[対談]
黒木 亮×加藤正文
経済小説家・黒木亮を培った
激動の6年間
国際金融マンに憧れた黒木亮さんは、1988年、30歳のときにロンドンに赴任します。金融街「シティ」で国際協調融資を手掛け、「レッツ・メイク・バンカブル!(銀行取引化しよう)」と唱えながら中東・アフリカ・欧州を奔走し、各地の自然や美食からエネルギーを得て、6年間で稼いだ収益は約14億円――。金融市場での激闘を綴った自伝ノンフィクション『メイク・バンカブル! イギリス国際金融浪漫』(本誌連載作品)の刊行にあたり、長年親交があるという神戸新聞経済部長の加藤正文さんとのZOOM対談をお届けします。本誌連載時にも紹介した、黒木さんの金融マン時代の貴重な写真とあわせてお楽しみください。
構成=砂田明子/写真提供=黒木 亮
トルコ・パムック銀行向け3500万ドルのシンジケートローン調印式にて。中央がシェンバー頭取と若き日の黒木さん
初めて明かされる
作家・黒木亮の“前史”
黒木 加藤さんとはずいぶん長い付き合いになります。
加藤 『トップ・レフト ウォール街の鷲を撃て』(2000年)を読んで、これはすごい作品だなあと感嘆したのが、黒木さんを知った最初です。神戸新聞で「経済小説の舞台」という連載を2001年から始め、佐高信さんや高杉良さんらとはお会いしていたのですが、黒木さんはロンドンにお住まいなので、なかなかお会いできなかった。神戸新聞に初めて登場いただいたのは2010年、『トリプルA 小説 格付会社』の取材でした。以来、黒木さんが取材などで神戸にいらしたときに一緒に神戸の街を歩いたり、居酒屋でお話を伺ったりと、いつも刺激を頂いています。
そうやって黒木さんを追いかけてきた身としては、作家になる“前史”が書かれたこの本を、興奮して読みました。詳しい日記が基になっているんだろうと思いますが、銀行に入り、30歳でロンドン支店勤務になってからの6年間、青春の奮闘が活写されています。作家・黒木亮を培ったものがよくわかりました。
シンプロット&ベシクチオール社のフレンチフライ工場にて。中央のチャックマック氏は、黒木さんがロンドンに赴任して間もない頃からの付き合いのトルコ人金融ブローカー
黒木 ありがとうございます。1990年頃から今日まで、毎日日記をつけているんです。それから案件ごとのメモと、飛行機などでつけていたノートですね。それらを基に書きました。
この本に限らず、業界に携わる人の参考書になれば、という気持ちで本を書いているところがあります。だから『冬の喝采』には、若いランナーのために長距離走の練習方法を細かく書いたし、『トリプルA』だったら、格付会社を理解する副読本になるよう工夫しました。この本には国際協調融資はじめ、金融マンとして僕がやってきたことを正直に書いたので、参考にしてもらえればという気持ちです。ただ、僕がやったことが全て正しいわけではない。参考になるところだけ参考にしてもらえたらと思っています。
加藤 『トップ・レフト』のメインテーマ「マイワード・イズ・マイボンド(わたしの言葉がわたしの担保)」が冒頭から出てきたり、『赤い三日月 小説ソブリン債務』の登場人物のエンヴェルさんが出てこられたりと、愛読者の方は、「あ、あの場面!」と思い出すところも多いでしょうね。
-
トルコ・エムラク銀行幹部と。左端はサリー(黒木さんのアシスタント)
-
サウジアラビア航空の調印式
-
出張中にもらったアルジェリアのマツタケ(撮影当時1kg約1800円)。つかの間の贅沢を味わった
-
飛行機の乗り継ぎ時間を利用し、ザンビアの首都ルサカを視察。ちょうどローマ教皇の訪問を歓迎する人々を目にする
黒木 ついにネタバレしてしまったわけです(笑)。自分の体験をいろんなところで使っていると。
加藤 やはり作家の原体験というのは重要で、城山三郎先生には海軍の少年兵、そして愛知学芸大学(現・愛知教育大学)で景気論の講師をしていたという原体験があった。高杉良さんは石油化学新聞という業界紙を経てデビューされている。作家の作品には、そういった前史が色濃く織り込まれるものです。初めて明かされた黒木さんの原体験が、この本の大きな読みどころだろうと思います。
それから、どこに行っても
黒木 『青春と読書』の連載時に、あまりガチガチに金融のことだけを書いても、読者はついてきてくれないだろうと思ったので。せっかくロンドンに暮らしているのだから、暮らしている人にしかわからないイギリス社会の内実や、訪れた土地の食や習慣、暮らしについても書き込んで、面白く読んでもらえるものにしたいと思いました。
-
作家デビューした頃、総合商社の英国法人の自席にて
-
百年以上の歴史があるマン島の蒸気機関車の前で。黒木さんはある時期から、旅の様子を絵葉書にしたため、ご両親と自分あてに出すようになったという。その絵葉書が、本書執筆の貴重な資料ともなった
人生、1勝14敗でいい
加藤 銀行の上司や同僚、ロンドンで出会う様々な金融マンが、それぞれいい味を出しています。融資では、資力以上に人柄や態度を見ることが重要で、だから〈どんなに金融技術やAI(人工知能)が発達しようと、融資には正解がない〉という黒木さんの信念に通じますね。
黒木 そうですね。融資はアートだと思っています。
加藤 そういう金融マン同士のやりあいのなかで、最後、アメリカの銀行、チェース・マンハッタンをやっつける。
黒木 あのときは承認条件違反がありましたからね……。よくあんな大胆なことをしたなと、振り返って驚きます。
