[特集インタビュー]
家族はどのように壊れていくのか。
「家族崩壊」サスペンスの集大成
表面上は何事もなくすごしている家族に漂う不穏な空気。そして、事件。誰の身に起きてもおかしくないできごとを、見事な手腕で秀逸なミステリ、サスペンスに仕上げてきた伊岡瞬さん。最新作『朽ちゆく庭』は『悪寒』『不審者』に続く「家族崩壊」をテーマにした第三弾です。いずれも本誌に連載され、連載時から話題を呼んできました。かつて高級住宅地として開発されたものの、時代とともに変わりつつある朝陽ヶ丘ニュータウン。引っ越してきた一家は夫婦と中学生の三人家族。一見、どこにでもいる平凡な家族ですが、彼らには三人それぞれが抱えた秘密がありました。誰もが陥るかも知れない落とし穴と、その先にある地獄。『朽ちゆく庭』で伊岡さんが描こうとしたものとは。
聞き手・構成=タカザワケンジ
撮影=HAL KUZUYA
「家族」は社会の縮図
―― 着想のきっかけから教えてください。
自分で勝手に「家族崩壊三部作」と呼んでいるんですが、集英社文庫に入っている『悪寒』『不審者』に続く三部作の三作目、という位置づけで考え始めました。
―― 『悪寒』は、単身赴任先に届いた妻からのメールに驚いた主人公が帰宅すると、妻が傷害致死容疑で逮捕されているという事件から始まります。『不審者』は主婦業と校閲の仕事を両立させている女性が主人公で、長年行方知れずだった義兄がやってきたことから家族と地域に波乱が起きる物語でした。
『悪寒』は夫の視点、『不審者』は妻の視点だったので、今回は家族三人全員の視点で書いています。三部作の三作目、集大成のようにしたいなというもくろみがありました。
―― 序章は中学生の息子、山岸真佐也の視点で始まります。これから新居に引っ越す、本来であれば希望に満ちた場面です。しかし、家族の間には重い空気が流れています。
この物語を練り始めたときに頭の中にあったのが、山田太一脚本の名作ドラマ『岸辺のアルバム』のワンシーンでした。最後に多摩川が氾濫して、家族崩壊を象徴するように家が崩れて流される、あのシーンです。『朽ちゆく庭』の家は物理的には壊れませんが、そこに住む家族が崩壊していく話が書きたいなと思ったんです。
―― 崩壊する家族というイメージがまずあり、その家族を構成する人物を考えていったということでしょうか。
そうですね。ほかの作品でもそうなんですが、物語よりも先にキャラクターを考えます。すると、こういう人はこういう行動しか取らないな、と何をするかがわかるんです。物語を練るのは大変ですが、登場人物の言動についてはあまり迷いません。この人ならこうするほかに選択肢はないなと思うからです。
―― 本編に入って最初の視点人物は妻であり母である裕実子です。彼女が抱えている悩みは息子の真佐也が不登校だということ。徐々に家族の問題が明らかになってきます。
家族は社会の縮図だと思うんです。職場や地域など、僕たちが属する共同体の縮図です。集団を維持するために
―― 山岸家も外面はちゃんとしているけれど、中味は空洞化している。序章から子供の真佐也はそれを見抜いているようです。
そうですね。次第に壊れていく家族を書こうと思っていたんですが、よく考えると、もう実質的には壊れているシーンを序章で書いていますね。事実上壊れていて外面だけを取り繕っている。バラバラになる寸前。だからこそ、新しい家を買うことでつなぎとめられるかもという淡い期待を持っている。山岸家はそういう家族なんです。
“じんわり”と始まる崩壊劇
―― 家族三人、それぞれが抱えている秘密が、徐々に明かされていく。それだけで読者としては十分なサスペンスを味わえます。いつどんな事件が起きるんだろう、と想像をたくましくしました。
