[インタビュー]
ずっとむかつきながら書いていました
『犬のかたちをしているもの』(二〇一九年)で、第四十三回すばる文学賞を受賞し、『水たまりで息をする』(二〇二一年)が芥川賞候補に、そして『おいしいごはんが食べられますように』(二〇二二年)で、見事芥川賞を獲得した高瀬隼子さん。どの作品も女性の中に
主人公の
聞き手・構成=宮内千和子/撮影=山口真由子
むかつきを笑顔に変えても
何も変わらなかった
―― すばる文学賞を受賞して二作目で芥川賞候補、三作目で芥川賞の受賞は本当にすごいですね。高橋源一郎さんとのすばる文学賞受賞記念対談(本誌二〇二〇年三月号掲載)で、「女性としてむかつくことが、多々、多々、多々あります」とおっしゃっていましたが、この『いい子のあくび』をはじめ、高瀬さんの作品には、女の人が日々どこかで感じているむかつきが溢れています。
私、緊張するたちで、源一郎先生との対談は頭が真っ白になっていたんですが、ものすごく引き出し上手な方で、こういうことが書きたいとか、自分の中にある感情について、いつの間にかお話をすることができたなと感謝しています。
「いい子のあくび」は、この対談のときにはもう書き始めていました。デビュー直後だったので、まだ自分が小説家という意識はなくて、働いている三十代女性、普通のOLが日々生きていると、むかつくなあということがやたら多いと思って。道を歩くだけでむかつくし、電車に乗るだけでむかつく。その気持ちを、別に攻撃されているわけじゃないのにと思っていたけど、じつは攻撃されているんじゃないかと思い直してみたり。実際に私自身はその体験をしてなくても、こんなことがあったらむかつくな、これがあったらさらにむかつくなと、嫌なことを想定して脳内でどんどんむかつきを生成していった感覚はありました。
―― 普段感じていたむかつきの多々、多々が溢れ出したという感じですね。
そうですね。そういう感じがしました。
―― 作品の中に「感情の損得勘定」という言葉が出てきますが、日々いい子であるために大変なエネルギーを使っているのに、それを搾取されている、割に合わないよねという気持ちって、誰にでも心当たりがあると思います。
何かにむかついてもそれを正直に態度に出しても、自分に得がないから出さないということは皆さんもあると思うんです。私も企業で十二、三年働いていて、何かあっても露骨に不機嫌になったりはしませんが、それって本当に割に合わないなと感じていました。
でも、自分がにこにこしてやり過ごしたせいで何も変わらなかった。私は今年三十五歳になるんですけど、過去の自分が笑ってやり過ごしてきたことで、今の二十代の女性にしわ寄せがいっているんじゃないかと最近思うようになりました。「それセクハラなのでやめましょうよ」と私が二十二、三歳のときに言っておけば、今の新入社員の女の子は同じ目にはあわなかったんじゃないかとか。職場だけでなく、そういう場面がいくつも思い浮かびます。
人の親切を当てにしている
社会って何?
―― 小説の冒頭は、スマホを見ながら自転車に乗っている少年に、主人公の直子がわざとぶつかるシーンです。ケガしたっていいからぶつかったる。絶対によけてやらないぞと。物騒ですが、その直子の気持ちはちょっと共感できます。
駅でも道でも、歩きスマホの人が来たらよけてあげる人のほうが多いから日々事故がないわけじゃないですか。でも、よけてあげるのをやめたらどうなるんだろう。みんなよけなくなったら、一分間で何人も事故にあうと思うんですね。今って、気づいたほうがしてあげる、かばってあげる、守ってあげるから回っている社会なんですね。人の親切を当てにしている。そういう社会ってもう嫌だなと思う気持ちもあって、このシーンを書きました。
―― その意味では、この作品の主人公には高瀬さんの気持ちがかなり入っている感じですか。
この作品は、一度書き上げてから改稿して、改稿して、改々々々稿ぐらいまで手直ししたんです。書き始めはもちろん私自身のむかついた感情からスタートしましたが、私はこれしないなということを直子はどんどんしていくので、自分とは違う人になっていった感じがします。ただ、直子もそうですが、ぐるぐるぐるぐる考え続ける登場人物を出しがちで、そういう主人公が書きやすいんだなと最近思います。自分はこれを考えていると思っても、もう一人、さらにもう一人の自分が外から見ていて、一人の人間なのに三人ぐらいが、ぐるぐる思考を巡らせている。かといって、別に客観的に冷静なことを考えているわけじゃない。そんなふうに、単にぐるぐる考えてしまうことが私にもよくあるので、そこは似ているかもしれないですね。
―― 作品中にも、直子が自分の感情について、パズルのピースのようにばらばらだと感じる場面がありますね。一つじゃない、いろんな感情がせめぎ合っている。高瀬さんの小説を読んでいると、そんな複雑な感情が立ち上がってきて、自分の内面を探検しているような気持ちになります。
ありがとうございます。そんなふうに読んでもらえたらいいなと思います。でも、難しいですね。書いているときは、全然共感してもらおうと思っていなくて、むしろ、怒られそうですが、読者の顔を全然想定していなくて……。というか、いつも追い詰められながら書いているので(笑)。
―― 以前も、取り残される焦りのようなものが常にあるとおっしゃっていましたね。
小説家デビュー前、三十歳で『犬のかたちをしているもの』を書いていたときは、特に顕著でした。私、一生小説家になれない、やばいと思って……。周りに仕事や家庭や勉強やいろんなことで頑張っている友達が多かったので、自分は何してるんだろう、締め切りにも間に合わず応募もできないんじゃないかと、すごく追い詰められていました。デビューしてからは、年齢や周りに対する焦りが、小説家になれても一作で消えるんじゃないか、二作で消えるんじゃないかというプレッシャーにすり替わって。
