[今月のエッセイ]
尾道生まれの少女
大林宣彦氏が監督した映画『時をかける少女』を観て、
初めて尾道を訪れたのは一九八五年の春だ。留年中だった私は授業料を稼ぐため、冬のあいだ、沖縄県の与那国島でサトウキビ刈りのアルバイトをした。援農隊という出稼ぎの一種で、農家に住み込み、ひたすら
筒井康隆氏のSF小説を原作とする映画のなかで、原田知世さんが演じる少女は、タイトルそのままに「時をかける」が、尾道からは動かない。それはそれでかまわないけれど、新作『あけくれの少女』で、私は尾道で生まれ育った真記を風光明媚な故郷から旅立たせたかった。それも、大学進学を機に東京に向かわせたかった。
コロナ禍の影響もあり、地方に注目が集まっているという。移住するひとも増えているというが、ひとも物も集まる都会で一度は暮らしたいと思うのは人情だし、一九七〇年生まれの真記にとってはなおさらだ。かつて地方と首都の差は、それは大きなものだった。
見知らぬひとばかりの都会で生活してゆくには知恵と工夫がいる。しかもネット社会の昨今と違い、情報は足を使って集めるしかないし、交渉は直談判。機知と機転をフル回転させつつも、最後にものを言うのは誠実さだ。
「尾道スクールデイズ」「飯田橋キャンパスライフ」「ハワイクルージング」「利尻ホームカミング」と章立てられた真記の物語を書き進めながら、私は小学校教諭の妻や、それぞれ職につき、家庭を営む三人の妹たちのことを考えた。お世話になっている編集者、新聞記者、書店員さんたちのことも考えた。
その気になれば、かのロビンソン・クルーソーがそうしたように、男性は行き先も決めずにぶらりと歩きだせる。女性がなかなかそういかないのは、ほかならぬ男性たちを警戒せざるをえないからだ。
コロナ禍は全世界に甚大な被害をもたらしたうえに、分断と対立はさらに深まっている。それでも新たな出会い、新たな経験を求めるひとびとの活動はやむことがないだろう。
最後に近況を述べれば、「すばる」誌上で本作の連載が始まる直前の二〇二二年夏、私は自宅で急激な体調不良に陥り、人事不省となった。コロナ第七波の最中で、救急車の到着まで一時間半以上かかり、妻と息子は私が死んでしまうと思ったそうだ。新型コロナウイルスに感染したのではなく細菌性肺炎で、免疫力が著しく低下していたために重症化し、頑健だったからだは一夜にして枯れ木のごとくやせ細った。十数年、公私ともに多忙を極めていたため、からだが悲鳴をあげたのだ。管を何本も繫がれて、病室のベッドに横たわった私は、ただ呆然としていた。
入院は三週間と二日に及んだが、すでに全編を書きあげていたこともあり、予定通りの連載開始となった。退院後に自宅で毎月の掲載分を改稿しながら、私は真記の奮闘に励まされた。愉快な場面ではたっぷり笑い、しんどい場面では涙を抑えかねた。食欲旺盛な子なので、食事のシーンが多いせいか、つられて私もよく食べて、全八回の連載が完結したときには、すっかり回復していた。効用には個人差があると思いますが、元気を出すのにはピッタリの小説だと思います。
佐川光晴
さがわ・みつはる●作家。
1965年東京都生まれ。2000年「生活の設計」で第32回新潮新人賞を受賞しデビュー。著書に『縮んだ愛』(野間文芸新人賞)『おれのおばさん』(坪田譲治文学賞)『あたらしい家族』『大きくなる日』『日の出』『昭和40年男~オリンポスの家族~』『満天の花』『猫にならって』等多数。