[本を読む]
人種や性別、時空を超えて錯綜する、
多声の織りなす物語
二〇二一年のゴンクール賞受賞作『人類の深奥に秘められた記憶』が日本語で全姿を現わした。予想を上回る圧倒的傑作である。まだ九月とはいえ、間違いなく本年の翻訳文学ベストの一冊だ。
T・C・エリマンというセネガル出身の幻の作家を追い求めることで、書くという行為と人間の深奥にある本性を探求する物語だ。エリマンは第一次大戦中の一九一五年にセネガルの村に生まれ、パリの大学に学び、『人でなしの迷宮』という「血にまみれた一人の王」の暴虐きわまる所業を綴った小説を二十三歳で発表した伝説の作家。「黒いランボー」の異名を与えられ、フランス文学界の話題をさらったものの、セネガルのある民族の神話、西洋古典、現代文学に至るまで
物語の背景には、第一次大戦、第二次大戦をはじめとする数々の戦争がある。アルゼンチンではクーデターにより軍事政権が樹立され、二十一世紀にはセネガルでデモと蜂起の時代がつづく。ここに本作の語り手も巻き込まれていく。
エリマンが注目されたのは、剽窃という事件性もさることながら、アフリカ人であったことも大きい。ここで、本作がモデルとしたフランス文学界の出来事を紹介しておいたほうがいいだろう。訳者解説に詳しく記されているが、巻頭には「ヤンボ・ウオロゲムのために」という献辞が掲げられている。ウオロゲムはマリ(当時はフランス領スーダン)に生まれ、デビュー小説『暴力の義務』(邦訳は岡谷公二)が絶賛されて、ルノードー賞まで受賞した実在の作家である。
『暴力の義務』はアフリカの架空国家「ナケム」を舞台に、サイフ(王)の「暴力の哲学」の残忍な実践を余すところなく描いた衝撃作だ。アフリカ人による驚異の文学と称揚されたのち、グレアム・グリーン『ここは戦場だ』や、アンドレ・シュヴァルツ=バルト『最後の正しい人』などから盗用していると批判され、本は回収されて、作者も文学界から姿を消したという。『人類の深奥に秘められた記憶』に登場するエリマンと『人でなしの迷宮』も同様の道を辿るのだ。
しかしその経緯を語り伝える本作の手法はじつに複雑だ。案内役はジェガーヌ・ラチール・ファイというセネガル出身の若い作家。パリの大学を卒業したのち、アルジェリアの革命に参加するフォトジャーナリストの恋人に去られ、『空虚の解剖』なる小説を発表するが、七十九部しか売れず、それでもある批評家が「ル・モンド」に書評を寄せたことで、期待のアフリカ人作家となりおおせる。
彼が高校生の時から追い求めていたのが、T・C・エリマンだった。その幻の書を探しあぐねているうちに、六十近いアナーキーな大作家シガ・Dと知り合う。彼女を尊敬しているというわりにそのバストに欲情してしまうジェガーヌ。重要なのはこの女性作家が『人でなしの迷宮』を一冊所有しており、本作の主な語り手の座を乗っ取る仕儀になることだ。彼女の登場でこの小説はどんどん語りの入れ子構造を深めていく。ナラティヴが複層し
若いジェガーヌは語り手としてはある意味で“やわい”。しかしそれゆえに、とくに「第二の書」以降、語りの座を様々な話者へと譲り渡し抱擁する力をもつ。かくして、彼をいちばん大枠の語り手として、その中にシガ・Dによる大量の打ち明け話があり、さらにその中に彼女と年の離れた父ウセイヌの臨終の告白、シガ・Dがブリジッド・ボレームという女性評論家から聞いたエリマン失踪にまつわる調査内容、ボレームの著書の引用、さらにボレームによるエリマンの出版人の一人テレーズ・ヤコブへのインタビュー、シガ・Dを支援していたハイチの女性詩人による回想などが
さらに、章の間に挟まる「第〇の伝記素」という、語りの位相の違う“
エリマンは評論家たちの「読み」の
鴻巣友季子
こうのす・ゆきこ●翻訳家、文芸評論家