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『ラブカは静かに弓を持つ』2023年本屋大賞第2位
この本を出したことによって、人生が変わるような経験をさせてもらっています

[インタビュー]

この本を出したことによって、
人生が変わるような経験をさせてもらっています

安壇美緒さんの『ラブカは静かに弓を持つ』がこの度、2023年本屋大賞第2位に輝きました。第25回大藪春彦賞を受賞、第6回未来屋小説大賞第1位にもなった本作は、2022年5月に刊行されて以来、多くの読者の心を揺さぶり続けています。
主人公の橘樹たちばないつきは、勤務する全日本音楽著作権連盟(全著連)の上司から、音楽教室への2年間の潜入調査を命じられます。課せられた使命は、著作権法の演奏権を侵害しているかどうかを調査すること。全著連のスパイとして、心を閉ざしてチェロ教室に通い始めた樹でしたが、音楽を奏でる歓び、そして師と仲間との出会いによって、次第に心を開いていきます。同時に、スパイとしての己の立場に葛藤し、窮地に追い込まれて……。刊行から1年。信頼とは何かを問いかけ、数々の反響を呼んできた本作について、安壇さんにお話を伺いました。

聞き手・構成=砂田明子/イラスト=よしおか

音楽教室で繰り広げられる
静かな心理戦

―― 本屋大賞第2位、おめでとうございます。今のお気持ちを聞かせてください。

 ありがとうございます。いいものを書こうという気持ちは常にあって、自分なりに、そのときの一番いいものを書いたという手応えはあったものの、こんなに反響があるとは想定外でした。刊行から、驚いている状態がずっと続いている感じです。読者の方から手紙をいただくのは初めてで感激しましたし、ネット上で好意的な感想を書きこんでくださる方がたくさんいて、本当にありがたいです。この本を出したことによって、作家としてもそうですし、私個人としても、人生が変わるような経験をさせてもらっています。

―― 小説すばる新人賞を受賞してデビューされた安壇さんの3作目となる本作は、実際の裁判から着想を得た「スパイ×音楽小説」です。初挑戦となった“スパイもの”ですが、もともとはどのような印象をお持ちでしたか?

 最初に題材が決まったときは面白そうと思ったものの、冷静に考えたら、スパイものにほとんど触れてこなかったんです。私の中にあったのは「静かな心理戦」のようなイメージで、それを書くためには丁寧な内面描写が大事になるなと。だったら自分にも書けそうだと思いました。
 刊行後に読者の方から、ドンパチやアクションのないスパイ小説で驚きました、という感想を結構いただいたことで、一般的なスパイもののイメージと違ったんだなと気付いたんです。ただ映画『007』は参考のためにいくつか見てみました。作品の中に小ネタを入れているので、見つけてもらえたら嬉しいです。

―― この作品は、読んでいると音が聞こえてくるような「音楽小説」でもあります。樹は子供のころ、チェロを習っていたものの、ある事件をきっかけに深海の悪夢に苛まれるようになり、音楽から離れていました。再びチェロを弾くようになると、その音に魅了されていきます。音楽を書く難しさはありましたか?

 子供のころにピアノを少しやっていたくらいで、音楽の世界を全然知らなかったんです。楽器を「チェロ」にしたのも、あまり深く考えずにするっと決めてしまったんですが、結果的に、たまたま上手くいったという感じです。ただ、チェロ講師の浅葉あさばの経歴をどうするべきかは悩みました。音楽教室の先生はどういうキャリアだとリアリティがあるのかと。フィクションですが、その辺りの設定は現実的に考えていきました。音楽と著作権の問題もほとんど知らなかったので、下調べにはとにかく時間をかけましたね。
 演奏の描写に関しては、チェロ奏者の方に取材させていただいたり、資料を基に裏付けをしていったんですが、自分でも一日だけ体験レッスンを受けました。チェロは初心者でも、それなりにいい音が出るんです。音程は取れないけれど、音を出すだけならできる。そのときの気持ちよさや感触が、樹が初めてレッスンを受けるシーンに活きました。視覚的にチェロを捉えられたことも大きかったと思います。