加藤 トルコの銀行向けの融資をめぐって、びっくりするようなことが起きるわけですが、そうしたドラマから得た「人生哲学」のようなものが随所にちりばめられていて、それもこの本の読みどころですね。〈無理をせず、自分に心地よいペースで仕事をして、なにかを成し遂げられるはずもない〉とか。
黒木 その時々に自分が何を考えたのかがわかるように書きたいと思ったんですね。読者はそれを知りたいだろうと。
加藤 黒木さんには珍しい情緒的なフレーズも出てきますよね。ロンドンに赴任したときは経験も知識もなく〈あるのは、夢と希望と野心とエネルギーだけだった〉。この本は、これから世に出て自分を磨いていきたいと考えているビジネスマンへのエールにもなっていると思うんです。〈上司と一緒にチャンチキおけさを踊り、それが当たり前だと思っているうちに定年を迎えるサラリーマンも多いが、わたしには人生の浪費としか思えなかった〉とあって、本当にそうだなあと。
黒木 銀行の宴会芸ってもうなくなったかと思ったんですが、いまだに日本社会ではあるようで。つい最近、金融専門誌を読んでいたら、現役の銀行の支店長たちの座談会が載っていたんです。今の若い人は宴会の出し物を嫌がって、それが離職につながっているという話をしていたので、まだやってるのかと。
加藤 きっと黒木さんにも、たまたま入った銀行で、チャンチキおけさを踊らなくちゃいけない場面もあったと思うんですが、夢を持って、目標をかなえていった。その熱く厳しい道のりを、若い人に読んでもらいたいなあと思います。
黒木 サラリーマン向きの人間ではなかったのでストレスはいろいろありましたが、全て作品に活かされているという意味で、作家としては結果オーライです。
加藤 これも印象に残った言葉です。〈人生において、ほしい物がすべて手に入るということはあり得ないし、究極の目標さえかなえられればそれで十分だ〉。
黒木 僕の知り合いで、就職のとき大手企業を軒並み受けて14社落ちて、1社だけ受かった人がいるんです。そこに入社して、定年までずっと幸せに働いていた彼が「人生、1勝14敗でいいんです」と言うのを聞いて、なるほどなと。人生は、究極の目標で1勝すれば、それでいいんだと思います。
加藤 その時々でチャンスを摑んで、チャンスをものにしていったからこその究極の1勝だとは思います。黒木さんにとって究極の目標というのは作家になることで、専業作家になったのは46歳のとき。この本は、作家・黒木亮をローンチした瞬間が書かれている本でもあるわけです。
経済小説の宿命と未来について
黒木 昔のことを書きたいとはずっと思っていたんですが、なかなか機会がなかったんです。作家になって二十数年たってから書けたのは、タイミング的によかったと思います。僕の人生、だいたい23年区切りなんですよ。金融マンも23年やりましたから。
加藤 作家生活二十数年のなかにも、転機があったのではないでしょうか。川崎製鉄の創設者・西山弥太郎を描いた『鉄のあけぼの』、戦後の裁判所の歴史を描いた『法服の王国 小説裁判官』、そして福島第一原発の故・吉田
黒木 そうですね。守備範囲を広げたいという意識もあったし、どれもテーマとして面白かったので、ぜひ取り組んでみたいと思いました。これからも社会的な大きな問題を取り上げていくと同時に、やはり国際金融の切れ味鋭い経済小説を読みたいと望んでいる僕のファンは多いので、引き続きそういう作品も書いていきたいですね。
加藤 最新作の『
黒木 どうなるんですかねえ。本が売れなくなって、連載媒体も少なくなって、サバイバルゲームみたいになっているので、先細りになる可能性はありますよね。やっぱり作家が、取材をしなくなっている。これはすぐに本を出したがる編集者の責任でもあると思うのですが。
しかも経済小説の読者って、サラリーマンが圧倒的に多いですから。つまり読者は経済のプロ。プロが読むに値するものを書かないと生き残っていけないのが経済小説家の宿命なんですが、今はそれができていないということでしょう。
加藤 そうですね。取材をして同時代を活写するからこそ生まれるリアリティーと力強さがある。そこに想像力を働かせて作家が仕立て上げた物語に、読者は惹きつけられるのだと思います。
黒木 取材をすると、次のテーマが見つかるんですよ。『法服の王国』で原発に問題意識を持ったから、次に『ザ・原発所長』を書いたように、テーマがつながっていく。やはり取材をしないと作品は面白くならないと思います。
今回の本は、連載を始めた頃にコロナ禍になったこともあって、同時並行で進めていた他の2冊とともに、集中的に書けました。「集中して書く」というのはコロナ禍で得た、新たな学びでした。ただ、想像だけで書く作家にはなりたくないので、これからも歩き続けたいし、飛び続けたい。
加藤 コロナも収束してきましたから、日本に帰られた折に、また神戸の居酒屋でお会いしたいですね。そのときを楽しみにしています。
黒木 今日はありがとうございました。
黒木 亮
くろき・りょう●作家。
1957年北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学大学院修士。大学時代は二度箱根駅伝に出場。都市銀行、証券会社、総合商社を経て2000年、国際協調融資の攻防を描いた『トップ・レフト』で作家デビュー。著書に『巨大投資銀行』『アパレル興亡』『カラ売り屋、日本上陸』等多数。1988年から英国在住。
加藤正文
かとう・まさふみ●神戸新聞経済部長。
1964年兵庫県生まれ。大阪市立大学商学部卒業。著書に『工場は生きている』『死の棘・アスベスト 作家はなぜ死んだのか』(科学ジャーナリスト賞)等。