[発表]
第二一回
開高健ノンフィクション賞
受賞作発表
正賞=記念品
副賞=三〇〇万円
主催=株式会社集英社
公益財団法人一ツ橋綜合財団
【受賞作】
『МОСТ
「ソ連」を伝えたモスクワ放送の日本人』 青島 顕
【選考委員】
加藤陽子/姜尚中/藤沢 周/堀川惠子/森 達也 (五十音順・敬称略)
【選考経過】
第二一回開高健ノンフィクション賞は、一三四編の応募作品のなかから慎重に検討し、左記の通り最終候補作を選び、七月八日、選考委員五氏によって審議されました。その結果、上記の作品が受賞作と決まりました。
【最終候補作品】
『ラスト・フタバ・イン・サイタマ』 日野行介
『ライチョウ、翔んだ。』 近藤幸夫
『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』 村瀬秀信
『МОСТ 「ソ連」を伝えたモスクワ放送の日本人』 青島 顕
『ウクライナの「戦場」を歩く』 伊藤めぐみ
受賞の言葉―― 青島 顕
嫌われた国で働いた人々
ロシアがウクライナに侵攻して間もなく、日本国内で「ロシア叩き」が始まった。ロシア料理店に嫌がらせの電話が入ったり、ロシア大使館の最寄り駅のロシア語表記が消されたり。理性を欠いた行いに、知人のロシア人女性は体調を崩してしまった。
私が子どものころ、1970年代後半の日本にも、同じようなことがあったのを思い出した。ソ連(現ロシア)のことをみんなが嫌っていた。女子バレーボールの国際大会があると、小学校の級友は「ソーレン、マケタ」とわざわざ節をつけてはやしたてた。「ずるい」「悪」――私の中にもいつの間にか、そんなイメージがしみついていた。
得体の知れない物への恐れだったのだろうか。なぜ嫌いなのか、その感情はどこから生まれてくるのか、不思議だった。
1980年代半ばになって、ゴルバチョフ大統領が進めた改革開放政策によってソ連社会の姿が少しずつ見えてきた。それによって日本人の負の感情は和らいでいった。だが、心の奥底には残っていたのだろう。情報機関出身者であるプーチン大統領が起こした侵略戦争によって、30年、40年のブランクを経て、日本の人々にあの感情が再び呼び起こされたように思えた。
その正体を知りたくなったところ、旧ソ連のプロパガンダ(宣伝)ラジオ放送だったモスクワ放送の日本語アナウンサーを30年ほど務めた
話が聞けたらニュースになるのではないか? 面識はないけれども、取材を試みてみることにした。フェイスブックを見つけて連絡を取り、恐る恐る通話ボタンを押した。思いがけず、ラジオと同じ優しい感じの声が聞こえてきた。数日前にモスクワから帰国し、神奈川県内の実家にいるのだという。落ち込んだ様子で「疲れている」と話したが、どういうわけか話が終わらない。2時間近くたって、私が聞き出したいと目論む情報はほとんど引き出せないまま面会の約束をして通話は切れた。
戦争下のモスクワの市民の様子、日本人のロシア嫌いの正体を探るための取材だったが、会ってみると、そういった「普通の話」はあまりしてくれなかった。一方で、あの嫌われた国で働いてきたのはどうしてなのか、という方向に話は広がっていた。
取材テーマもそちらにシフトした。戦争の中で、このようなことを取材していてよいのだろうか。悩むこともあったが、日本語放送開始80年に当たることもあり、日向寺さんのほかに、何人もの元アナウンサー、スタッフの方々が話をしてくださった。
2023年1月、毎日新聞の日曜朝刊「迫る」にモスクワ放送で働いた日本人のことを書いたところ、多くの読者を得た。取材を続けるうちに新たな出会いや発見もあり、今回、望外の大きな賞をいただいた。
国と国との関係を少しでもよいものにしたいと働いた人たちの思いをくみ取り、よりよい本を出したいと思う。
第21回 開高健ノンフィクション賞 選評
驚きの波動を
加藤陽子
初めての選考会に臨むにあたって、開高健による伝説のアマゾン紀行本『オーパ!』(写真・高橋曻)を手にとる。その開高の文章の中に「驚くことを忘れた心は、窓のない部屋に似てはしまいか――」との言葉があった。読み手の心に驚きの波動を生じさせることができるかどうか、これはノンフィクションの価値を問う指標の一つとなりえよう。
