[受賞記念エッセイ]
読書の凄み
仕事柄、私は多くの本を読みます。読むに連れ、ああ、私はなんにも知らないなあ、と思わされます。
でも、しかたありませんね。人の頭のなかに収まる知識や考え方の量には限りがあります。けれど、それで本を読むのを止めたりはしません。自分の頭を、本の収蔵庫にするために読むわけではないからです。本を読むのは、自分を知るためです。
自分なんてとっくに知っているという方がいたら、一つ質問しましょう。あなたはもう、自分が本当に好きだと思える人と出会いましたか。出会えたとしたら、その人は、あなたが前から抱きつづけてきた好きなタイプそのものでしたか。
誰が言ったのかは、もう記憶にないのですが、“自分がどんな相手を本当に好きと感じるかは、自分が本当に好きと感じる相手と出会うまではわからない”という言葉と出くわしたときは、目の前から薄皮が一枚取れた気がしました。
この言葉の
そのように、人はさまざまな出会いを通じて自分を知っていきます。自分が本当に好きだと思える人と出会ったとき、あなたは、自分が本当に好きな人を発見するわけですが、もう一人、そういう相手を本当に好きだと思う自分をも発見しているのです。
自分を知ると、なにがどうなるのか……。人は無限の知識や考え方を獲得できるわけではありません。でも、生きていけば、暮らしの場面場面で、数え切れないほどの判断を下すことになります。たいていの場合、専門知識のないままにどうするかを決めなければなりません。でも、いわゆる専門家だって条件は同じです。専門家とは、ごくごく限られた専門領域の他はなにも特別には知らない人のことを指します。そして、人生に立ちはだかる問題は、実に多くの条件が絡み合っています。解決する難しさは専門家だってなんにも変わりません。
で、自分を知る、なのです。自分がなにを好み、なにを望み、なにを拒み、なにを受け入れがたいか、突き止めておくことなのです。
いやです。できません。保留します。やります。ぜひ、やらせてください。条件を変えてください……突き止めておけば、言葉が出てきます。問題は複雑でも、肝腎の決めるあなたがどんな人なのかはくっきりしているからです。仮に、そのときは望まぬ結果になったとしても、望まぬ返答をして望まぬ結果になるよりは後悔しなくて済むし、また、長い目で見れば、望んだ結果になるかもしれない。なによりも、自分が自分の
だから、自分を知る。
でも、現実の世の中で、自分が本当に好きだと思える人と出会い、自分が本当に合う仕事を得て、自分が本当に楽しいと感じる趣味に打ち込み、自分が本当に共感する考え方を持つ人と巡り合うのは、かなりハードルが高いでしょう。
だからこそ、言いたいのです。本がありますよ、と。不思議ですね。時として読書は、リアルに
青山文平
あおやま・ぶんぺい●作家。
1948年神奈川県生まれ。2011年『白樫の樹の下で』で第18回松本清張賞を受賞しデビュー。2015年『鬼はもとより』で第17回大藪春彦賞、2016年『つまをめとらば』で第154回直木三十五賞、2022年『底惚れ』で第17回中央公論文芸賞を受賞。他の著書に『かけおちる』『半席』『励み場』『遠縁の女』『跳ぶ男』『江戸染まぬ』『泳ぐ者』など。