[本を読む]
六つの未来を通して
見えてくるものは?
SFは“未来の文学”などと言われるけれど、未来を正しく予測することがSFの役割というわけではない。SFの役割のひとつは、(いかにもありそうな未来から絶対なさそうな未来まで)いろんな未来を好き勝手に想像し、もしそういう時代が来たとしたら人間がどう反応するかを論理的に考えてみることにある。中島京子『キッドの運命』も、SFならではのそういう“思考実験”のひとつ。
表題作は、小説すばるの創刊30周年記念特集〈「30年後」の未来へ〉に寄稿された作品。それが出発点となり、同じ世界線に属する5編の物語が書き足されて、ゆるやかにつながる全6話の連作集が誕生した。ひとつの時代を描いているわけではなく、一話ごとに時代が進むように配列されているので、(SF用語では)一種の未来史ものとも言える。
作中の日本では、二度めの大きな原発事故が起き、首都は福岡に移転。やがては国そのものもなくなってしまうようだが、さりげないユーモアを交えた著者らしい語り口でごく自然に描かれる日常は、ことさら未来だとかSFだとかディストピアだとか意識させることはない。現代小説を読むような感覚で読み進むうち、ふと気づくと、いつのまにやらすっかり変貌した世界にいる――という感じ。
各話に共通するモチーフは、失われた何かをとりもどすこと。その“何か”は、絶滅した動物だったり、高層マンションが破壊した自然だったり、古いAIだったり、消えた栽培品種だったりするのだが、そうやって過去とつながることで、未来の物語でありながらどこか懐かしさを漂わせている。
たとえば「赤ちゃん泥棒」では、予期せぬ妊娠を知った妻が、夫に無断で堕胎。それに腹を立てた夫は、保存されていた妻の卵子を盗み、人工子宮を移植して自分で赤ん坊を出産しようとする。最終話の「チョイス」では、働かなくても生きていけるようになった時代に、人間はどのように生き、どのように死ぬべきかの選択肢が示される。六つの未来を通して現代がくっきり見えてくる連作集だ。
大森望
おおもり・のぞみ●書評家、翻訳家