日野行介氏の『ラスト・フタバ・イン・サイタマ』は、良いタイトルを冠した作だったが、惜しいかな、福島県
伊藤めぐみ氏の『ウクライナの「戦場」を歩く』は、開高の『夏の闇』を
私がノンフィクションに求めたいのは、「事件」ではなく「文化」を対象に描いてみるということだ。文化が対象ならば、そこには人間の社会や歴史の「厚み」が
近藤幸夫氏の『ライチョウ、翔んだ。』と青島顕氏の『
近藤氏の選んだ対象は、半世紀前に絶滅したはずの中央アルプスに一羽だけ生存する「飛来メス」と、卓絶した才覚で復活作戦に挑む鳥類研究者「中村浩志」という最強の組み合せだった。「急所というものは、短所よりも長所にあることが多い」と述べたのは川端康成『文芸時評』だが、近藤氏の作品は選んだ対象の組み合せが良すぎたためか、物語の展開力に乏しい
青島氏の作は、人間の社会や歴史の「厚み」を驚きとともに私に教えてくれた、「ザ・ノンフィクション」としての風格をたたえる。1942年にソ連の国家情報戦略の一環として開始され、2017年に役割を終えた対日ラジオ放送の全体像を、それを支えた日本人アナウンサーやリスナーの群像劇として描き出す。書き手の静かな理性の
作品は「時代の子」だ
姜尚中
加藤陽子さん、堀川惠子さんという、それぞれ、斯界を代表する新たな選考委員を迎えた選考会は、実に談論風発のスリリングな議論の場になった。共感したり、反発したり。それこそ、ゲーテの「親和力」が働く場での選考は、まるで抜き身の真剣勝負という雰囲気だった。
そして最後は「親和力」のおかげで、落ち着くべきところに落ち着いた。そんな感じの選考会だった。後味も
賞に輝いた青島顕さんの『
なお、個人的に高い評点を与えたのは、伊藤めぐみさんの『ウクライナの「戦場」を歩く』だった。実際に足を運んだ戦場での体験は、タイトルに記されている「歩く」などという悠長なものではなかったことは言うまでもない。その地を
村瀬秀信さんの『虎の血』は、読み物としては抜群に面白かった。しかし、
また、日野行介さんの『ラスト・フタバ・イン・サイタマ』は、著者の長年にわたる一念が
最後に近藤幸夫さんの『ライチョウ、翔んだ。』は、候補作の中で最も充実した構成と取材力を感じさせる作品であった。ただ、作者が私淑する本作の主人公ともいうべき鳥類学者・中村浩志氏の「人間的な」陰影が物足りなかった。もっと突っ込んだ描写が出来ていれば、感動も大きくなったはずだ。
いずれにしても、久しぶりに興奮した選考会だった。
文と人と事実
藤沢 周
ノンフィクションは、まず事実。混沌とした情報の藪に自らの足で分け入り、真実を
今回、読み物として圧倒的に面白かったのが、村瀬秀信『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』。1955年、たった33試合で退任となった還暦過ぎの男の物語は、タイガースの「お家騒動」と近代史を絡めて、一気に読ませる。だが、一人の人間の抱える孤独や闇、歴史が、あまりにこなれた週刊雑誌的文体と面白おかしく書くサービス精神ゆえに色を変えてしまった。「俗」ゆえの
日野行介『ラスト・フタバ・イン・サイタマ』は、福島第一原発事故の折に双葉町民を県外避難させた元町長を取材。人権と人命を無視する虚偽だらけの国策に抗い、闘い続ける男の物語は、沖縄の米軍基地問題とも通底し、多くの示唆に富む。だが、その文章。表現。一般市民の人権を守ろうとする運動を追っているにもかかわらず、元町長以外の者たちへの書き手の眼差しが不遜とも思えるほどに上からなのだ。卓越した取材力を生かすためにも、まずは懸命に生きる人々への基本的な敬意や尊重が欲しい。
表現することの怖さを踏まえながら、自らのフィルターをできる限り透明にして真実に迫ったのが、近藤幸夫『ライチョウ、翔んだ。』と、伊藤めぐみ『ウクライナの「戦場」を歩く』。
前者の中央アルプスにおける「ライチョウ復活作戦」についてはテレビ番組などで知ってはいたが、これほどの密着かつ緻密な取材を通しての報告には
そして、青島顕『
多くの仲間たち、挑め!
