古谷田奈月の小説がこんなにも力強く胸をノックするのは、世界を俯瞰するような真似をしないからだろう。そのまなざしはたじろぐほど峻厳であっても、絶対に現場から離れない。生きようと必死に手を伸ばす者たちの魂がけっして枯渇しないよう、常にいちばん近い場所で言葉を送り続けるのだ。
物語は総合出版社の編集者・橘の視点から綴られていく。ある日、児童福祉の専門家の黒岩文子が「子どもに触った」とのショッキングな報が舞い込む。彼女を実際に知る橘はどうしても腑に落ちない。はたして黒岩から送られてきた長文のファイルには「触った」という文字列の内実が記されていた。
ことの中心には、可視化されにくいネグレクトの問題があり、なによりも愛されることを求めて懸命に手を伸ばす子どもの姿がある。だが、その願いに全身で応えようとした黒岩のふるまいは、長年のパートナーであったはずの宮田から小児性愛のひと言で片付けられてしまう。一方、当の被虐待児の里親になるという選択肢を笑って流し、保護の名のもとに猫を溺愛する宮田の姿はうるわしいライフスタイルとして記事になる。この歪み。この欺瞞。まさに橘の勤める出版社が露骨な性描写でたびたび炎上する少年誌部門を擁しながら平然と児童福祉の本を刊行するとおり、〈この世界はめちゃくちゃで、矛盾だらけ〉なのだ。
そうした社会のありようを逆説的に穿ったものが、橘が何度もログインするスマホゲームの描写だ。一体の敵を倒すのに四人がかりで平均三十分もかかる厄介なゲームの世界に、仲間たちは日中の時間をどうにかやりくりして夜ごと集う。膨大な家事量、希薄すぎる将来のヴィジョン、生活それ自体に対する絶望――「死」や「殺」の文字が■に自動変換され穴だらけになったチャット欄はそのまま現実のひずみの写し絵だ。あらかじめ破綻した社会で、彼らはそれでも共にフィールドに立ってくれる者を求めている。
緻密なディテールで読む者を圧倒するこの小説は、持ち運びしやすいフレーズで要約されることを決然と拒む。なぜなら人間は、〈単純さに耐えられる生き物じゃない〉から。読後の混沌こそが、生きることを諾うのだ。