最近の僕の小説は、最初からいきなり事件が起きて、読者の興味をぐっと引き付けようという構成が多いんですが、『朽ちゆく庭』はわりとじんわりと始まります。大きい事件がなかなか起きないので、読者の気持ちを引っ張っていけるのか、多少不安に思った部分がありました。家族がどんなふうに壊れていくのかという興味だけで、読者をどこまで引っ張れるのかな、と。
―― 読者としては“じんわり”とした怖さ、どうなるかを予想する面白さが『朽ちゆく庭』にはあると思います。さりげない描写が家族それぞれの秘密を暗示していて、文章を「読む」楽しさが味わえました。たとえば父親の陽一が自宅勤務になるんですが、リモートで済む仕事だからなのか、何かやらかしたのか、言葉をにごすんですよね。家族三人それぞれの視点で書かれているからこそ疑惑が深まっていきます。
ちょっと話がずれるかもしれませんが、読者は感情移入できる登場人物を求めるものだと思うんです。かといって、家族の中で一人、たとえば裕実子だけが正直ないい人で、彼女だけが秘密もないというのは噓くさいだろうと。
父親の陽一はあまり読者に好かれるタイプじゃないから感情移入する人物にはたぶんならないでしょうが、裕実子と真佐也には感情移入できる部分があると思います。だけど読者にちょっと揺れてもらって「えっ、この人に感情移入していていいのかな」と迷ってもらえるといいなと。
―― “揺れ”や“迷い”は『朽ちゆく庭』の大きな魅力だと思いました。山岸家の三人は、大人も子供もそれぞれ噓もつくし、秘密もある。悪い部分もあるんですよね。
いつも主人公ぐらいは本当にいい人とか、掛け値なく感情移入できるキャラクターにしてみようか、と考えるんですが、すぐに「そんな人いないよな」と思ってしまうんです。だから、僕の小説には純粋にいい人はあまり出てこない。完全な極悪人も少ないですが、みんな影があったり、どこかで悪いことしていたりという人たちなんですよね。
―― よく犯罪者の身近にいた人が「いい人だった」って証言しますけど、人間は多面的ですよね。そしてその多面性が明らかになっていく過程にドラマがあるのが『朽ちゆく庭』だと思いました。そして、三人の中でもっとも未熟で、何をしでかすかわからない怖さがあるのが中学生の真佐也ですよね。
昔から子供の描き方はあまり噓くさくないなという自信があるんです。大人が書いた子供じゃなくて、子供から見た子供を現実から引っ張り出して書こうと思っています。大人の目から見るとどうしても都合のいい子供になってしまうので。僕の中に、子供ってそんな期待どおりに動かないよね、という考えがあるんです。
力を入れたオリジナルゲーム「コルタワ」
―― 真佐也がやっている「コルタワ」というゲームが出てきます。ちょっとやってみたいなと思ったんですが、あのゲームは伊岡さんのオリジナルですよね。
ゲームについては力を入れたんですよ。ゲームの世界観もみっちりとつくって。連載時の担当編集者がゲーム好きだったこともあって、相談しながら。実は単行本では連載時の四分の一ぐらいに削ったんです。
といっても、僕自身はゲームはほとんど経験がなくて、まったく知らずに書くわけにもいかないなと任天堂スイッチ(Nintendo Switch)を買ってほんの少しやったくらいなんです。ですからほとんど想像だけで書きました。
―― 「コルタワ」は一棟の廃墟ビルが舞台で、クリアすると一階ずつ、階を上がって行くんですよね。
ネットでゲームの広告を見ていると、世界観が壮大ですよね。広大な大地を進んで竜を退治したりとか。「コルタワ」はその反対に、一つのタワーの中だけで完結することを売りにしたらどうか、と。
―― しかも、マルチエンディングで、ゲームのプロセスが重視されているというのが人生のメタファーにもなっている。真佐也と、不登校仲間でもある純二の関係を描くうえで有効ですよね。
