[特集インタビュー]
自立とは何か、
そう自問自答しながら書きました
幼少期に会津戦争を経験し、母と死別したカシは、養子に出されて、一人横浜へ。「フェリス・セミナリー(のちのフェリス女学院)」で寄宿舎生活を始めます。新しい時代の息吹にあふれた場所で恩師となる人と出会い、懸命に英語を学び、友情を育むなかで、己の生きる道を見出していくカシ。女性であっても「自立」したひとりの人間でありたい――。愛する同志を得て、結婚、出産をしながらも、翻訳・創作に命を燃やし、31年の人生を駆け抜けました。梶よう子さんの新刊『空を駆ける』は、名作児童文学『小公子』の翻訳家として知られる若松
聞き手・構成=小元佳津江/撮影=露木聡子
与えられた場で、あるべき姿を模索できる女性
――梶さんは、これまで江戸時代が舞台の作品を多く書かれていますが、今回、明治時代を舞台に選んだのはなぜですか。
江戸の小説のなかで、いくつか浮世絵師に関するものを書かせていただいたんですが、そうなるとかなり江戸末期で、明治に近づいていくんですよね。明治がほとんど「歴史」になりつつあるから取り上げたい、というのもありましたが、もともと、江戸と地続きの明治、一方で歴史を分断するようなイメージもある明治に、興味があったんです。それで、当時の風俗などに関する本をパラパラ見ていたとき、「若松賤子」という名前が6行くらいの小さなコラムに出ていて。『小公子』の訳を最初に手がけた人とある。『小公子』自体は有名だけれど、こういう方がいたんだ、と興味がわきました。
名前に「賤」の字があり、なぜわざわざこの字を? と気になったこともあります。あとで、本名は松川(大川)甲子(カシ)で、賤子はペンネームだとわかりましたが。彼女は、プロテスタントの女性宣教師、メアリー・エディ・キダーのつくった寄宿学校「フェリス・セミナリー」で学び、洗礼も受けたので、キリスト教の神に仕えるしもべである、という意味だったんですよね。
―― 物語はカシがセミナリーに入学するところから始まりますが、途中、幼少期のことにも触れられます。カシは幼少期に相当な苦労をしていますね。
そうなんです。彼女は会津藩士である松川勝次郎の長女として生まれ、幕末には会津戦争も経験している。トラウマになってしまいそうな凄絶な戦いを経てすぐ、母を病で失い、数え年8歳で生糸商の大川甚兵衛に養子に出された。それで家族のもとを離れ、一人横浜に移るわけです。カシのなかにはずっと、父親に捨てられたという思いがあったと思います。
―― カシが父親から別れ際に託された短刀には「思邪無(おもいよこしまなし)」という言葉が刻まれていました。この言葉をめぐるカシの解釈も印象的でした。
この言葉は「邪でない思いで生きていきなさい」というメッセージにも、「私に邪な気持ちがあったわけではない」という父親自身の思いにも、どちらにも解釈できる。でも、カシは自分の置かれた立場をきちんと把握できた人だと思うので、彼女ならこう考えたのではと思い、あのような解釈になりました。
カシは、『小公子』を訳してまもなく、31歳で亡くなってしまいます。私、最初にカシについて調べたときは、あまりに大変な経験が多くて、もしかしたらこの方の人生はかなり物悲しいものだったのかもしれない、と感じたんですよ。でも、深く調べていくうちに、彼女の一人の女性としての生き方が輝きを帯びてきた。今の女性とはまた違う強さを持った人で、それをどう伝えていこうかと考えるようになりました。与えられた場で自分のあるべき姿を常に模索していける聡明さを感じましたし、人に対しての優しさもあわせ持った方だなと。そういう面を、彼女に寄り添うなかで見出し、作り出していきました。
フェリス・セミナリー初の卒業生として
―― 過酷な環境で育ち、帰る家のないカシにとって、フェリス・セミナリーはまさに「ホーム」と感じられる場でした。
カシは肉親との縁が薄かったので、寄宿学校という特殊な環境に家族的なものを見ていた。彼女にとってまさに「ホーム」だったのだと思います。また、宣教のために海の向こうからやってきたキダーという女性に会え、できたばかりのミッションスクールの初の卒業生という、時代の先駆者的存在になれたことは、彼女の人生にとって本当に大きかった。まさに文明開化の恩恵を受けた女性ですが、そういうタイミングを彼女自身が引き寄せていたのかなとも思います。
―― セミナリーで出会う
