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神永学『月下の黒龍 浮雲心霊奇譚』インタビュー
熱量を込めて描いたキャラクターそれぞれの生き方に注目してもらえたら本望です

[インタビュー]

熱量を込めて描いたキャラクターそれぞれの
生き方に注目してもらえたら本望です

自らの宿命に立ち向かうため、盟友・土方歳三ひじかたとしぞうとともに旅をする、赤い瞳の“きもの落とし”浮雲うきくも。何やら事情を抱えているらしい遼太郎りようたろうという青年も旅の仲間に加わって、一行は京都を目指します。ところが行く先々には、いくつもの奇怪で恐ろしい事件が待ち受けていて……。さまざまな思惑が交錯する激動の時代、若者たちはいかなる道を歩むのか。史実を巧みに絡めながら、想像力の翼を広げた幕末時代ミステリー『月下の黒龍 浮雲心霊奇譚』について、神永学さんにお話を伺いました。

聞き手・構成=朝宮運河/撮影=山口真由子

自分にとっては得るものが多い三年でした

―― ほぼ毎年、「浮雲心霊奇譚」の新刊インタビューをさせてもらっていますが、こうして直接お会いするのは久しぶりです。コロナ禍のため、前回はリモート取材でした。

 この三年で社会のあり方ががらりと変わりましたよね。エンターテインメントを取り巻く状況も激変して、たとえば以前だったら想像もしていなかった、舞台やイベントのオンライン配信が常識になりました。
 もちろん大変なことも多々ありましたが、自分にとっては得るものが多い三年だった気がします。いろいろな本を読むことができましたし、外で人と会わない分、じっくり考える時間が増えました。今後新しいことを始めるための、下準備の期間だったのかなと思います。
 でもここ数年で一番変わったのは、自分の中で開き直りが生まれたことですね。自分の置かれている立場を、すごく前向きに捉えられるようになりました。小説業界において、僕ってとても特殊な立ち位置だと思うんですよ。自費出版をきっかけでデビューした作家が、こつこつと書き続けて、二十年近くも活動できている。以前は他の人と比べて、「どうして自分はこうなんだろう」と劣等感を抱くこともあったんですが、最近はそれをプラスに考えています。
 業界内のしがらみもないし、どんなジャンルを書いても許される。これが許される作家って、実はかなり恵まれているんですよね。今後はそのポジションを武器に、どんどん自分の枠を壊していこうと思っているところです。

―― これまでのインタビューでは、“現状に満足できない、もっとがんばらないと”という発言が多かったように思います。すごく大きな心の変化ですね。

 実際、ぽっきり心を折られたこともあるんですが(笑)、今は気力に満ちていますよ。思うような評価が得られないとか、部数が伸びないとか、そういうことはどうでもいいです。作品に思いっきり熱量を込められたら、ひとりでに盛り上がっていくだろうという確信があるんですね。編集者や読者を動かせなかったのだとしたら、それは作品の熱量が足りていなかったんです。「浮雲心霊奇譚」のシリーズも、今後どうやってさらに盛り上げていくのか、自分の中でプランを練っているところです。
 たとえば京極夏彦さんの時代小説『ヒトごろし』(新潮社)は、殺陣たてのシーンひとつとってみても京極さんにしか書けない美学が溢れていますよね。じゃあ自分はどうするべきか。僕にしか書けない時代ミステリーを、どんな世界観や演出で作っていけばいいか。そういうことをずっと考えています。

新たなる旅の仲間、遼太郎を出したわけ

―― シリーズ最新作『月下の黒龍 浮雲心霊奇譚』は、前作からスタートした“セカンド・シーズン”の第二弾。江戸を旅立った浮雲と土方歳三が、道中で遭遇する三つの事件が描かれた連作短編集です。第一話の「生首の陰」で箱根の峠を越えていた二人は、山中で遼太郎という青年に出会います。

