[本を読む]
この私の内外の靄
本書では、くぼたのぞみ、斎藤真理子のお二人が、翻訳という仕事(それは「日本語が衰退しないための必要不可欠な作業」)、子供について(「小さな子供を育てている最中にありありと自覚したのは、自分のなかの小さな子供を捨てることだった」、そう、怖いなどと親の私は言っていられず、自分の中の子供は封印せざるを得ないのだというその衝撃。子が幼ければ一日を予定するのも変更するのも、歩く道一本決めるのも私で、その道中でこの子が怪我でもすれば痛がるのはこの子、成した選択、決定を悔やむのは私だという予感のその怖さ)、心に残る本(「おまえの人生の/矛盾を/ショールのようにして/身を覆うがよい/石つぶてを避けるために/からだが冷えぬように」という、アリス・ウォーカーの、何と励まされる詩)、書くことについて(言葉にするしないは、出来事に優劣をつける危険性も持つ、しかし「言葉にしなければ全部が流れていってしまうから、記録するしかない」)、など様々なことを、往復書簡の形で語り合う。
話題は多岐にわたる、どこに興味を持ち、そこから生活の中にどう広げるかは、それぞれの読者によるだろう。「作品は読者にとっての『紙の鏡』」なのだから。心に残るのはやはりお二人の、ものへの接し方の形容だろう。若い頃は闇の中を歩くようで、不安なほどに視界も悪く、己の眼鏡の曇りにさえ気づかない、曇りも何も知らない頃は遠近も分からず、大事なものを選んで焦点を当てられない、「見晴らしを手に入れたと思っても」、景色自体が傾いていくかもしれない。物事に相対することの何と困難なことか。このように、語る先人たちがいるのだ、後から行く者として心強い。「いつもものごとは遅れてしかわからな」いというその不安、子供には見せないようにするが私の胸の中にもある、恐怖を自覚する。この生き延びることも難しいと感じる時代を、無力感だけ抱くのではないやり方でやっていく、その励ましとなる一冊だろう。
井戸川射子
いどがわ・いこ●作家