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特集インタビュー/本文を読む

絵の面白さは細部に宿る
『名画の中で働く人々 ――「仕事」で学ぶ西洋史』
中野京子さんに聞く

[特集インタビュー]

絵の面白さは細部に宿る

「怖い絵」シリーズをはじめ、これまでに多彩な視点から名画を読み解いてきた中野京子さん。新刊の『名画の中で働く人々――「仕事」で学ぶ西洋史』は、「労働」をテーマに、風俗画、肖像画、歴史画に描かれたさまざまな仕事に従事する人々を取り上げ、「絵画に塗り込められた当時の人々の心」に触れ、その職業の時代的背景を読み解いていくというもの。
本書に登場する職業は、大工、政治家、闘牛士、傭兵、宮廷音楽家、道化、警官、香やし具師、異端審問官……と多岐に亘り、最後に「子供」と「天使」も出てくる。また、侍女、看護婦(歴史的な呼称)、修道女、女優、女性科学者、ファッションデザイナーと、働く女性が積極的に取り上げられている。

聞き手・構成=増子信一/撮影=山口真由子

女性が働く絵は、選ぶのが大変だった

―― 今回、「働く=労働」をテーマにしようと思われたのは?

 何かいいくくりがないかと、担当編集者さんとああでもない、こうでもないと考えて、「あっ、そういえば働いている人のことは書いたことがなかったな」と。決まるまで結構時間がかかりました。

―― ウェブの連載では、最初に「大工」が取り上げられていました。

 最初にピンときたのは、イエスなんです。イエスが父親の大工仕事を手伝っている絵がたくさんあるから、まずそこからいこうかなと思いました。それに、マドリッドで闘牛を見たときにすごく面白かったので、闘牛士のことは書きたくて入れました。
 担当編集者さんから、女性も入れてくださいといわれていたのですが、近代以前の女性の職業は割と限られていて、女性が働いているいい絵も少ないんですね。ですから、選ぶのが大変でした。

―― 「女性科学者」の項で、四世紀後半から五世紀初頭にかけて、エジプトのアレクサンドリアで活躍したヒュパティアが取り上げられています。彼女は天文学、数学にも造詣の深い哲学者で、その哲学講義は市民に大きな人気を得ていたそうですね。

 紹介したチャールズ・ウィリアム・ミッチェルの「ヒュパティア」という絵はそれほど有名な絵ではないのですけれど、裸体で描かれていることに意味があるのですね。ヒュパティアは、キリスト教の国教化による宗教抗争に巻き込まれ、総司教一派に拉致される。教会に連れ込まれ、裸にされた後、貝殻や陶片で生きたまま皮膚と肉をがれ、そのむくろは路上を引き回された上に燃やされたという悲惨な最期を遂げています。そのことを暗示するようにヌードで描かれている。
 実は、ヒュパティアは有名なラファエロの「アテネの学堂」にも描かれているんです。画面手前左の白い衣裳をまとった髪の長い女性がヒュパティアだというのが、一応の定説になっています。

―― もう一人の女性科学者は、ずっと時代を下って、女性初のノーベル賞受賞者のマリー・キュリー。

 マリーは、医者になりたいという姉のために、自分がガヴァネスとして働いて援助するんです。ガヴァネスというのは一応括弧で「(住み込みの家庭教師)」と説明しましたが、もっといろんな意味を含んでいて翻訳不能な言葉なので、本文ではガヴァネスとカタカナ表記をしています。
 ただ、残念ながら、キュリー夫人の絵はないんです。彼女が生きていたころはすでに写真の時代になっていましたし、それに貧しかったから肖像画を描いてもらうことはできなかった。
 ですから、ここでは代わりに同時代のヴァシリー・ペロフの「商人宅へのガヴァネスの到着」という絵を紹介しています。ガヴァネスというのは、当時(十九世紀後半)の良家の女性にとっては数少ない職業の一つだったわけですね。
 考えたら、日本でも江戸時代の寺子屋などでは女性が教えていたし、ガヴァネスとは違いますけれど、明治維新になってから元武家の女性たちがお花とかお茶の先生になっていた。それとちょっと似ているかもしれません。
 いずれにしても、キュリー夫人はガヴァネスの最高峰ですね(笑)。

絵画に描かれた修道女たち

―― 修道女も良家の子女がける数少ない職業の一つですが、ポール・ドラローシュの「ギロチン」という絵は衝撃的ですね。

 この絵はフランス革命のときに禁止されているミサを行ったというかどでカルメル修道会の修道女十六人がギロチンにかけられたという史実を題材にしたものです。同じ題材でプーランクが「カルメル会修道女の対話」というオペラを作っています。たしか日本では上演されたことがないと思いますが、映像版がMET(メトロポリタン歌劇場)のライブビューイングで公開されました。その上演の前に十分か十五分お話ししてくださいと依頼されて、そのときに話したことをもとに書きました。

―― よく見ると、修道女たちはみんな口を開けています。

 この処刑のときに修道女たちが賛美歌を歌っていたというのは有名な話で、ドラローシュはそれを知らせるためにこういう絵にしたんですね。さらによく見ると、階段から手前の排水口に向けて血が流れていて、すでに何人か処刑されていることがわかる。すごい描写ですね。

―― 同じ修道女の項に紹介されているジョン・エヴァレット・ミレイの「休息の谷」は、夕暮れ時の墓地に白いヴェールを被った二人の修道女が描かれています。左の修道女はスコップで穴を掘っていて、もう一人は物問いたげにうつろな目を鑑賞者へ向けている。この右の修道女こそが埋葬されている本人ではないか、と。

