[今月のエッセイ]
愛すべきポンコツたち
三年近く前になるが、
さてこの岡左内、当時の武士には珍しく利殖に
しかし、ただの変人ではなかった。
関ヶ原の戦いに際し、奥羽でも東軍方と西軍方に分かれて「慶長出羽合戦」と呼ばれる戦いが繰り広げられていた。上杉家は西軍方である。そもそも徳川家康の会津征伐が関ヶ原の契機となったのだから、これは当然の成り行きであろう。
この戦いの折、左内は自らの財を皆に貸し付けて上杉の戦を支えた。しかも戦後、貸し付けた証文の全てを燃やし、びた一文取り立てようとしなかったという。稀に見る変人、しかし胸のすく稀代の快男児であった。
こういう痛快な人の物語を、もっと書けないだろうか。そう思った私は、仕事の合間に片っ端から調べ上げるようになった。
ところが掘り出されてきたのは痛快な人ではなく、ただの変人、偏屈の山だった。左内のような快男児は、残念ながらそう幾人もいないらしい。それに比して、日本史の記録に残されたポンコツ人間の何と多いことか。変人、偏屈、また変人。こっちは奇人、あっちは残念すぎる人。英傑と目される人物にも、相当に残念なエピソードが残されていたりする。
などと見続けているうち、不思議なことにそういうポンコツたちが慕わしく思えてきた。それは、誰もが生々しい人間だったからだ。お釈迦様が「人間は愚かさに於いて平等だ」と仰せられているとおり、世に完璧な人などいないのである。欠点があってこそ親しみも湧く、欠点まで含めて愛すべき存在、人とはそういうものではないだろうか。
余談だが、お釈迦様にも有名なポンコツエピソードがある。修行に没頭したいと思っていた折、息子の誕生を聞いて言った言葉が息子の名となった。その名はラーフラ。
それはさて置き。
ポンコツたちへの見方が変わってゆくほどに、それらの人々と私のパーソナリティに共通するものが分かるようになってきた。
この人の、この考え方。俺と同じだよ。
あの人が世に背いたのは、俺が漠然と抱えている不満と根っこが同じかも知れない。
この人が破天荒な生き方をしたのは、実は俺と同じものを重んじていたからだったのか。
いやはや、重なるところが結構多い。そうかと思うと、私とは似ても似つかないタイプの人物も多かった。いずれにせよ、どの人物にも
そうした人々から、今回の『戦国・江戸 ポンコツ列伝』では八人を取り上げた。
旗本から身を持ち崩して堕落したが、最後にはどこか悟りを開いたかに見える
徳川家康は何かと言えば「腹を切る」と口走った。大坂の陣で
同じ切腹絡みでも、臆病ゆえに逃げ回った森川
奥羽の雄・伊達政宗は、実は破天荒の代表格である。この人は刀に
小田
ともすれば「信長の弟なのに」と言われがちな織田
などなど、あれこれ思いを巡らせながら物語にしたためた。八人のポンコツたちの、人間としての魅力を伝えられたら幸甚である。
なお物語である以上、史実を曲げない範囲で虚構、噓が練り込まれている。それも今回は普段と違い、ポンコツぶりを際立たせるための噓だ。主人公に据えた人々の御霊にはまことに申し訳ないが、小説家は「噓をつくのが仕事です」というポンコツなので、何とぞご容赦願いたいところである。
吉川永青
よしかわ・ながはる●作家。
1968年東京都生まれ。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞を受賞、翌年同作でデビュー。著書に『闘鬼 斎藤一』(野村胡堂文学賞)『高く翔べ 快商・紀伊國屋文左衛門』(日本歴史時代作家協会賞作品賞)『家康が最も恐れた男たち』等。