[インタビュー]
犯罪より怖いのは、
犯罪を気にしない社会です
昨年(二〇二二年)映画化された『死刑にいたる病』をはじめ、数多くのサスペンスや犯罪小説を手がけてきた櫛木理宇さん。まもなく発売される新刊『少年籠城』は、二人の少年による立てこもり事件を描いた、手に汗握る長編です。ひとり親家庭の貧困、
聞き手・構成=朝宮運河
“居所不明児童”への関心が生んだサスペンス
―― 昨年はデビュー十周年でしたね。櫛木さんは日本ホラー小説大賞・読者賞と小説すばる新人賞をほぼ同時に受賞してデビューされました。第二十五回小説すばる新人賞受賞作の『赤と白』は、雪国で暮らす少女二人の関係を軸にした、悲痛な青春小説でしたね。
「小説すばる」主催の新人賞なのでエンタメ重視で、なおかつ青春テイストのあるものを書こうとしたんだと思います。ただ青春小説はあまり得意じゃないので、やっぱり自分の好きな殺伐とした要素が入り込んできますよね(笑)。あの小説はそんなに長くないんですが、もし今あれを書くんだったらエピソードを増やして、原稿用紙四百五十枚くらいの、もっと陰鬱な作品にするだろうなと思います。
―― そもそもなぜ小説すばる新人賞に応募されたんですか。
実は出すつもりはなかったんです。当時狙っていたのはKADOKAWAの野性時代フロンティア文学賞(小説 野性時代 新人賞)で、創設されたばかりの賞だから受賞しやすいんじゃないかという計算があったんですけど(笑)、その応募要項を確認するために雑誌の「野性時代」を買ったら日本ホラー小説大賞の要項も一緒に載っていまして。両方出してみることにしたんです。フロンティアが八月末締め切りで、ホラー大賞が十一月末締め切りだったかな。ところがその翌年のお正月あたりに近所ですごい火事がありまして、真冬の大火事だったので火の粉が雪景色にばーっと舞っているのを見て、「これを書きたい」と強く思いました。それで書き始めたのが『赤と白』で、三月末締め切りの小説すばる新人賞になんとか間に合わせた、というのが経緯ですね。
―― タイトルの『赤と白』のとおりの風景をご覧になったわけですね。
火事のシーンを書きたいというのが出発点で、そこからストーリーを考えていきました。今回の『少年籠城』もそうですが、割とそういう作り方をすることが多いですね。
―― 『少年籠城』は「小説すばる」に二〇二一年九月号から二〇二二年八月号まで連載された作品です。約一年間の連載中、どんなことを意識されていましたか。
エンタメしか書けない人間なので、今回もとにかくエンタメに徹した長編にしようと思っていました。一回一回盛り上がるシーンを確実に作って、連載を追っている読者に楽しんでもらう。そこは書き下ろしと意識が違うところですね。
―― 物語の主軸になるのは二人組の少年による立てこもり事件。立てこもりものを書きたいというのが、発想の出発点でしょうか。
いえ、立てこもりは後から出てきた要素なんです。出発点は、いわゆる「居所不明児童」の問題でした。この問題に興味を抱いて、プロットを何本か作ってみたんですが、そのときはうまくまとまらなかった。それとは別に子ども食堂にも関心があって、そちらのテーマも扱ってみたいと思っていたんですね。ある日、立てこもりを中心に置けば、その両方を扱えるんじゃないかとひらめいたんです。
―― 行政で所在が確認できない居所不明児童の問題は、最近メディアでも取りあげられるようになってきました。
そうですね。私は『誰もボクを見ていない なぜ17 歳の少年は、祖父母を殺害したのか』(山寺香/ポプラ社)というルポを読んでこれを書きたいと思いました。少年が母親に連れられてラブホテルを転々としたり、ホテルの敷地に野宿をしたりして生活しているんですけど、最後はお金がなくなって母親に命じられるままに実の祖父母を殺害してしまう。どうして誰も事件が起こるまで通報しなかったんだろう、というのが疑問で。これはもう家族の問題というより、完全に社会の問題だなという気がしたんです。
閉塞的な状況が苦手。
だから繰り返し書いてしまう
―― 物語の舞台となる
これも前から関心のある舞台だったんです。仲居さんが住み込みで働く温泉街は、DVシェルターの役目も果たしているんじゃないかと以前から思っていて。それに事情を抱えている人が多いので、過去をあまり詮索しないし、突然子どもを連れて消えてしまっても気にされないことがあるのではないか。さまざまな社会の問題が表れる空間という気がするんですね。それを今回、立てこもりというシチュエーションを作るための舞台装置として持ってきました。前々から関心があった題材が、うまくひとつにつながってくれました。