 彼女はもう死んでいる。でも、それはあくまで私見です。ただ、画面の人物がこっちを見ているというのは、やはり意味があるんですね。大抵は自画像だったりするのですけれど、この絵の場合はちょっと違う。彼女の両足は穴の中に少し入っていて、新しいひつぎに置かれた墓石の上に座っていて、そのかたわらに花輪が置かれている。
 それに、スコップを持っている修道女にはその姿が見えていない。でも、右の修道女には鑑賞者の存在が見えているから、ちょっといぶかしげな目をしている――そういう設定になっているとすれば面白いなと思いました。
 修道女のことを詳しく知るようになったのは、私の友人が修道女になったことがきっかけなのですが、確かに、さっきのガヴァネスより以前の時代には、結婚して他家へ嫁ぐことのない次女、三女たちが修道院に入れられた例は多かった。ただ修道女を「職業」というと語弊がありますが……。

働く女性とファッションの歴史

―― 最後の「子供」と「天使」はいわば番外編的な扱いですが、本編の最後を飾るのは「ファッションデザイナー」のココ・シャネルです。

 やはり、女性と職業といえば、シャネルを入れないわけにはいきませんよね。
 シャネルは、画家だったらピカソみたいな感じで、次々にスタイルを変えていったのだと思います。ここでは、ドガの「婦人帽子店」という絵を紹介していますが、シャネルも帽子のデザインからスタートして、香水、靴へと進出していく。すごいなと思います。おまけに、愛人も星の数ほどいて、彼女を主人公にした恋愛映画が何本もできているじゃないですか。本にも書きましたけど、「エネルギッシュな人間は、男であれ女であれ、情熱的な恋を仕事の糧とする」んですね。
 女性が働くということでいえば、シャネルがそれまでの動きづらい服から解放したということは大きいですね。その意味でもファッションの歴史を見ていくのは面白い。
 たとえば、ハンドバッグ。 スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」という絵には多くの女性が描かれていますが、誰一人ハンドバッグを持っていません。なぜかというと、ハンドバッグというのは下層階級の持ち物だったんですね。スーラの絵に描かれているような上流階級の女性は、必要な荷物はおつきの人が持ってくれるわけで、自分が持つならハンカチなどをちょっと入れる小さいポシェットぐらいなものでした。
 今も大金持ちはキャリーバッグなんか持たないじゃないですか。だけど、一般ピープルはキャリーバッグって便利だからみんな使っている。
 ちょっと古い話ですが、モナコの公妃になったグレース・ケリーが妊娠したお腹を隠すのにちょっと大きいハンドバッグを持ったら、上流階級においては下品だといわれました。でも、逆に一般ピープルにとってはそれが恰好良く思えて、「ケリー・バッグ」として流行する。歴史あってのファッションですね。

物語性のある絵画が好き

―― 今度の本もそうですが、中野さんの書かれたものはすべて、一枚の絵に込められた物語を丁寧に読み解いてくださるので、文章を読みながら絵を仔細に眺めていくのがとても楽しいですね。

 私は小説が好きだから、印象派のように物語を排してしまったものよりは物語がある絵のほうが好きなんですね。肖像画も好きですけど、それはやっぱり肖像画にも物語があるからです。
 でも、自分の家に飾ることを考えたら、たとえば「モナリザ」だったら、いつも見られているような感じで嫌じゃないですか。そういうときは風景画のほうがいいんでしょうけどね(笑)。
 とにかく、物語性があってしかもある魅力、画格がある絵を探すのが大変なんですよね。それに知られざる画家の作品でもいいのがあって、日本だとイタリア絵画とフランス絵画に偏ってしまうところがあるので、なるべくそれ以外のものにも面白い絵がいっぱいあるんだということも知ってほしい。

―― 「神は細部に宿り給う」ではないですが、中野さんの解説に導かれながら絵を細かく見ていくと、そこここに面白い光景が発見できます。でも、小さすぎてなかなか見えない(笑)。

 そうなんです。私の本の感想を書いてくれる人の中では、パソコンで拡大して見ましたという人が多いですね。そういう点では、電子書籍は便利なのですが、私自身は、やはり紙の本の感触が好きなんですけどね。

―― まず最初に文章を読んで、もう一度読み返すときには絵の細部を見て楽しむ。

 紙の本を読んで、絵はパソコンで拡大して見る、というなかなか良い時代になったと思います。

<イベント情報>
中野京子さん解説・監修の「星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム」がコニカミノルタプラネタリアTOKYOで上映中です。星座にまつわる本当は恐ろしいギリシャ神話を、名画から読み解いています。中野さんの解説を朗読するのは声優の小山茉美さん。司会のタレント、ミッツ・マングローブさんと中野さんのトークも楽しみ。上映スケジュールなどの詳細は、公式HPをご確認ください。

https://planetarium.konicaminolta.jp/planetariatokyo/

中野京子

なかの・きょうこ●ドイツ文学者、作家。
北海道生まれ。西洋の歴史やオペラ、美術など芸術の幅広い知識を生かして雑誌や新聞等の連載やテレビ出演等で活動。2007年より発表の「怖い絵」シリーズは大ヒットを記録し、シリーズ刊行10周年を記念して、2017年には自身が特別監修を務めた「怖い絵」展も開催された。その他の著書に「名画の謎」シリーズ、『美貌のひと』『画家とモデル』『絵の中のモノ語り』『展覧会の「怖い絵」』等多数。

『名画の中で働く人々――「仕事」で学ぶ西洋史』

中野京子 著

9月26日発売・単行本

定価 2,090円(税込)

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