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ナツイチインタビュー/本文を読む

集英社文庫ナツイチ
のみのままで』綿矢りささんに聞く
「心も身体も着飾らず、裸のままで愛し合おう」

[ナツイチインタビュー]

心も身体も着飾らず、
裸のままで愛し合おう

2019年に刊行されるや否や、綿矢りささんの新境地とも言われ、話題になった『生のみ生のままで』が文庫化されました。恋愛や結婚、ジェンダーをめぐる社会の空気が変わってきたいま、このひたむきな恋愛はどんなふうに読まれるのでしょうか。綿矢さんに、執筆当時の思いや、3年経ったいまの気持ちなどをうかがっていきます。またナツイチ作品ということで、綿矢さんの夏の読書や読書感想文の思い出についてもお聞きしました。

聞き手・構成=三浦天紗子/撮影=イマキイレカオリ

これまで書いたことのなかった
女性同士の濃密な関係

―― 『生のみ生のままで』の主人公であり、語り手でもある南里逢衣あいは、高校時代には憧れの先輩だった丸山そうとつき合って二年。お盆休みにふたりで出かけた旅行先で、荘田彩夏さいかと出会います。彩夏は颯の幼なじみの中西琢磨が連れていた恋人です。その偶然が、彼女たちの運命を大きく変えることになりますね。文庫化に当たって読み直されたと思うのですが、綿矢さんご自身はどんな感想を抱きましたか。

 書いている最中は夢中でしたから、あまり意識していなかったのですが、逢衣と彩夏のふたりの関係性が、それまでの小説にはなかったものだなとあらためて思いました。恋愛をテーマにしたほかの小説と比べても、人間関係の健やかさが違う。相手への好意と真っ直ぐに向き合う恋人同士というのは、そういえば書いてこなかったなと思ったんです。

―― 確かに、綿矢さんの恋愛小説は、たとえば『勝手にふるえてろ』や『かわいそうだね?』などを見ても、心の奥底にしまってある本音の毒っ気がとても魅力的ですからね。

 恋愛のかたちも、片方の比重が重かったり、恋愛未満の関係だったり、いびつなものが多かったかもしれないです。そういう意味で、これは熱量の高い、双方が互いに夢中になっている恋愛を描いた作品かなと思いました。

―― 彼女たちの出会いは二十五歳のときです。逢衣も彩夏も、好青年に愛されていて、それまで同性に恋愛感情を持った経験もないのに、どちらも恋人を裏切ってしまう。彼女たちにとっても予想もしなかったその変化が、とても繊細でリアルに描かれていたので、胸が締めつけられました。

 颯も琢磨もステキな男性で、恋人のことをいちばんに考えるような優しさもあって。そんな人と別れてまで、逢衣と彩夏が一緒に生きていこうと思えるほどの情熱をどう書けばいいのかは挑戦でした。何より逢衣の一人称視点なので、ほかの登場人物の気持ちも、逢衣の目線を通してしか見られない。そこにけっこう苦労しました。たとえば、逢衣は初めのほうは恋愛をもう少し現実的なものとして捉えていたので、告白に戸惑ってしまったわけですが、彩夏の熱量に当てられて、価値観が変わっていきますよね。反対に、彩夏はかなりロマンチストで、好きという気持ちがいちばん尊いと思っているタイプ。外からの圧力には強いけれど、逢衣との絆が切れたと思うと、一気にダメになってしまう弱さも彼女にはあります。自分の感性を頼りに、これと決めたら引かない、ストップが利かない人間というふうに描くことで、ひと目で逢衣にのめり込んだ感じが表現できたらいいなと。それぞれが自分たちは愛し合っているのだと自信と確信を深めていく過程を、ダイナミックに書けたらいいなと思っていました。私はどちらかと言えば彩夏に近くて、逢衣のような性格の人に憧れます。彼女の視点で世界を見ていると、すごく気持ちが落ち着くというか。書いている間は、こういう人になれたらいいなと幸せな気分に浸れました。

―― この恋の結末は決めていましたか。

 いえ、私もわかっていたわけではないんです。もちろん無理やりくっつけるのも不自然ですし。ただ、お互いに強いところと弱いところを持っているから、その個性のバランスがうまく作用して成就してほしいと願いながら書いていました。

