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事件に巻き込まれた人々の壊れた世界
題名通り、事件自体はプロローグの時点で終わっている。地下鉄の車内で男がいきなり刃物で妊婦に切りつけ、それを止めようとした老人を刺殺した――という出来事だが、本書では男の動機や背景はどうでも良く、現場から逃げ出したことをSNSで非難された男性、切りつけられた妊婦、巻き込まれて足を骨折した高校生……等々、事件に偶然関わってしまった人々のその後が描かれている。
恐怖を感じたというのは、ひとつにはもちろん、同じ地下鉄の車両に乗り合わせたり近くにいたりという、ただそれだけの人々が事件のせいでPTSD(心的外傷後ストレス障害)や理不尽な罪悪感に苦しまなければならない不条理に対してだが、それ以上に、彼らの異様な心象風景が極めてリアルに迫ってきたからだ。
ある人物は他人に聞こえない音を聞くようになり、ある人物は霊の存在を信じはじめる。そんな彼らの視点を通して世界を眺めるうちに、読者にとっても現実と幻想、主観と客観の境はどんどん
登場人物の中に、決して物語の視点を担えない者がひとりいる。冒頭で死んでしまった人物――つまり、妊婦をかばって刺殺された老人、向井
千街晶之
せんがい・あきゆき●ミステリ評論家