―― 櫛木さんの小説は土地の持っている磁場のようなものが、ストーリーに関わってきますね。雪国の町が舞台の『赤と白』がそうでしたし、『避雷針の夏』『鵜頭川村事件』などもそうです。
私は閉塞的な状況というのが苦手で、だからこそくり返し書いてしまう傾向があるんですね。狭い土地だとか、家族だとか、人間関係だとか。我ながら強迫観念的だなと思うんですけど。『鵜頭川村事件』(文春文庫)の文庫解説で、村上貴史さんが村が主役の小説だというようなことを書いてくださって、自分でもそうだなと思いました。今回は狭い温泉街の中で、さらに立てこもり事件が起こるので、二重に狭苦しい話になっています(笑)。
―― 主人公の
いつもは比較的鬱屈した主人公が多いんですけど、司は明るくて善意の人という、私にしては珍しいキャラクターになっています。そういう素直な人間に、
暴力に対峙したときに露になるインテリの弱さ
―― 川原で発見された男児の他殺死体。現場から立ち去った二人の少年、間瀬当真と
どうして今まで書いてこなかったんだろうと思うぐらい、書きやすいシチュエーションでした。もともと閉塞的な状況を書くことが多かったですし、これまでの作風と共通する部分が大きいんでしょうね。それに食堂の中だけでなく、外の警察側も並行して書くことができたので、行き詰まることなく楽しく書き進められました。
―― 人質を解放する条件は、当真たちが男児殺害事件と無関係であると証明し、それを世間に発表すること。緊張感ある食堂内のシーンと、捜査官たちの奮闘ぶりが同時進行で描かれていきます。
結構長い小説ですからね。立てこもり一本で書くよりは、もうひとつ事件があった方が緊張感が持続すると考えたんです。当真が暴力的で陰湿なキャラクターなので、食堂内のシーンがずっと続いたら書く方も読む方も疲れてしまいますが、外部にいる警察官たちの動きもあったので、重くならずにすんだと思います。
―― 捜査官の一人が、司の幼なじみの
司が明るくまっすぐなのに対して、幾也はやや鬱屈したキャラクターです。司と幾也は気持ちのすれ違いから気まずい関係になっていますが、その関係が修復されて、二人の人生に影を落としていた過去の出来事にも一条の光が差し込む。単に立てこもり事件の解決を描くだけではなく、もっと根本的な救いのようなものを描きたいと思ったんですね。
―― 面白いのは司が温かい食事を、犯人たちとの交渉材料に使うこと。普段まともな料理を食べていない当真や慶太郎が、司の作った焼きそばやハンバーガーを夢中になって食べるシーンは印象的でした。
せっかく飲食店を舞台にしているので、みんなで食事をするシーンは書きたかったんですよ。子ども食堂は貧困問題を語る舞台装置としても有効ですが、一番の強みは料理を作ったり食べたりするシーンを出せることだと思うので。といっても当真のように虐待を受けて育った子は、定食のようなものはおそらく食べ慣れていない。それで料理といっても焼きそばやハンバーガーになるんですね。
―― そんな当真の姿を見て、司は交渉の余地がありそうだと感じる。しかし当真の言動は、そんな司の幻想を次々と裏切っていきます。
拘束下にある被害者が加害者と心を通わせてしまう、いわゆるストックホルム症候群に陥りやすいのは司みたいなタイプだと思うんですね。自分の気持ちを言葉で表現することができて、相手もそうだと思い込み、都合のいい物語を作ってしまう。そういうインテリならではの弱さ、危うさみたいなものが、対極にいる当真のような人間を相手にしたことで露になっていくんです。
―― 単なる粗暴な不良少年かと思いきや、当真はかなり狡猾で抜け目ない人物。言葉の端々から得体の知れなさが伝わってきて、読んでいると怖くなります。
子どもだろうと高をくくっていたら、段々怪物なんじゃないかと思えてくる。そういう不気味さですね。司はインテリで子ども好きなので、当真や慶太郎とも理解しあえると思っている節があるんですね。子どもの善良さを信じていて、真剣に話せば伝わると考えている。でもその信頼が、当真という得体の知れない少年を前にすることで、少しずつ揺らいでくる。私もそういう部分があるから分かるんですが、普段知識や理屈で動いている人間ほど、言葉が通じない人間を前にすると混乱して、思考停止してしまうと思うんですよ。
子どもも大人も感情の動きは変わらない
