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インタビュー/本文を読む

ひとり飯は楽しいけれど、ひとり飯だけでは生きていけない
『まるごとバナナが、食べきれない』
大久保佳代子さんに聞く

[インタビュー]

ひとり飯は楽しいけれど、
ひとり飯だけでは生きていけない

人間は食べて生きる。「食」は人を作り、人間関係を培い、様々な思い出を残していく。約8年にわたり、雑誌『Marisol(マリソル)』で連載してきた「食」をテーマにしたエッセイ。それが一冊の本に。そのタイトルは『まるごとバナナが、食べきれない』。家族と囲んだ食卓、酒の勢いで攻めた恋、仕事の達成感を嚙みしめながら飲む一杯……様々な思い出はもちろん、42歳から50歳へと年を重ねるなかで“老い”と向き合い揺れ動く女心も“大久保節”全開でユーモラスに描かれている。

聞き手・構成=石井美輪/撮影=三山エリ
スタイリスト=野田奈菜子

気心知れた仲間と
飲みながら作った一冊

―― 約8年にわたり、雑誌『Marisol(マリソル)』で連載していたエッセイが一冊の本に。まず、書籍化のオファーが届いたときの感想を教えてください。

 正直、「これ、本にしちゃって大丈夫なの?」と思いましたよね。基本的に雑誌って1ヶ月で店頭から消えていくから。ある意味、無責任に“その場だけ”の感覚で話せてしまうというか。毎回、家族や友達の話が出るたびにライターさんから「書いていいですか」と確認されたんですけど、それに対しても常に「大丈夫、大丈夫」って。「家族も友達も読まないだろう」の気持ちでそう答えていましたからね。ただ、これが一冊の本になるとそうもいかない。しばらくの間、本屋に並び続けるし、家族や友達も気を遣って買ってくれたりするだろうから。そこには少しばかりの責任が生まれるわけで。だからこそ、「本にしちゃって大丈夫なの?」って(笑)。

―― ある意味、雑誌の連載だったからこそ語ることができた、そんな感覚があったということでしょうか。

 そうですね。娯楽として軽くポップに深く考えずに饒舌になっている自分がいたというか。さらに、この連載は私の話をライターさんが文章にまとめてくれるというインタビュー形式だったんですけど。実は、そのインタビューはいつも飲みながら行っていたんですよ(笑)。最初の頃はアルコールのない場所で真面目にやっていたんですけど。編集さんがご近所に住んでいたこともありまして。
「ゴハン食べながらやりましょう」になり、それがいつの間にやら「飲みながらやりましょう」に。編集さんが選んでくれたお店で、美味しいものを食べながら、お酒も入って心が緩んだところに、聞き上手のライターさんが「わかる!! わかります!!」と共感のシャワーをかけてくれる……。乗せられて話しているうちにどんどん思い出が蘇ってきたりして。で、気持ちよく酔って、何を話したかの記憶もスッカリ失くし、原稿チェックで自分の発言を確認。そこで「私、ちゃんと面白いこと言ってるじゃん」と安心する。毎回、そんな感じでしたからね(笑)。

―― 今作では「食」をテーマに様々な思い出を語られていますが、そこには、その時々の大久保さんの姿も。若い頃はペロリと食べることができたスイーツの『まるごとバナナ』が今はもう半分も食べられない、そんな体験談をはじめ、妙齢女子なら誰しもが「わかる、わかる」と頷きたくなるエピソードが多々。そのひとつひとつに笑ったり、しんみりしたり、同じ痛みを分け合っている気持ちになったり。大久保さんと一緒に飲んでいるような、そんな気持ちで読み進めることができました。

 それこそ、女子会の延長のような雰囲気の中で生まれたものなので。読む人は女友達と「膝が痛いよね」とか、「親も年取ったよね」とか、「いい加減、結婚したいよね」とか、そんな話を延々としている気持ちになるのかもしれませんね。

