[今月のエッセイ]
誰かの熱情が別の誰かを動かす
こんにちは、内山純と申します。
四十代半ばで突然思い立って小説を書き始め、勢いであちこち投稿し、運よく五十一歳でデビューできたという、わりと行き当たりばったりの人生を送っております。現在、三人の孫のおばあちゃんです。
このたび集英社文庫から出させていただいた『みちびきの変奏曲』も、偶然と勢いと幸運が重なって生まれました。
新型コロナウイルスの第三波が猛威を振るい、二度目の緊急事態宣言が出されていた2021年1月のある日、私は長引くステイホームに鬱々としながらパソコンでYouTube動画を見ていました。右側に表示されるたくさんのお薦めの中から何気なく、本当に何気なく“街角ピアノ”の動画をクリック。ピアノ系YouTuberと呼ばれる若い男性ピアニスト二人が一台のグランドピアノに並んで座り、古典的な映画音楽を連弾していました。
なんだこれは楽しい!
ピアノの音ってこんなに心が躍るものだっけ?
私は急にピアノ音楽のファンになって関連動画を見まくり、それだけでは飽き足らずクラシックコンサートなどに赴き、さらには車のCMで流れる曲に「お、エリック・サティの『ピカデリー』だな」などと知ったかぶりの反応を見せたりするようになりました。
とりわけ魅了されたのが、先の街角ピアノで連弾していたうちのお一人、
中でも、角野さんが変奏を手掛けた、ある有名な曲の動画には大きなインパクトを受けました。すごすぎて、もう笑うしかない。この衝撃を誰かに伝えて感動を分かち合いたい!しかしSNSに疎い私は発信の場をほとんど持ちません。五歳三歳〇歳の孫に熱く語ってもぽかんとされるのみ。
そこで、思いつきました。
“変奏曲のような小説”を書いてみよう、と。
各章の雰囲気が、変奏曲みたいに次々と変化していくのはどうだろう。ある章はライトに爽やかに、別の章は重厚に、あるいはノスタルジックに……。
私はプロット作りが苦手で安易に書き出してしまうことが多く、途中で展開が横道に逸れたりして何っ回も書き直すという苦しみを毎回のように味わいます。本作も、懲りもせず各章の舞台とキャラクター、おおよその流れを決めた時点で勢いよく書き出し、案の定、うんざりするほど何度もリライトする羽目に。
しかしその過程で、ある日突然、最終章の内容を思いつきました。行き当たりばったりで始めた執筆は、幸運にも奇跡的な着地点を得たのです。
ストーリーは、知人女性の死に遭遇した平凡なサラリーマンが、託されたダイイングメッセージを解明すべく人々を訪ね歩く……というものです。
各章に登場するのは十代からもうすぐ七十歳までの個性的な人々です。彼らと主人公とのやりとりによって生じるさまざまな化学反応が物語を前に進めていきます。
曲がキーワードとして使われていますが、ピアノやクラシックに興味のない方も問題なく楽しめます。また、純然たるミステリではないので謎解きは登場人物たちに任せて気楽にお読みいただけます。笑いありハラハラあり、ラストにはあたたかい気持ちになれるエンタメ作品(のはず)です。
偶然と勢いと幸運で生まれた本作が“主人公がいろいろな人に会いに行く”というスタイルになったのは、長らく人と会えず、もどかしい気持ちが続いたがための必然だったと言えるでしょう。厄災の数年間を経て、ネット配信やビデオ通話などの便利なツールのありがたさを実感する一方で、直接人と会って話すというごく普通の行為が内包する
本作をお手に取ってくださった方に、人との出会いによって起きる小さな偶然や奇跡にいくらかでも思いを馳せていただけたら、そして読後に「いろいろあるけど自分も前に進もうかな」と思っていただけたら望外の喜びです。ピアノ演奏から受けた衝撃によって熱情の赴くままに書いた小説が、多少なりともどなたかの気持ちを動かすことができたとしたら、行き当たりばったりの内山純が作家になったことにもなんらかの意味があった、と思えそうです。
内山 純
うちやま・じゅん●作家。
1963年神奈川県生まれ。2014年『B(ビリヤード)ハナブサへようこそ』で第24回鮎川哲也賞受賞、同作品にて小説家デビュー。著書に『新宿なぞとき不動産』『土曜はカフェ・チボリで』『みちびきの変奏曲』等がある。