女子校の描写では、ちょっと少女文学っぽいイメージを加えてみたかったんです。美和は、カシと対比する感じの子を置きたかったのもありますが、カシを通じて彼女がどう変わるのかを描きたいと思いました。カシは幼い頃から類まれな一つの人生を歩んでいく。一方、美和は武家のお嬢様で封建制度のなかで生きてきた子です。カシや、他の学生の影響を受けて彼女がどう変わっていくのか。親が決めた運命にどう対峙していくのか。カシの変化とは別に、時代を象徴する存在として美和を描きたかったということもあるかもしれません。でも、描いてみて感じたのは、明治時代の女性の置かれた立場が、実はものすごく現代とリンクしているということ。というより、あまり変わっていない。女性の社会進出という言葉をわざわざ使うことが、すでに駄目でしょう?(笑)
カシを取り巻く二人の男たち
―― やがて、セミナリーでの教師や翻訳の仕事などを始めたカシが出会い、婚約する男性が海軍軍人の
世良田をどう描くかは結構悩んだんですが、イメージは『はいからさんが通る』の少尉でした。明治の軍部は江戸の武家にとって代わったような存在で、紺の軍服やら白の手袋やらで目の前に来られたらもう、ポーッですよね。彼は身のこなしもスマートで、洗礼も受けていて決して古い人間ではない。でも、妻には家にいてほしいという考え方で、家庭を大事にしたいと思っていた。既に執筆活動も始めていたカシに対し、それは認めてくれたけれど、ともに何かをしたい、話したいと考えていたカシには、何かが違うという違和感が拭いきれなかった。カシ自身それは、女性が仕事をすることに対して、承認はしてくれるけど理解はしてくれていないからなのだと、あとから気づくわけですが。
―― その後、急速に距離が縮み、結婚に至るのが、『女学雑誌』編集長で女権論者の
かっこいい、んですけどダメ男というか、「近づいたらあかんやつ」ですよね、巌本は(笑)。でも、女性が惹かれるダメさってあるじゃないですか。そういうものをものすごく持っている方だと思うんですよ。だから、カシの気持ちはわりとわかってしまうというか、正直私も、描きながらつい投影してしまう部分がありましたね。いるじゃないですか、いつも夢を追いかけていて、君もわかってくれるよねみたいな人。いや、あんまりわかりたくないけどねっていう。
―― いますね(笑)。ただ、巌本はあの時代に女性も家庭に留まらずに羽ばたくべきだと主張するなど、かなり先進的な考え方を持っていますよね。今の時代にいても、スターになるような人ではないかと思うのですが。
それは確かにそうかもしれませんね。今の時代であっても、女性の仕事に対し、承認だけでなく理解もしてくれるという男性は、そう多くはないでしょうしね。そういう意味では、巌本はすごく進んでいる人だったと思います。彼も受洗していたので、宗教的な影響もあったのかもしれませんが、近代化によってより明文化された封建的な男女のあり方を壊そうと奔走していた。
また、彼は「明治女学校」の教頭(のちに校長)でもあった。宣教師たちが運営するミッションスクールと違い、彼がつくろうとしたのは日本人が日本人として運営するミッションスクール。だから後ろ盾などもなく、資金面でもかなり苦労した。当時、官営ではない私学、しかもキリスト教を基盤にした学校を自らの手でつくろうというのだから、相当先進的ですよね。そこをカシのアンテナがぴたりと捉えた。出会うべくして出会った二人という印象はありますね。そういう意味ではやはり、すごく素敵な人だったのかもしれませんね。
―― 素敵だと思います。しかし世良田も……。
世良田は軍人ですからね。将来性もあって、もしかしたら出世しちゃうかもしれない。すごく安定した生活を送れるかもしれない。当時は日清戦争前ですし、軍人、しかも海軍だとちょっと心配というのはありますけどね。でも、そういうエリートと、お金は持っていないけれど情熱に燃えている方、どっちを選びますかという。現代にも通じるところのある伴侶の選択も考えながら読んでいただけると、楽しいかもしれませんね。
明治の世から難航する「女性の自立」を考える
―― カシと巌本の二人は夫婦としてのあり方も革新的で、それは結婚当初の描写からもうかがえます。新婚旅行でカシが巌本に渡したという「詩」には、カシの覚悟を感じます。
アメリカの女性詩人アリス・ケアリーの書いた『花嫁のベール』ですね。結婚しても、私はあなたの所有物ではない、私は私であり続ける、もし人としてあなたの成長が止まったら、あなたの元から飛び立っていく翼はある、という。あれは史実なんですが、押しつける感じにはしたくなかったので、ちょっとユーモアを交えながら同意を求める感じにしました。
でも、そういうことを女性から言うってなかなかできませんよね。今でこそ、結婚前に色々と約束事を決めようという風潮も出てきているようですけど。それにはすごく賛成です、私。だから、カシは本当に進んだ人だったんだと思います。
加えて彼女は、この頃すでに結核を
―― こうした二人のエピソードにも象徴されるように、本書では、女性の自立が一つのテーマになっていますね。