文豪による同性愛小説に憧れて、
自分でも挑戦してみたかった

―― この小説が世に出たときは、やはり女性同士の恋愛であることが大きく取り上げられていました。しかし、実際に読んだ人たちの感想には、同性愛という既存のカテゴリーにはあてはまらない、普遍的な恋愛を描いた点がすばらしいというのが多かったように思います。一方で、文筆家の水上あやさんは、この小説はむしろ同性愛、異性愛のようなカテゴライズ自体が無意味で、常識や世間体といった窮屈さから抜け出て〈生のみ〉で愛し合うことを描いた物語だと文庫解説で書かれています。綿矢さんご自身は、さまざまな評をどう受け止めましたか。

 刊行直後にもさまざまな反響があって、どれも「そう読んでくれたんだ」とうれしかったですし、水上さんの解説にもとても感動しました。思い返すと、執筆していたころの私の頭の中にあったのは、ふたりの素直な感情と、心と身体がエモーショナルにつながるさまを書きたいという気持ちです。その欲にだけ突き動かされて書き進んでいったのですが、下巻になると、結婚や親の問題、彩夏が芸能人なので事務所との問題などが浮上してきました。上巻でふたりの恋愛を書いているときの自分と下巻の自分では全然モードが違って。そんなふうに、いわば二層に分かれた物語だから多様な意見が出たのかなと思います。また、私自身は谷崎潤一郎の『まんじ』や三島由紀夫の『仮面の告白』みたいな小説が好きで、古典的な味わいを残しつつ現代を舞台にした同性愛の小説を書きたいなと模索していました。現代の社会背景を無視せずにどれだけ恋愛のセンチメンタリズムを残すかも課題でした。自分で書いたらどんなふうになるかなというのはありました。

ベッドシーンははしょらずに
書くと決めていました

―― 個人的な印象なんですが、この十年ほど、恋愛小説における官能シーンがすごく減ったと感じています。ベッドシーンに入る匂わせだけあって、実際の行為ははしょられている。そんな中で、『生のみ~』の性愛描写はとても濃厚で、しかも女性がその最中に何を感じているかを息を詰めて読むような筆致だったので、終始うっとりしていました。

 私はベッドシーンが始まった途端、次のシーンでは、突然朝になっていたりするドラマを物足りなく思うタイプなんです(笑)。なので、ベッドシーンは絶対にちゃんと書こうと思っていました。ふたりはすごく相性がよくて、まず心で惹かれ合ったわけです。とはいえ、互いに戸惑いも大きい。

―― そのあたりはどう工夫されましたか。上巻のひとつのヤマはそこで、愛し合っているけれど、身体を触れ合わせる直接的な性愛を受け入れられるのか、乗り越えられるのかという葛藤を、逢衣は強く感じていたように思います。

 そうですね。お互いの身体に触れ、性別は同じでも、性質は違うことに気づいて、そこも丸ごと愛する。素の肉体をさらけ出してどんなふうに愛情を注ぐかを見せていかないと、ふたりがどれほど愛し合っているのかは伝わらないだろうと感じたんです。あと、セックスって暗い中で夜にするものみたいなイメージがあるけれど、私は、お互いの身体を明るいところで隅々まで見つめるような世界を書いてみたかったんですね。本の中に〈どんな場所も、あなたといれば日向だ〉という言葉が出てきますが、日向と日陰も意識していたテーマで、日向で愛し合う心地よさをていねいに描こうと考えていました。

―― 逢衣の視点の中には、女性だからこういうディテールに気づけるんだろうな、こういうところまで踏み込めるんだろうなと思う描写がたくさんありました。たとえば、ふたりでVゾーンを脱毛し合ったり、吐息や眼差しで興奮していったり。あるいは、逢衣が、彩夏の肩口を蹴って残ってしまうかもしれないあざにほくそむとか、彩夏が、逢衣の腰骨の上の白斑はくはんがセクシーだと言うとか、まるでふたりだけの秘密のようです。女性同士の性の機微って、どうしても異性とのそれと全然違うのかなと。男性であれば気がつかないか、気がついても扱いかねて結局黙っている気がしたんですよね。

 特に彩夏は、そういう身体のしるしに対してすごく興味を示す人なので、ほかの恋人でも傷や痣があれば注目はすると思いますが、それをすぐに口に出して言えたというのは、逢衣と彩夏ならではの関係性があるからかもしれないですね。お互いをよくわかっているからこそ、相手の顔や身体、ファッションやメイクを見てふと思うことも、その外見に批判的になるというわけではなくて率直に言いあうし、それが健康とかに関わりそうなことだったら直すように言ったりとか。