―― バッハの『無伴奏チェロ組曲』はじめ、作中に登場するクラシックの名曲を聴きたくなります。ちなみにタイトルのラブカとは深海魚のこと。深海の悪夢を見る樹とイメージが重なりますが、樹が弾く楽曲『戦慄わななきのラブカ』は……

 実在しない楽曲です。本当にあるのかと思って検索される方も多いようですが。

いかに「最悪な場面」を書くか

―― 音楽教室には、会社とも、家族や友人とも違う人間関係があります。陽気な浅葉先生はじめ、音楽教室の仲間たちとの交流が、音のない深海の暗闇から、樹を引き上げていきます。

 音楽教室の人間関係を書く上では、さきほど話した体験レッスンに行ったときに、すれ違った方たちの印象が参考になりました。音楽が好きという共通点だけで、老若男女、学生だったり社会人だったり、いろんな方が集まってくる面白さもあるし、皆さん、ゆったりされているんです。いろんな意味で余裕がある方が通われている雰囲気を感じたことが、作中の穏やかで賑やかな人間関係につながりました。プロット的にも、「ずっとここにいたい」と樹が思うような人間関係を描くことで、スパイであることの罪悪感を刺激していくような展開にしようと考えました。

―― そうした音楽教室と、課せられた任務との間で、生真面目な樹は引き裂かれていきます。正体がバレたらどうなるのか……。特別な舞台ではなく、日常が戦場と化すからこそのスリルと緊張が心臓に悪いです。

 追い詰められている人を書いていると、自分も追い詰められるので、とくに終盤は私も心臓に悪かったです。でもやはり物語の盛り上がりとしては、いかに「最悪な場面」を書くかを考えていました。

―― 樹はある決断を下しますが、その先にも怒濤の展開が待ち受けています。

 書き終えるころに、これは「時間と信頼」の話なのではないかと思い至りました。樹は約2年間、週1回、浅葉のレッスンをマンツーマンで受けてきたわけです。飲み会などでいろんな話もしてきた。噓をついてきたけれどすべてが噓というわけではないし、スパイではあるけれど、時間をかけて醸成してきた信頼関係が確かにあるわけです。その信頼関係がどうなるかを最後に考えていきました。

―― 音楽教室の仲間の一人・琢郎たくろうが、意図せず樹の背中を押す場面があります。樹にとって、言わばどうでもいい人間が、重要な役割を果たす。ちょっとしたシーンに、人間関係の妙を感じました。

 やや間抜けなシーンに仕上がっていて、私も結構好きです。なんでお前なんだよ、という人に救われたりすることって人生にありますよね。思いがけない人や、定まった間柄ではない人が、意外と物語を動かしていくというのは好みの展開です。

―― エピローグのラストシーンが印象的です。2年の時を経て、ここに辿り着いたかと感慨深くなる、美しいラストシーン。どのように考えましたか?

 円環構造の話がなぜか好きなんです。子供のとき好きだったアニメ『美少女戦士セーラームーン』の影響かもしれません(笑)。どう着地させるかは、途中から決まっていました。自分でも満足のいくラストシーンが書けたと思っています。

  • ラブカとは?

    水深千メートルを生きる、鋭い歯を持つ深海魚。
    妊娠期間が世界一長い動物とも。

  • 浅葉桜太郎(あさば おうたろう)
    チェロ講師。
    陽気で人当たりが良い。

  • 橘 樹(たちばな いつき)
    他人と関わることを避ける
    孤独な青年。

安壇美緒

あだん・みお●作家。
1986年北海道生まれ、早稲田大学第二文学部卒業。2017年、『天龍院亜希子の日記』で第30回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。20年、2作目の『金木犀とメテオラ』を刊行。22年に刊行した3作目『ラブカは静かに弓を持つ』はロングセラーとなり、大藪春彦賞、未来屋小説大賞第1位に続き、このたび本屋大賞第2位に選ばれた。

『ラブカは静かに弓を持つ』

安壇美緒 著

発売中・単行本

定価 1,760円(税込)

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