芥川賞を頂いてからは、本を読んでくれる人が増えたのはうれしいけれど、三年後、五年後に消えているかもとか、調子に乗ってしまって嫌われるんじゃないかとか、やっぱり追い詰められている。一方で、一人で家でぼーっとしていたりすると、小説はずっとやっていこうと思うけど、それだけではない自分の人生の先行きを考えて不安になる。その焦りや不安がまた小説のスタートになったりするんですね。
自分は信用していないが
できた作品は信用している
―― 『いい子のあくび』には、表題作のほか、「お供え」「末永い幸せ」と短編が二編収められていますが、やはり自分の中の不穏な気持ちに翻弄される人物が登場します。高瀬さんの「書きたい」を触発するものって何でしょうか。
何でしょう。かっこ悪いんですけど、いつも先の目標や書きたい像がもわっとしていて、定まっていないんです。どちらかというと、今書いているこの作品もどうせ完結せず発表できないだろうな、みたいな気持ちばっかりで(笑)。とにかく書かねばと思っている。書くときのテーマも、多分これかもしれないぐらいの設定しかないので、今日の私はこう思っているけど、どうせ変わるんでしょうと、作者自身、あまり信用していない。ただ、創作って何だろうと考えるときに、書けなかったら書けなかっただし、書き終えたら、その中に書きたかったものがあるのかなと思う。自分はあまり信用していないけど、できた作品のほうは信用しているので、小説に登場するこの子が何か教えてくれるはずと思って書いています。
―― 自分が目標を決めてそこに辿り着こうとするのではなく、登場する人物が導く方向にまかせるわけですね。そういえば高橋源一郎さんも、思い通りにいかない小説のほうが正しい書き方だとおっしゃっていました。
そうなんです。小説には寄り道が大事だと源一郎先生がおっしゃっていて、私も書くときはいつもそれを念頭に置いています。源一郎先生のその言葉を、自分のパソコンのデスクトップの付箋アプリに書いて、小説の執筆中に右上のところにいつも出てくるようにしています。
プロットを立てるのが下手なのもあるんですが、これが書きたい、こう書けるはずだというのは全然信用できなくて、実際に書けたためしがないんです。短編ですらプロットも曖昧なまま書き始めるので、この本の「末永い幸せ」も、結婚式が嫌だなと思う主人公は決めていましたが、仲良しの女友達の結婚式に「私、行かない」と言わせてしまってから、このあとどうするんだろうと思って。それで、どうするの? と彼女に聞いたら、結婚式場のホテルまでは行くというので、そのようにしたんです。
―― 彼女がホテルでどんな行動を取るかは、この話の要なので伏せますが、つまり物語の行き先は登場人物にゆだねている、連れて行ってもらうということですね。
そう思います。結婚式に行かないというのに、いつの間にかホテルに行っていたので、私も「はあー?」と思いました(笑)。登場人物の思いがけない行動に私自身が驚かされることがよくあります。
苦しみやむかつきは
いろんなもので形成されている
―― 高瀬さんは、子供の頃からネガティブな感情に対して敏感な子でしたか?
どちらかといえば暗い子供でした。快活で明るくて元気いっぱいではなかったかなと自分では思います。学校ではみんなと普通に話していても、家に帰って寝る前に、あのときみんな笑っていたけどどうなのかなとか、変な感じだなとか、一人になってから思ったりする子でしたね。
私の作品はよく暗い、救いがないって言われるんです。作品を読んでくれた読者の方から、いつも暗くてつらそうな話だから、主人公に明るい未来が待ってそうな解決策が示される話も読んでみたいという声もありました。でも、むかつきってどうすればなくなるんでしょうか。そんな解決策があるのかなという懐疑心もすごく強くあります。一つの事象に対しての解決策はあるかもしれないけど、苦しみって一個じゃなく、いろんなもので形成されているので、全部を解決するものって私には思いつきません。
―― 『いい子のあくび』にしても『おいしいごはん~』にしても、むかつきの感情がどう発動されるか、非常にうまく表現されていて、読んでいると自分のよくわからない苛立ちの正体が見えてくる。そう感じているのは自分だけではないということで救われる読者は多いと思うのですが。
ありがとうございます。そうであればうれしいです。何かむかつくことがあっても、頑張って持ちこたえてしまう人って多いですよね。身近にもたくさんいます。働いている三十代半ばの同世代の女性には、お子さんがいる方も多い。仕事で何十時間も残業して、限界をとっくに超えてもう無理だと思うのに、栄養ドリンクなんかを飲みながら必死で何とかしちゃっている。でも、私だけが割を食っている、そんなの不公平だよという感情は拭い難くあると思う。私も働いていて、そういう声が身近に聞こえやすいところにいるので、やっぱり書きたくなってしまうんだと思います。
今書いている小説は、女性の苦しさに焦点を当てたものではないのですが、現代日本を舞台にした話であれば、女性を出しただけで何かしらの苦しみや大変さは確実に書かざるを得ないと思う。今後書くものにも、むかつきや苦しさはちょろちょろとしみ出るだろうなとは思っています。
高瀬隼子
たかせ・じゅんこ●作家。
1988年愛媛県生まれ。立命館大学文学部卒業。2019年『犬のかたちをしているもの』で第43回すばる文学賞を受賞しデビュー。2021年に刊行した『水たまりで息をする』が第165回芥川賞候補に。翌年『おいしいごはんが食べられますように』で第167回芥川賞を受賞。