そうですね。精神的な自立とか経済的な自立といいますが、一体どういう状況になったら自立したといえるのか。当時の女性は精神的な自立をしたとしても職業がなく、男性に頼らざるをえなかった。でも今は、当時と比べれば選択肢が増えています。だから女性にいま一度、自立って何だろうというのを、カシを通じて少しでも考えてもらえたらなと思うんです。男性も同じだと思いますが、一歩引いて、どういう人生を歩みたいかのイメージを持つというか。それは、私自身にも当てはまることだったんです。ずっと私の悩みでもあったし、自分が通ってきた道が果たして自立だったのか、何かに依存をしていたのか、そう自問自答しながら書いていた部分がありましたね。
―― 『花嫁のベール』にも出てくる「翼」という言葉は、本書のなかで繰り返し登場します。タイトルも『空を駆ける』です。どのような思いが込められているのでしょうか。
やはり、人がどう生きるかを翼になぞらえたというのが大きいですね。翼とは「自由」とも少し違って、「私は大丈夫、自分を持っている」という自意識のようなもの。何かに取り組もうとするとき、翼があることや、それを自覚できていることはすごく大切で、それが救いや強さになるという意識がずっとありました。『空を駆ける』というタイトルも、そこからイメージしたんです。カシの、自分の意識を改革しながら進んでいく姿は空に象徴されると思うし、キュッと押し込められていた明治の女性たちが抱いていたであろう「もっと自分の翼を広げたい」という心の叫びも込めました。
日本の女性や子どもたちのための物語を
―― 翻訳の仕事をしていたカシは、やがて、アメリカの女性作家バーネットの書いた『リトル・ロード・フォントルロイ』という、『小公子』の原書に出合います。
ちょうどあの頃のカシは、日本に紹介すべきよい海外作品がないかと探していた時期だと思うんですね。『小公子』には、封建的な身分制度に近い環境とそんななかで子を育てる母の強い愛があった。それがもちろんカシの胸を打ったわけですが、そこにはやはり、彼女がミッションスクールに通っていたことの影響も大きいと思います。キダーのように異国からやってきて文化の異なる子どもたちにものを教えたり、男性と対等な関係を築いたりする女性をカシは見てきた。そうした姿に刺激を受けていたからこそ、この物語を日本の女性たちに届けるべきだと考えた。また、カシにも子どもが生まれ、母親としての自分と、一人の女性としての自分の狭間で葛藤もあった。それで『リトル・ロード〜』に出合ったとき、これこそ私の求めていた作品だと感動したのではないかと思います。
―― カシはその後、「創作」にも興味を抱いていきます。カシが物語を生み出す瞬間の描写には、思わず引き込まれました。作家だからこその表現といいますか、カシが梶さんに乗り移ったかのような印象も受ける描写でした。
いえいえ、私は本当にそんな偉そうなことは言えないんですが、ただ、書いているときって何も音が入ってこないんですよ。何時間座っていても周りで何が起きているかわからないぐらいに。でも、そういうふうに創作の世界に入り込んでいるようなときは怖い。あとから見返したら夜中に書いたラブレターみたいだった、なんてこともありますしね。創作といっても何かしらの実体験はベースにするんですが、そこから、どこをどう膨らませていくかを考えるのが一番大変で、一番楽しいところなんです。その楽しさや苦しさを知ってしまうと、沼に入ってしまうのかもしれない。多分カシにも、そういう感覚はあったのではないかと思います。
―― カシの創作した『着物のなる木』も面白い物語ですね。
そうなんですよ。彼女が好きだった『若草物語』や、翻訳した『小公子』などは、わりと現実の世界の話ですよね。でも、カシが書いたものってちょっとSFっぽい。また別の一面というか、文学世界も持っていた人なんですよね。だから、もし病で倒れなければ、児童文学のファンタジーが書けただろうし、児童文学者として生きていけたのではないかと思います。本当にもったいないし、残念ですね。
いや、それにしても、たった6行のコラムとの出合いがまさかこんなふうになるなんて。単行本で400ページ近くになってしまって。でも、そういうものを書かせていただけたのはカシのおかげですし、ありがたいことだと思っています。
梶よう子
かじ・ようこ●作家。
東京都生まれ。2005年に「い草の花」で九州さが大衆文学賞大賞を受賞。08年「一朝の夢」で松本清張賞を受賞し、同作で単行本デビュー。著書に「御薬園同心 水上草介」シリーズ、『お伊勢ものがたり 親子三代道中記』『ヨイ豊』(歴史時代作家クラブ賞作品賞)『北斎まんだら』『とむらい屋颯太』『菊花の仇討ち』『本日も晴天なり 鉄砲同心つつじ暦』『噂を売る男 藤岡屋由蔵』『吾妻おもかげ』『広重ぶるう』等多数。