希望と諦めの間を
行き来した、40代

―― 約8年分の連載を振り返り、その中から書籍に掲載するエッセイを自身がセレクト。それは大久保さんの40代の歩みを振り返る作業でもあったと思います。

 42歳から50歳まで、この一冊にはまさに私の40代が詰まっているんですよね。そんな自分の40代を改めて振り返って感じたのは「人ってこんなに変わるんだな」という驚きです。42歳の頃はまだ若く、隙あらばすべてを性的なことに結びつけてギラギラしていたけれど。途中から次第に性的な勢いが衰え始め、それに代わるかのごとく老いの話が増えていく……。42歳と50歳の私を比べると気持ち悪いほどにまるで他人です(笑)。
 例えば、42歳の私が地元の女友達と集まるのは大晦日。「ジャニーズカウントダウン」を見てから伊勢神宮へ初詣に。そこで結婚祈願するのが「お正月の恒例行事だ」と語っているんですけど。今年、51歳になった私たちが集合したのは同級生のお父さんの初盆で。そこで交わしたのも恋愛話ではなくお互いの健康や老いた両親の話だったりして。「渥美半島から伊勢へと向かう船の中でキャピキャピと恋愛話に花を咲かせていた、あの頃の私たちはどこへ?」っていう。それはもう変わりましたからね。

―― そんな気持ちの移り変わりも今作に詰まっていますが、大久保さんにとって40代はどんな時期だったのでしょうか。

 やっぱり、女性が大きく変化する時期なのかな。20代、30代は体力もあるから、目の前の壁もガムシャラな勢いで乗り越えることができるけど。40代になるとそうもいかない。老いや更年期の影がチラつき始め、さらに、そんな環境の中で腹をくくることを迫られるというか。例えば、妊娠も42歳ならまだ希望が持てるけど、50歳になるともう難しい。40代はまだ可能性が残されているからこそ、希望と諦めの間を行ったり来たり。「子供を産むの?」「結婚はどうするの?」「これから、どうやって生きていくの?」そんな決断を迫られている気持ちになるんですよね。

「人間なんてこんなもんだ」
と思える本が好き

―― そんな妙齢女子特有の心の揺らぎも赤裸々に描かれていますが、日々の生活の中で生まれるネガティブな感情もユーモラスに語って笑いに昇華。親友のいとうあさこさんが「24時間テレビ」(日本テレビ)のマラソンに挑戦した際、痩せて綺麗になっていく彼女を見て「ヤバい、モテてしまう」と焦り、心配しているふりをして「ちゃんと食べなよ」を連呼。必死に太らせようとしていたエピソード、大好きです(笑)。

 本当、何度読み返してもひどい話ですよねぇ(笑)。でも、これって、私だけじゃなく多くの女性が持っている感情だと思うんですよ。

―― 他にも、女友達の恋人がダメ男であるほどホッとするというエピソードだったり。結婚が決まった友達に「おめでとう」と言いながら心の中でつい破談を願ってしまう、そんな独身女性の真っ黒な心の内側も大久保さんが代弁。それだけでなく、夕方のスーパーで見切り品を漁る自分、ボロボロになっても捨てられないおパンティ、泥酔して犯した失敗の数々……カッコ悪いところやダメなところも隠さず赤裸々に描かれていて。だからこそ、読み手は「私だけじゃないんだ」とホッとする、「人間、ダメでもいいじゃん」と気持ちがラクになる、それもこの本の魅力だなと感じました。

 それは嬉しい感想ですね。私自身、明るく前向きでキラキラした“ハッピーポジティブエッセイ”はあまり好きじゃなくて。それよりも、人間のダメな部分を掘り下げたエッセイが好きでよく読むんですよ。

 例えば、西村賢太さんの『一私小説書きの日乗』。作家としてはものすごく立派な方なのに私生活はダメダメ。真夜中に急に暴飲暴食をしたりする、そのダメな部分がまた面白くて。板尾創路いつじさんの『板尾日記』も好きですね。そこにはなんの事件も起きない、板尾さんの日常が綴られていたりするんですけど……。実際、人間の生活なんてそんなもんで、何も起きないのが普通なんですよね。その坦々とした生活を盗み見るのが私は好きで。西村さんの日記然り、板尾さんの日記然り、なんか安心するんですよ。「人の生活ってこんなもんだよな」って、「人間ってこんなもんだよね」って。華やかなパーティーや派手な生活をSNSにアップする人もいるけれど、彼らの日記は「皆が皆、毎日そんなキラキラした生活を送っているわけがない」と私を安心させてくれる。毎日が100点満点じゃなくてもいい、70点取れればそれでいい、家で缶ビールを美味しく飲めればそれだけで幸せ、そんな気持ちになれるんですよ。
 だからこそ、この本もそんな存在になったらいいなと、そんな思いがどこかにあったのかもしれませんね。こんな生活を送っているおばさんがいるよ、表舞台ではちゃんと働いているけれどプライベートはダメダメだよ、心がブレブレで揺らぎまくっているよ、だからあなたも大丈夫だよって(笑)。

