[今月のエッセイ]
王道でなく脇道を歩みたい
「高齢のあなたがシリーズ短編集を発表され続けていることがなによりの励みとなり、わたしもまだまだ頑張らなければと思います」
自分より若い読者からそんな便りをいただいたのは三年前の七十六歳時、小説家の仲間入りをして十年目のことで、軽い驚きにとらわれた。物書きの仲間入りをしたのが六十七歳。毎年四、五冊平均で出版してきたことから、そのように思われたのだろう。ところがその後、何人もの方からよく似たお便りをいただいている。
わたしは編集の仕事のかたわらゴーストライターをやり、また社の仕事として雑学的な本も執筆していた。本名で出した本が十冊になったとき、創作の本を一冊は残したいと思って書いたのが『
集英社文庫で二〇一八年八月にスタートした相談屋シリーズは、五月刊行の『親と子』で、併せて十五冊目となる。三歳時に大病を患いながら奇跡的に生還できた
そんな信吾の許に江戸でも有数の楽器商「
読者に受け容れられる作品やシリーズは、いくつかの要素を満たしていなくてはならないと言われている。まず主人公には、すぐれた武芸や話術などという魅力がなくてはならない。でありながらとんでもない、あるいは意外な弱点や欠点がある。それを補うひと癖もふた癖もある脇役が不可欠だそうだ。そして絶えず危機に陥れようとする個人あるいは組織が、これでもかこれでもかとばかりに追い詰める。しかし主人公が絶体絶命の危機を逃れて相手を完膚なきまでにやっつけることで、読者は留飲をさげることができる。
たしかにヒットした作品に接すると、多くがその要素を満たしている。作家としてのスタートが遅かったこともあるが、それなりの特徴を出さねばとわたしは思いを巡らせた。であれば脇道を歩もうと考えたのである。山あり谷ありの劇的構成にこだわらず、平地を歩きながら小川の流れや鳥の声、また路傍の花やそれに群がる蝶や蜂、などの中に見出したちょっとした喜びであっても、共感してくれる人はいるはずだ。少数かもしれないが、それらの人に発信できる作品を書きたいと心に決めたのである。
もちろん徹底して敵対者や主人公を困らせる事件を排除するのではなく、必然性があれば容赦なく信吾を困らせた。ある大名家の
シリーズ第十四巻の『新しい光』は、生涯の友となれそうな旗本の息子が、理不尽な事情で自裁するしかないという哀しい物語を中心として進む。だがその末尾で妻波乃の懐妊が明かされ、それがタイトルとなっている。
新刊のタイトルは『親と子』。
米沢藩士
ちょうどそのころ、信吾はある商家の長男から相談を受けていた。父親が家業を任せようとしないのは、腹違いの弟に継がせようとしているからだと悩んでいるのだ。さらに信吾は別の相談を持ち掛けられた。大藩の江戸
小説を書いていてふしぎに思うのは、作った人物が作者を離れて勝手に動き始めることだ。ほんの端役のはずが、何度か出ているうちに肉体(行動)と言葉(思考)を得て、脇役どころか準主役にさえなることがある。そういう点に思いを馳せて読んでいただくと、さらに楽しんでもらえるだろう。
野口 卓
のぐち・たく●作家。
1944年徳島県生まれ。93年、一人芝居「風の民」で第3回菊池寛ドラマ賞を受賞。2011年『軍鶏侍』で時代小説デビュー、同作で歴史時代作家クラブ新人賞受賞。著書に「ご隠居さん」「よろず相談屋繁盛記」「めおと相談屋奮闘記」シリーズ等多数。