東大駒場キャンパスの片隅、駒場小劇場から始まった〈吉見俊哉〉の創作プロジェクトはさながら「吉見小劇場」として発展し、数々の知の上演を重ねてきた。如月小春との出会いにより演劇に目覚め、見田(宗介)から社会学を学び、独特な都市社会学の方法を編み出していった吉見の軌跡を、吉見小劇場の元団員たちが演出家・脚本家〈吉見俊哉〉その人を問い詰めることで、確かめてみようとしたのが、この本だ。
俎上に載せられるのは、吉見の現在までの(ほぼ)全仕事。都市論、メディア論、文化政治学、アメリカ論、戦後日本論、大学論……、縦横に学問諸領域を渉猟してきた、この〈小さな巨人〉の正体を見極めようと、弟子たちの捜索がせまる。インタビュー形式をとっているが、「アタック・ミー」と吉見が呼んでいた、質問者が吉見の著作に容赦ない批判を投げかける、(幾分マゾな)演劇的訓練を思わせる厳しい突っ込みが行われる。ときにのらりくらり、ときに生真面目な説明、ときに韜晦、不意に逆襲という具合に、小気味よく展開するやりとりを追っていけば、いままで見知っていた著作のどこが他の著作に繫がっているのか。あるいは、似つかわしくないと思われたかもしれぬ、大学行政、学会、財団等の仕事が、じつに演劇的にモチヴェートされた〈役〉でもあったこと、大学の周縁から組織を換骨奪胎しようとするゲリラ戦でもあったことが分かってくるはずだ。未来はおそらく吉見的な大学を求め、都市が劇場として開かれることを待ち受けている。
そんな吉見にも、卒業の日はやってきた。東大といえば、安田講堂。そこは卒業式が行われるための場所。「吉見小劇場」には、いかにもふさわしからぬ「大講堂」。権力と権威の塔。そんな歴史の場所を借り切って行われたのが、「さらば東大」の最終講義。〈小さな巨人〉吉見俊哉はたった一人で舞台に立った。演目は「東大紛争 1968‒1969」。照明に照らされて、暗い客席に、思わず観客の眼差しを探す。それが誰の眼であったのか、本書を読み終えた読者には分かるはず。