 ここで新たなキャラクターを登場させた一番の理由は、土方歳三の今後の人生の導線を作っておきたかったからなんですよ。今のところ土方は、世の中を斜めに見ているようなところがあります。その彼がなぜ新選組副長になり、自分の命を懸けて江戸幕府を守ろうとするにいたったのか。その布石になるようなエピソードが何か必要だと思ったんですね。
 すでに前巻で才谷梅太郎さいたにうめたろうという、幕末史で重要な役割を果たすことになるキャラクターを登場させていますし、浮雲たちとしばしば敵対する狩野遊山かのうゆうざんにしても、すごく政治的な背景をもったキャラクターです。こうした人々と関係することで、土方は最終的に決断を下すことになる。その過程にカタルシスを感じてもらうために、遼太郎というキーパーソンがどうしても必要だったんです。
 幕末って、何が正しいかが分かりにくい時代なんですよね。尊王攘夷派も佐幕派も、よく見比べてみると主張は共通していたりする。そこに権力闘争が絡んでくるので、より混沌としていて、正義か悪かですぱっと分けることが難しい。でも日本をうれえていたのは、どの立場の人も同じだったと思うんです。そのあたりをうまく書き分けて、すべてのキャラクターの人生にカタルシスを与えたいです。

―― ところで“遼太郎”というネーミングからは、『燃えよ剣』『龍馬がゆく』の司馬遼太郎を連想しますが。

 キャラクターの名前に困ると、つい本棚を眺める癖があるんですよ(笑)。斉藤八雲やくも(神永さんの「心霊探偵八雲」の主人公)という名前も、小泉八雲の本を読んでいて思いついたものです。遼太郎という字面は印象に残りますし、いかにも偽名っぽさが出るのでふさわしいかなと。彼の正体はネタバレになるので明かしませんが、かなり意外な人物です。

―― 雨の中、山奥の廃寺に辿り着いた一行は、その夜、商人殺しの事件に巻き込まれます。箱根で語り継がれる「お玉ヶ池たまがいけ」の伝承が、怪談的なムードを作り上げていますが、この池は実在するそうですね。

 関所破りをして斬首されたお玉という奉公人の首を、洗った池だと言われています。ただ諸説あるそうで、確かなことは分かりません。だからこそエピソードに幅を出すことができました。はっきり文献で記録されていると、逆に扱いにくかったと思います。
 日本各地の伝説や怪談を扱うことができるのは、“セカンド・シーズン”のいいところですね。東海道沿いに伝わる怪談を調べていくと、まったく知らなかった史実や背景を知ることができて、書いていても発見があります。シリーズ前作の『火車かしや残花ざんか』でも、多摩川の六郷ろくごうの渡しについて調べたことが物語を作るうえで役に立ちましたし、それは今回も同じです。自分では思いつかないような物語が生まれてくるので、この書き方は大きな刺激ですね。

響き合う浮雲と遼太郎の人生

―― 毎回、各地の怪談を絡めたミステリーをお書きになっていますが、怪異と舞台とストーリーではどれが最初に決まるんですか。

 まずは東海道ありきですね。最初に地図を見ながら舞台を決めて、そこから実際に伝わっている幽霊話・妖怪話を調べます。ストーリーを組み立てるのはその後です。この時気をつけているのは、調査に没頭しすぎないこと。下手に詳しくなってしまうと、実際伝わっている怪談からのがれられなくなるので、バックボーンとして軽く押さえておく、という程度に留めています。深く調べるのは、浮雲たちが絡む事件やその背景を決めてからですね。
 こういう作り方は一見不自由ですが、ご都合主義にならずに済むというメリットもあります。いくら「こんな妖怪を出したい」と思っても、その土地に伝わっていなければ諦めるしかありません。次回作では鬼を題材にする予定ですが、別にこれも鬼を書きたかったわけではなく、尾張に行くまでの道中にめぼしい妖怪話が鬼しかなかった、ということなんです(笑)。

―― 幕末の東海道の旅が鮮やかに描かれていますが、現地取材はされましたか?

 今回はコロナ禍の影響でできなかったんです。箱根はまだイメージが湧いたんですが、三島あたりは想像するのが大変で、地図とにらめっこして、グーグルアースや画像検索を駆使しながら執筆しました。それはなかなか大変でしたね。
『火車の残花』は川崎が舞台だったので、実際に足を運んで、本陣跡地などを見ることができました。やっぱり現地を実際に歩くと土地鑑がつきますし、意外なエピソードを拾うこともできる。自分で言うのもなんですが、僕は“持っている”タイプなので、取材に行くと大抵面白い人や場所に出会うんですよ。出会った人をそのままキャラクターとして登場させることも、よくあります。
 もともと文献に頼るより、実体験で学ぶことが多いタイプですし、次回作では舞台になる土地に足を運んで、空気を肌で感じてこようと思います。

―― 第二話「絡新婦じよろうぐもの毒」は三島宿が舞台。血を抜かれ、干物のように干からびた死体が木に吊されるという事件の謎を、浮雲たちは解明することになります。事件には、当時の身分社会が影を落としています。