―― 彩夏が逢衣に〈一生の傷が欲しい〉と嘆願しますね。それまでのふたりを追ってきただけに、切ない場面です。

 彩夏は結構そのときそのときを生きている。だから、いまの確かなもののあかしを求めるけれど、逢衣はそのころにはもっと長期的に、愛し続ける自信があるから拒んだ。対照的なふたりですが、いつも正直にぶつかり合っていました。

――なんと言っても本のタイトルが美しいです。上巻一七二ページの、タイトルと呼応するフレーズは忘れがたいです。〈今までは裸でいても、私は全然裸じゃなかった。常識も世間体も意識から鮮やかに取り払い、生のみ抱きしめて一糸纏わぬ姿で抱き合えば、こんなにも身体が軽いとは〉。どんなきっかけで思いついたんですか。

 先に話したように、この話を書きたいなともやもや思っていたときに、薄めないお酒、生のままのお酒を飲み干すときのけるように熱い恋愛という全体のイメージが瞬間的に浮かんだんです。「着の身着のまま」という言葉がありますね。そこに「生」という字を当てたいなと思ったのは確かで、ただもうそのあたりはあまり細かくは覚えていないです。〈天然の酩酊〉とも書いていますが、だいぶ題名に助けられて、心も身体も着飾らずに裸のままで愛し合おうというテーマを膨らませることができました。いつも最初にタイトルが浮かぶわけではなく、書いている途中で思いつくことが多いんですが、このときは初めからあって、タイトルに向かって書いていった。そういう書き方はめずらしいです。

好きな作家の本を
芋づる式に読んでいった学生時代

―― 「ナツイチ2022」の作品のひとつということもありまして、最後に夏の読書をめぐって、綿矢さんご自身の思い出をうかがってみたいと思います。夏休みの宿題で読書感想文を書くとき、どうやって本を選びましたか。

 集英社さんのナツイチを始め、各出版社さんが小冊子を作りますよね。簡単な内容紹介や本文の抜粋が載っているので、あれを本屋さんで手に入れて、参考に探したりしました。中高生のころは、ある作家さんの本が好きだと思ったら、文庫本を片っ端から読んで、さらにその人がエッセイで褒めている本や、その人の作品の中で登場した本などにも、芋づる式に手を伸ばしました。だから偏っているんですけどね。いずれにしても、まずは自分がもっとも興味を持っているものに関連する本を取っかかりにしていくのがいいのではないのかなと思います。たとえば、野球に打ち込んでいるなら野球関連の何かを読んで、徐々に野球を題材にした小説にも挑戦してみるとか。活字を読んで想像をふくらませることに慣れるのが、まず大事だと思います。

―― 読書感想文は、やはり得意なほうでしたか。

 好きでしたけど、入賞したのは、高校三年の年に『インストール』で文藝賞をいただいた後に一度だけです。いま思うと、私が書いていたのは感想文というよりレビューで、自分がどう感じたかとかは全然出てこないものでしたね。

―― 綿矢さんの『生のみ生のままで』は、ナツイチを手に取るような読者にどんなふうに読まれるんでしょうね。若い世代には刺激的な小説でもあると思うのですが。

 思い返せば、私が刺激の強いカルチャーに触れたのは、まず本からでした。小六とかからかなり過激なものを読んでいて(笑)、それで「ここまでの表現があるんやな」とどんどん本が好きになった気がします。感性が柔らかくて可塑性がある年頃に何を読むかで、すごく変わると思うんですよね。ちょっとでも興味があるのなら、年齢は気にせずに読んでほしいなと、応援したい気持ちです。

綿矢りさ

わたや・りさ●作家。
1984年京都府生まれ。早稲田大学教育学部卒業。高校在学中の2001年『インストール』で第38回文藝賞を受賞しデビュー。04年『蹴りたい背中』で第130回芥川賞を受賞。12年『かわいそうだね?』で第6回大江健三郎賞を受賞。20年『生のみ生のままで』で第26回島清恋愛文学賞を受賞。『勝手にふるえてろ』『私をくいとめて』『意識のリボン』『オーラの発表会』『あのころなにしてた?』など著書多数。

のみのままで』(上・下)

綿矢りさ 著

発売中・集英社文庫

定価 (各)616円(税込)

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