乗り出たりしている。
刹那の感情にすごく正直な人なんですよね。その時腹を立てたら腹が立ったと言うし、惚れてしまえばそれまでだし。本能で生きている感じがいいですよね。
書いているうちに少しずつ、定さんと自分が重なっていく部分がありました。「この瞬間だけは私知っているよ」と思った時もありましたね。
お定さんは
自分が身も心も求めた相手が、同じかそれ以上の強さでこちらを求めてくれることへの歓喜と泣きたいような安堵。お前の軀はどこもおかしくない、と言ってもらえる嬉しさ。それらを私自身も知っているだけに、書きながら、二人がどうしても離れられなかったのは無理のないことだなと思えたわけでした。
さらに、吉蔵との情事は多分に「大人のごっこ遊び」に満ちていた。寝間の面白さは互いの芝居っけにかかっている、というのはこれまで何度か繰り返してきた私の持論でもあり、軀そのものの相性はもとより、性的な嗜好がじつにぴったり合っていた二人が、あれだけ連日求め合っても全然飽きない……というあたり、めちゃめちゃわかるなあ、と思ったのでした。
―― Rが、定さんは自分の話を聞いてくれる男性に惚れていると指摘しますよね。ただ、話を聞いてくれる男性はあっちが駄目で、あっちがいい男性は話を聞いてくれないという。
その両方を持っていたのが吉蔵さんだったんですね。そういう人と出会ったのが彼女にとって最大の幸福であり不幸だった。でも、幸福のほうが強かったんじゃないかな。
それほどの出会いをしながら、本当に彼女の望む形で二人キリになるには相手を消すしかなかったんですよね。彼女が信じられるものは死という永遠しかなかった。吉蔵は妻とはうまくいっていなかったのですが、彼に妻しかいなかったら彼女はあんなことはしなかったかもしれないな、って。彼女の頭の中にあったのは、吉蔵の妻ではなくて、他の愛人だったんじゃないだろうか、と。
―― ああ、小春ですね。
私の勝手な解釈ですけれど、小春の姿を見かけていなかったら、あそこまで
―― 終盤にピースがはまった瞬間「うわあ」となりました。ところで事件から二日後に捕まった時の写真で定さんが微笑んでいるのは、警官に「笑え」と言われたからなんですね。神妙な面持ちを求められそうなものなのに。
周りの警官たちも微笑んでいて、不思議な感じですよね。当時の新聞って、今の週刊誌みたいな見出しが躍っていたんですよ。定さんのことも「稀代の妖婦」みたいな煽る見出しで、半ば娯楽みたいに書かれていた中での逮捕の瞬間だったので、記者が「こっち見て笑って」みたいなことを言ったらしいんです。緊張で笑えずにいたら、「笑ってやれよ」と言って警官が手を握った、というのは資料にありました。
―― その感覚が理解しがたくて。出所後も安吾と対談しているように、もてはやされている雰囲気ですよね。そういう時代の空気だったのだなあ、と。
定さんの事件は、二・二六事件の約三か月後に起きたんですよね。あれだけ暗い事件があり、人々が取り締まりで押さえつけられている時に、彼女のやったことってアナーキーというか。それで人気が出たのも分からなくはない気はするし、それもあって、笑顔を求められたのかもしれませんね。
最後に登場する意外な証言者
―― 定さんの生涯のどこまでを書くかは最初から想定されていたのですか。
連載が後半にさしかかったところで編集者と打ち合わせをしました。殺したところで終えてもおかしくはなかったんです。でも、ほとんどの読者は彼女が長生きしたことを知らないのでその意外性も書きたいし、お定さんが辿りついた境地をちゃんと描写しないと、本当に彼女を書いたと言えないんじゃないかと考えました。その時の打ち合わせで、吉蔵の視点を書くかどうかも相談をしました。
―― そう、最後に登場する証言者が、亡くなった吉蔵なんですよね。あそこが本当に良かったです。吉弥さんの創作の悩みも描かれてきただけに、この小説の書き手であろう彼がここに辿りついたのか、という意味でも胸が熱くなりました。創作者の技を見た、という気持ちです。吉蔵さんに関しては写真すらあまり残っていないようですが。
吉蔵さんは生まれた家や来し方が全然分からないんです。麻布にお墓があるので、麻布の出だったのかなと思い旅館の息子という設定にしたんですけれど。
吉蔵の証言については、三分の二くらいまで書いたところでひらめいたんですね。絶対に聞けるはずのない死者の声を、読者の納得いく形で現代によみがえらせるというのは、物書きの大きな仕事だと思います。お定さんもきっと吉蔵の声を聴きたかっただろうし。
―― この二人は本当に、どうしようもなく“出会ってしまった”のだなと感じました。
そう思ってほしくて書いた物語なので、ほっとします。
自分はそんなことはしないということと、する気持ちは分かるということは両立すると思うんです。今の世の中、自分と似た登場人物に共感できる小説がクローズアップされている感じがしますけれど、小説の良さってそこだけじゃないですよね。自分とかけ離れてはいるけれど人間にはこういう瞬間があるかもしれないと思えるような、自分の中に新しいポケットがひとつ増えるみたいな小説をできれば書きたいなと思っています。
連載中は、ずっと自信がなかったんです。ただ、自分に都合のいい解釈なんですけれど、「今回はうまく書けたぜ」と思うものって、結局、今の力の範囲内で書いたということだと思うんです。不安になる時は、これまで超えられなかったところを超えようとしているんだろうな、って。もちろんどこかでは「いい」と信じて書くけれど、自信満々にならないくらいのほうがいいんだろうなと思うようになりました。
―― ところで、Rは物語の前半で、アナキストの金子文子の映画を撮影していますよね。村山さんご自身も金子文子に興味がおありなのかと思いました。
はい、あります。あの人も、なにも獄中死しなくても……と思うし、よく分からない部分があるんです。よく分からないほうが書き甲斐がありますね。
―― すっかり村山さんに評伝小説の書き手というイメージが加わりました。
評伝小説ならではの大変さもあるんですが、評伝小説ならではの楽さもあるんですよ。あまり楽をしないほうがいいなと思っていて。それこそ渡辺淳一先生が、評伝小説を書くのは七十代くらいになってからでいい、とおっしゃっていたんです。評伝小説はいつでも書けるから、体力があるうちは創作の小説を書くんだ、って。すごいですよね。
―― すごいです。評伝小説といっても、村山さんはその人の人生を直線で辿るのではなく、構造からしていろんな工夫と技巧があって、作家の創作性の醍醐味もたっぷりです。
そう言っていただけると、ちょっと胸張っていけます(笑)。
村山由佳
むらやま・ゆか●作家。
1964年東京都生まれ。93年『天使の卵―エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。著書に『星々の舟』(直木賞)『ダブル・ファンタジー』(柴田錬三郎賞、中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞)『風よ あらしよ』(吉川英治文学賞)『星屑』『放蕩記』『Row&Row』『記憶の歳時記』等多数。