 江戸時代は今と違って、生き方を自由に決めることができません。封建制度のもと、商人の家に生まれた子は商人、武士の家に生まれた子は武士、という人生のレールが決まっていました。そもそも“自由に生きる”という概念が、あまりなかったのかもしれません。その中で自分らしく生きるとは、というテーマは「浮雲心霊奇譚」のシリーズ開始当初からずっと意識していることです。
「絡新婦の毒」には瞽女ごぜという目の見えない女性の芸人が出てきます。瞽女についてはまったく知識がなくて、「瞽女屋敷」と呼ばれる屋敷があることも知りませんでした。これも現代にはない職業ですが、おそらく当時はさまざまな差別を受けたでしょうし、結婚相手を自由に選ぶことも難しかったと思います。こうした人たちの悲哀は、現代小説では描けません。封建社会が生み出すさまざまなドラマは、時代小説を書くことの醍醐味のひとつだと思っています。

―― 与えられた運命を受け入れることができず、背を向けて逃げ出した遼太郎。そんな彼に対し、「逃げたいときは、逃げればいい。今は逃げておけ。おれもそうだった」と声をかける浮雲の姿が印象的です。

 浮雲がかつて歩んだ道のりを、遼太郎にも歩かせたかったんです。人間ってそこまで強くはないですし、足搔あがいてもどうしようもない時期もあります。誰もが正面から、運命に立ち向かえるわけではない。強そうに見える浮雲だって、運命から逃げている時期がありました。だから逃げてもいいんだよ、ということを彼に語らせたかったんですね。
 これは現代に生きている人も同じで、誰もが時間をかけて、人生の落としどころを見つけていかないといけません。よく「やればなんでも出来る」と無責任に言う人がいますが、そんなことはないですからね。いくら野球が好きでも、全員が大谷翔平になれるわけではないのと一緒で、その人に与えられた能力や可能性はみんな違っています。
 だからといってすべてを諦めるということではなく、自分の運命を受け入れて、どういう生き方を選んでいくのかが大切。さっきお話ししたことにも繫がりますが、僕自身もそろそろ自分の才能の限界が分かってきています。だからといって諦めるのではなく、自分なりの人生を切り拓いていく。遼太郎も少しずつ、そのことに気づいていくはずです。

さらにとんでもないシリーズになるはずです

―― 第三話「黒龍の祟り」では吉原宿まで到達した一行。水運の拠点として、富士参詣の宿駅として知られた宿場町ですが、龍の伝説が残る地でもあります。

 この一帯に伝わっているのが、高潮を招いて被害をもたらしたという龍の伝説。本当はもっとマイナーな妖怪もいたのですが、このシリーズでは知名度のある妖怪を取りあげるという不文律があるので(笑)、龍を扱うことにしました。資料によっては龍ではなく蛇だとしているものもあって、正体は曖昧です。だからこそ想像力を働かせる余地があるとも言えますよね。

―― この地で遼太郎に降りかかる絶体絶命の危機。そこから浮かび上がるのは、さまざまな陰謀が渦巻き、運命が交差する幕末という混乱期の姿です。

 時代物って、結末がどうなるか分かっているのに面白い。あれは不思議ですよね。司馬遼太郎さんの『龍馬がゆく』だって龍馬が暗殺されることは、読者の大半が分かっている。ミステリーでいうとネタバレされている状態ですが、読んでいる最中はドキドキする。それが作品の力というものなのかなと思います。
 このシリーズにもいろんな勢力が登場しますが、誰が勝者になるかはあらかじめ決まっています。それでも面白い、ドキドキすると思ってもらうためには、登場人物それぞれの葛藤を丁寧に書いていくことが大切です。

―― 天然理心流の少年剣士・宗次郎そうじろう(後の沖田総司おきたそうじ)も再登場。第二話から一行に加わったことで、物語のムードが明るくなりましたね。

 第一話の「生首の陰」を書き終わって、何かが足りないような気がしたんです。何だろうとあらためて考えてみたら、ちょっと話がシリアスに寄りすぎていたんですね。そこをうまく中和してくれるキャラクターが欠けていた。そこで江戸にいるはずの宗次郎を、急遽旅立たせることにしました(笑)。
 以前、天然理心流の大塚篤館長が「この作品に描かれる少年沖田は、彼の実像に近いのではないか」という推薦文を書いてくださって(集英社文庫版『浮雲心霊奇譚 菩薩ぼさつことわり』)、どういうことですかと聞きに行ったんです。すると館長曰く、本当の天才というのは無邪気で、遊びの延長線上で剣を振るうものだ、とおっしゃったんです。遊び半分で敵を一掃したり、相手に稽古をつけながら倒したり、という場面がこのシリーズにはありますが、本当の天才ってああいう無邪気さがあるよと。その言葉が印象に残っていて、宗次郎のキャラクターを活かさない手はないと思いました。彼は読者にも人気がありますし、登場するとストーリーが盛り上がるんですよね。