堀川惠子
(C)MAL
選考に初参加です。想像以上の力作ぞろいで、一頭地を抜いていたのが『ライチョウ、翔んだ。』。鳥になどまったく関心のない私が、近藤さんの丁寧な取材、端的な文章、対象への惜しみない愛情にぐんぐん引き込まれました。絶滅寸前のライチョウ復活作戦、奇跡のような「飛来メス」の発見、
受賞作『
『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』。完成度が高く、文句なしに面白い作品でした。面白すぎて抱腹絶倒。でも腹をよじりながら「ただ笑っていていいのか?」と自問自答が始まります。これはノンフィクション? 小説? どこまで真実? どれだけ盛ってる? 事実と虚構の境界線はどこ? 亡き主人公に対する辛辣な描写に、死者の尊厳はどこまで守られるべき? などと熟考するうち、開高健さんの渋い顔が脳裏をよぎりました。
『ウクライナの「戦場」を歩く』は飾らない文体で、ロシア語話者をめぐる葛藤から複雑なウクライナ人の心情を「虫の眼」で追います。二カ月という限られた期間の現地取材で世に出すタイミングも逃した感がありますが、今後の可能性は本書が一等賞。伊藤さんにはもっと重厚な作品を生み出す馬力がありそうです。
『ラスト・フタバ・イン・サイタマ』は時代に置き去りにされる人たちを追う日野記者の執念に敬服しつつ、目線の高さが気になりました。重心を下げると異なる風景が見えてくるかもしれません。
最終候補5作品のうち3作品が新聞記者によるものという結果を少し寂しく思いました。「誰でも一生に1本は最高のノンフィクションが書ける」とは、尊敬する立花隆さんの言葉です。力作ぞろいの作品に順位を付けねばならぬ経験を経て、私も痛感しました。ノンフィクションって、他人の作品を読むより自分で書くほうがだんぜん楽しい! 間口の広い開高賞に多くの仲間たちに挑んでほしいです。
現実はもっと多面的だ
森 達也
今年の候補作5作のうち3作は、現役か退社したばかりの新聞記者が書いている。だから読みながら、どうしても文体について考える。例えば自分自身を主語にした記事は、新聞においては基本的にご法度だ。でもノンフィクションの領域で書くならば、主語は自分以外にはありえない。ならば述語も変わるはずだ。
一年前に記者をやめたばかりの日野行介は、『ラスト・フタバ・イン・サイタマ』で記者として束縛されていた文体を解放した。でもそれが裏目に出た。僕以外の選考委員も指摘すると思うが、言葉として「家臣」にはやはり違和感がある。「
大きく分けてノンフィクションは二つにカテゴライズされる。テーマを掲げて正面から
『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』を書いた村瀬秀信は、圧倒的に文章が
受賞作『
ロシアによるウクライナ侵攻以降、テレビのニュースなどを観ながら、ロシアとウクライナを悪と正義の単純な構図にはめ込む風潮やメディアの報道に、ずっと割り切れない思いを抱いていた。現実はもっと多面的で多重的で多層的だ。複雑な実相を安易に四捨五入すべきではない。でもテレビには尺の限界がある。ロシアの肩を持つのかと視聴者に反発されれば、スポンサーは嫌がる。何よりも多くの人は複雑さを嫌う。ならば文字数の制限がないノンフィクションで伝えるべきだ。
ずっとそんな思いでいたからこそ、『ウクライナの「戦場」を歩く』を僕は推した。でも力不足で他の選考委員たちを説得できなかった。最後に苦言をひとつ。文章をもっと
青島 顕
あおしまけん
1966年静岡県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。現在、東京社会部記者。実践女子大学短期大学部および学習院大学で非常勤講師を務める。共著書に『徹底検証 安倍政治』『記者のための裁判記録閲覧ハンドブック』。
加藤陽子
かとう・ようこ
姜尚中
カン・サンジュン
藤沢 周
ふじさわ・しゅう
堀川惠子
ほりかわ・けいこ
森 達也
もり・たつや