[本を読む]
女性たちの視点で浮かび上がる
“連続殺人犯”の人生
善と悪の境界は脆く、幸福と不幸の領域も紙一重の差である。『死刑執行のノート』はそのような曖昧な世界の姿を写し取った小説だ。
本書はアンセル・パッカーという一人の死刑囚が、刑の執行を十二時間後に迎えようとしている場面から始まる。アンセルは“セオリー”と名付けた五冊のノートをつけており、処刑室のある刑務所へと移動する前に、このノートを独房に置いていくことにした。
アンセルの刑が執行されるまでの十二時間の姿を描く場面と並行して、三人の女性が描かれる。アンセルの母親であるラヴェンダー、アンセルの妻であるジェニーの双子の妹ヘイゼル、ニューヨーク州警察の捜査官であるサフィことサフラン・シン。いずれも後に死刑囚となるアンセルの人生に大きく関わり、また自分自身の運命も歪んでしまった女性たちの目を通して、アンセルの生い立ちと彼に翻弄される人々の姿が綴られていく。
ミステリには事件小説と呼べる分野がある。被害者・加害者だけではなく、ある犯罪に関わった複数の関係者の視点を重ねることで物語を浮かび上がらせるものだ。二〇二三年にエドガー賞(アメリカ探偵作家クラブ賞)最優秀長篇賞を受賞した本書も、まさしく事件小説の手法をもって描かれた作品である。過酷な運命を辿る女性たちの視点から、事件とその当事者が己の人生にもたらした波紋が描かれていく。
作中で繰り返し描かれるのは、登場人物たちが自分や他人のあり得たかもしれない人生を思い浮かべる場面である。ふとした弾みで人間の運命は容易く変化するもので、自分が辿っている運命には唯一絶対の結末は無いのではないか。そうした普遍的な問いがこの小説にはある。それは重大な罪を犯したとして死刑囚となったアンセルにとっても同じだ。刑執行寸前のアンセルを描くパートは“あなた”という二人称によって書かれている。その“あなた”への呼びかけはアンセルだけではなく、本の向こう側にいる読者自身に向けられたものでもあるのだ。
若林踏
わかばやし・ふみ●ミステリ書評家