――怪異を扱ったミステリーとしても、幕末の人間群像としても読みどころの多い『月下の黒龍 浮雲心霊奇譚』。神永さんが今回、特に力を入れて書かれた部分はどこでしょうか。

 幕末を生きた人々の葛藤ですね。この時代に生まれた人たちは、さまざまな抑圧を受け、それを当たり前のこととして受け入れてきた。遼太郎もそうですし、浮雲たちと対立関係にあるおしちにしてもそうです。息苦しい時代の中、自分らしさを持とうとしている。だから苦しいし、壁にぶつかります。
「どうせこんなものだよ」と諦めたら、もっと楽に生きられるはずなんです。それでも前に進もうという人の姿を、今回はいろいろな形で描くことになりました。
「黒龍の祟り」では理不尽な風習を扱っていますが、その理不尽さに抗おうとした人の姿も熱量を込めて描いています。そういう部分は現代の若い読者にも、響くところがあるんじゃないかと思いますね。もちろんエンターテインメントなので、読んでハラハラドキドキしてもらえるのが一番なんですが、キャラクターそれぞれの生き方にも注目してもらえたら本望です。

―― 鬼伝説を扱うという次回作も、すごいことになりそうですね。ますます浮雲たちの動向から目が離せなくなってきました。

 今回はシリーズ初期の頃のような連作短編形式でしたが、次回作は長編にする予定です。事件のイメージも固まってきていますが、おそらく本格ミステリーに近い作品になるでしょうね。ひとつの大きな謎を巡って、いろんな人が推理を巡らせる。Aかと思ったらB、そうかと思ったらC……という推理合戦みたいなものを書けたらと思っています。
 もうひとつ試してみたいのはホラー的な表現。もともとホラー映画や小説が好きで、最近もよく読んでいるんですが、やっぱりホラーで血が流れるシーンって美しいんですよ。あるいは黒澤明監督の『椿三十郎』でも、斬られた侍の体から血が噴き出すシーンがありますよね。ああいう血の美学みたいなものが、せっかく時代小説を書いているのに欠けていたと反省しているんです。
 これからは白い障子にかかる血しぶきとか、畳にしたたり落ちる血だとか、江戸時代ならではのホラー的な表現をもっと増やして、より自分の“癖”を押し出した作品にしたいですね。もともと「浮雲心霊奇譚」というシリーズはミステリーと怪談の要素が融合していて、そこに時代小説ならではの血の表現や、殺陣シーンの美しさを盛り込めば、もっととんでもない作品になるはずです。どんな形になるのかまだ分からないですが、より好き勝手にやろうと思っていますし、結果的にそれが読者を惹きつける面白さに繫がっていくと思います。
 知り合いが教えてくれたネットの占いによると、僕は四十九歳で才能が開花するらしいんです(笑)。それを信じるならば、今年、二〇二三年が本格的なブレイクの年ということになります。そして来年にはデビュー二十周年。自分でもいい波に乗っているなと思うので、「浮雲心霊奇譚」もそれ以外のシリーズも、精一杯書いていきたいです。

神永 学

かみなが・まなぶ●作家。
1974年山梨県生まれ。日本映画学校卒。2003年『赤い隻眼』を自費出版。同作を大幅改稿した『心霊探偵八雲 赤い瞳は知っている』で04年プロデビュー。代表作「心霊探偵八雲」をはじめ、「天命探偵」「怪盗探偵山猫」「確率捜査官御子柴岳人」「浮雲心霊奇譚」「殺生伝」「革命のリベリオン」「悪魔と呼ばれた男」などシリーズ作品を多数展開。他に『コンダクター』『イノセントブルー記憶の旅人』『ガラスの城壁』がある。
https://kaminagamanabu.com/

月下げつか黒龍こくりゆう 浮雲心霊奇譚』

神永 学 著

2月3日発売・単行本

定価 1,760円(税込)

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