[本を読む]
国民の安全を守ることより
権威を守ることを優先する日本の体質
このところ、猛暑の影響で「電力需給ひっ迫」のニュースが目に付く。岸田首相は「供給力の確保に向けて最大限、原子力を活用する」と語り、運転停止中の原発の再稼働に向けて「審査の迅速化を着実に実施していく」と強調した。
これを聞いて、ふと一つの疑問が浮かんだ。「そういえば、原発って今どれだけ動いているんだっけ?」
本書の冒頭、日野氏は原発の再稼働について、こう記す。
「多くの国民にとって『いつの間にか原発が動いていた』というのが正直な実感だろう。つまり国民がみんな傍観者に戻ったのだ。だから原発も元に戻った」
再稼働した原発の数すら頭に入っていなかった私は、この一文に頭をガツンと殴られたような気がした。いつの間にか自分も「傍観者」に戻っていたのではないか――そんな問いが心に突き刺さったまま、引き込まれるようにして最後まで一気に読んだ。
日野氏はこの一〇年間、原発問題を追い続け、調査報道で数々のスクープをものにしてきた。本書では、毎日新聞の一面トップを飾った原発再稼働に関する二つのスクープを取り上げ、権力が隠そうとした事実を執念の取材で暴き出していった過程を詳述している。
足を使った関係者への取材や情報公開制度を駆使した調査によってエビデンスを固め、「不都合な事実」を隠そうとする当局者を徐々に追い詰めていく様は、まるで推理小説のようで面白い。だが、そこで明らかにされる事実は、背筋が凍るほど恐ろしい。
本書が浮き彫りにしているのは、国民の安全という最も大切な公益を守ることよりも、自分たちの権威を守ることを優先する、戦前から変わらぬこの国の政治・行政の根深い体質である。
この体質が変わらない限り、日本は国民に真実を隠したまま「神話」や「虚構」の中で国策を推し進め、現実を見失い、致命的な誤りを修正できず、再び福島第一原発事故や七七年前の敗戦と同じような破滅的事態へと突き進んでしまうのではないか。そんな恐怖を感じた。
だからこそ、私たち国民は「傍観者」であってはならないのだ。そのことを教えてくれる「警告の書」である。
布施祐仁
ふせ・ゆうじん● ジャーナリスト