驚くほど美味しかった豚の角煮に
人生を垣間見る

―― この本には大久保家の食卓についても語られています。

 家族の話、結構しているんですよね。それは、やっぱり「食」をテーマにした連載だったからこそ。改めて、家族のエピソードを振り返ると「ああ、私はやっぱり大久保家で育ってきたんだな」と気付かされることも多くて。

―― このエッセイは連載当時から多くの共感が寄せられていました。それは大久保さんが読者と同じ感覚を持っているからこそ。芸能界という独特な世界で活躍しながらも庶民的な感覚を忘れない、地に足がついたその感覚も大久保家で培われたものなんだなと、今作を読んで改めて感じました。

 子供の頃の食生活や家族環境が、やっぱり自分の土台になっているんですよね。特に裕福なわけではなく“カルピスは常に薄め”な堅実な家庭で育ったからこそ、ある程度、稼げるようになった今も千円の食パンを目の前にすると買うのを迷う。その結果、いつもの食パンを「これも十分おいしいから」と買って帰るっていうね。

――“大久保佳代子”がどう作られてきたのかも知ることできる、それも今作の面白いところですよね。

 いつ、誰と、何を食べたか。「食」はその人の人生と深く絡み合っているんですよね。作る料理もまた同じで。この間、地元に帰ったときに高校時代の友達と集まったんですけど。まあ見事に全員、気持ちいいほどに独身でね。カラオケに行けば「足を蹴った」「蹴らない」で51歳のおばさんが大喧嘩(笑)。その関係性は高校時代と何も変わらず、まるで時間が戻ったような感覚に陥りました。でも、その中の一人の家にお邪魔したとき、出された豚の角煮は驚くほど美味しくてね。彼女はご両親を最後まで一人で看取ったんだけど。毎日、毎日、両親のために料理を作り続けたから、こんなに柔らかくて美味しい角煮を作れるようになったんだなって……。目の前の一皿に彼女の人生を垣間見たりして。

―― 今作で大久保さんは「40代、誰のためではなく自分のために、ただ生きるために残飯のような食事を作っていた」と語っていますが。この先、どんな料理を作り、誰と食卓を囲み、どんな時間を紡いでいくのでしょうか。

 どうなんでしょうねぇ。どちらかというと、目標を掲げて前に進むというよりは、流れに身を任せて進むタイプ。今も「気づいたら、こうなっていた」という状況なので。未来の自分がどうなっているかなんて想像もつかないんですけど……。思うのは「きっと、50代も60代も同じように大変なんだろうな」ってこと。振り返ると、40代だけじゃなく、20代も30代も大変だった。その“大変”の内容は変わるけれど、心が揺れ動くのはいつの時代も同じなんですよね。特にこの先は閉経が待っていたり、今は元気な両親もいずれ亡くなるだろうし、自分も病気になったりするかもしれない。一人では抱えきれないものも増えていくだろうからこそ、自分から「ゴハンに行こうよ」と誘える、周りにちゃんと甘えることができる、そんな自分でありたいですよね。
 あとは、できることなら50代のうちに酒量もちゃんと減らしたい。1日の終わりには必ず飲むし、休日も昼から飲んじゃうし、もうね、私にとって酒は趣味みたいなもんだから。だからこそ、「飲み過ぎだよ」と止めてくれる誰かがそばにいてほしい……。“ひとり飯”や“ひとり飲み”は気楽で楽しいけれど、人間、“ひとり飯”や“ひとり飲み”だけでは生きていけない。それが51歳の今、私が感じていること。友達でもいい、パートナーでもいい、誰でもいい、とにかく誰かと食卓を囲める“これから”を過ごせたらいいなって。

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<主な内容>
家族
私を育てた大久保家の飯
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ひとり飯
人生を「ひとり」で歩く
妙齢女子の「おひとり様」ゴハン
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大久保佳代子

おおくぼ・かよこ
1971年愛知県生まれ。千葉大学文学部卒業。幼なじみの光浦靖子と「オアシズ」を結成し、1992年にデビュー。『めちゃ×2 イケてるッ!』でのブレイク後、数多くのバラエティ番組に出演。現在はバラエティ番組ほか、女優としても活躍中。

『まるごとバナナが、食べきれない』

大久保佳代子 著

10月26日発売・単行本

定価 1,540円(税込)

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