―― 食堂内でくり広げられる駆け引きと並行して、県警による立てこもり犯との交渉、川原への死体遺棄事件の捜査が進められていきます。いかにも今風だなと思ったのは、野次馬に交じった動画配信者が、警察の動きの足を引っ張るという展開です。
絶対に集まってきますよね(笑)。現代は誰でもスマホを持っていますし、簡単にツイッターやTikTokに動画をアップすることもできる。報道規制をしたとしても現場の状況が筒抜けになってしまうわけで、警察にとっては悩ましいと思います。スマホといえば食堂内の子どもたちにどうやってスマホを持たせるかは考えました。貧困家庭の子が多いので、
―― 和歌乃は温泉街の子どもたちのリーダー格。そのほか十二歳の
やっぱり年長者の和歌乃ですね。発砲しようとした当真に向かって、とっさにある行動をとるんですが、自分の判断でああいうことをちゃんとできる子なんです。最近ツイッターで見たんですが、今の十代の子たちにアンケートを取ると、男の子は「好きな相手と結婚したい」という声が多いのに対し、女の子は「恋愛よりいいところに就職したい」という意見が多くて、すごくしっかりしている。恋愛を人生の目的としなくてもいい時代になったんだなと思って、はっとしたんです。当初は和歌乃が司に思いを寄せているという設定も考えましたが、そうしなくてよかったと思います。
―― 犯人の少年二人を含めて、さまざまな事情を抱えた子どもたちの織りなす人間ドラマも読みどころです。未成年のキャラクターを書くうえで、気をつけたことや意識したことはありますか。
私は自分の子ども時代をよく覚えているんですが、思い返してみると子どもには子どもなりのプライドがすごくあるんです。大人に弱みを見せたくないとか、知識がないと思われたくないとか。子どもと言っても、感情の動きは大人とほとんど変わらない。大人のようにそれを言葉で表現したり、うまく対処したりはできませんが、「子どもだから」という感情はないのだと思います。子どもだから傷つかないとか、子どもだから物事を単純に捉えるというのは、大人の思い込みですね。エンタメなのである程度はしょうがないんですが、あまり単純化したくはないなと考えていました。
暴力と猟奇犯罪満載のエンタメとして書きました
―― 川原で死亡していた男児は誰なのか。その後、相次いで死体が発見されますが、それらとの関連は。やがて昔ながらの温泉街に隠された、凶悪犯罪の真相が明らかになっていきます。この悲劇は温泉街という特殊な土地でなければ、起こらなかったかもしれません。
そうですね。犯罪は確かに怖いんですけど、もっと怖いのはそれが起こっても気にしない社会の方です。たとえば子どもが平日の昼間からぶらついていてもこの街では誰も注意しないし、住み込みの仲居が突然夜逃げしても誰も探さない。考えてみれば結構大きなことのはずなんですが、慣れてしまうと気にならなくなるんですよ。そういう小さい
―― 特殊な状態であっても、慣れれば日常の風景になってしまう。とても怖いことですね。
今、日本全国に子ども食堂が何千軒もあって、それが美談のように語られているじゃないですか。これもすごく異様なことですよね。確かに貧困家庭の子にご飯を食べさせるという行為は素晴らしいんだけど、それが当たり前に必要とされる社会はまずい。異様さに慣らされてはいけないんだと思います。
―― 色々お話をうかがっていて、つくづく温泉街の子ども食堂という舞台設定は秀逸だなと思います。当真と慶太郎が起こした立てこもり事件とその結末は、社会に潜むさまざまな問題点を読者に突きつけてきます。
確かに、書き甲斐のある設定でしたね。書き終えて思うのは、これは母と子の話でもあったんだなと。よくひとり親家庭でのネグレクトが問題になりますが、大半の母親たちは好きで自分の子を放っているわけではないと思うんです。食費を稼がないといけないし、住むところを確保しなければいけない。そのために仕事に追われて、どうしても子どものケアが二の次になってしまう。和歌乃の母親がそうですよね。ネグレクトというと母親を責める論調になりがちですが、背後にある女性の貧困や雇用の問題にも目を向けないといけませんね。そういう問題提起を含んではいますが、あくまでエンタメとして書いています。暴力と猟奇犯罪という私の好きな要素が満載なので(笑)、ぜひ楽しんでもらいたいです。
櫛木理宇
くしき・りう●作家。
1972年新潟県生まれ。2012年『ホーンテッド・キャンパス』で第19回日本ホラー小説大賞・読者賞を受賞。同年『赤と白』で第25回小説すばる新人賞を受賞。著書に『ホーンテッド・キャンパス』シリーズ、『虜囚の犬』『老い蜂』『氷の致死量』等多数。