マルチエンディングという言葉は知らなくて、途中の選択や行動によってラストが変わるという展開は自分で考えたんですよ。じつは知人にゲーム好きがいて、「こういうゲームを考えているんだけど」と話したら、そういうのをマルチエンディングと言うんですよと教えてもらったんです。
それってすごくないですか。ゲームをまったく知らないのに思いつくなんて。今回はそこが一番すごかったんじゃないかと自画自賛してます(笑)。
―― (笑)。そのゲームで遊んでいた真佐也と純二の前に、あかりという少女が現れます。彼女はニュータウンの外から来た部外者でもあり、物語が動き出すきっかけにもなります。
ニュータウンという場所自体が、外面の典型のような場所ですよね。噓くさいというか、
ニュータウンという人工的につくられた町には、どこか噓くささがあって、みんなでそれを隠して生きているように思うんです。そういう雰囲気を出せたらいいなと思いました。で、その欺瞞を暴くのは、外部からやってきた人間になるわけです。
一〇〇%の紳士はいない
リアルで予想を裏切る人間を書く
―― 山岸家以外の登場人物にも印象的な人がいますね。たとえば、裕実子が勤める税理士事務所の同僚で、真佐也の同級生の母でもある桃子。
強烈ですよね(笑)。『朽ちゆく庭』はちょっと淡々とし過ぎているかなと思ったんですけど、改めて考えると、けっこうインパクトのあるキャラクターが出てきますね。
―― そうなんですよ。起きる事件はもちろん、山岸家それぞれを掘り下げていくだけでも十分サスペンスなのに、彼らを取り巻く人たちがどう動くかわからない怖さがあります。少ししか出てこなくても、想像力が刺激されるというか。
これは僕の癖でもあり、いつものやり方なんですが、脇役――という言い方は変ですけど、脇から入ってくる人――はみっちり書き込まないほうがリアル感があるのかな、と。
この人はこういう背景があって、こういう人生を送ってきたからこういう性格になった、と説明しないほうがリアルだと思うんです。たとえば、道ですれ違った人がいきなり「このやろう!」と怒鳴ってきたとしますよね。それって、何の前触れもなく突然自分の人生に入り込んできたからびっくりするんですよ。怒鳴ってきた人の背景を説明してしまうと、そんな事情があったならしょうがない、と納得してしまう。説明しないほうがリアル感があるし、ショッキングかなと。
―― たしかに『朽ちゆく庭』には、ほとんど説明されないけれど、桃子や彼女に連なる人たちのように印象的な人物がいますね。ちょっとホラー的にすら感じるというか。反対に税理士事務所の所長の佐藤のように、当初とは意外な側面を見せる人物もいたりして、こちらも予想を裏切られました。
佐藤は紳士なんですよね。でも、どこか壊れたところがある。壊れていないと紳士でい続けられないんじゃないか。一〇〇%の紳士っていないと思うんですよ。いい人だと思っていたら実は、の裏返しで、どこか壊れているくらいの人のほうがむしろいいことをしたりすると思うんですよね。
―― 主要な登場人物たちがしっかり描かれているからこそ、周囲にいる人たちがさらっと描かれたときにくっきりと浮かび上がる。想像できるのかなと思いますね。
どなたの言葉かはわかりませんが、僕の好きな言葉に「読者の予想は裏切れ、期待は裏切るな」というのがあるんです。読者がこうだろうなと思う予想はなるべく裏切って、でも、予想とは違ったけど面白かったと思ってもらいたい。小説を書くうえで、自分がそれをできているとまでは言わないですが、いつも目指して書いています。
山岸家の三人もそれぞれ不倫や不登校といった問題を抱えているんですけど、よくあるパターンには陥らないようにしたいなと。この小説で起きる事件も、そうやって考えていきました。
―― 『朽ちゆく庭』は、『悪寒』『不審者』と合わせて「家族崩壊三部作」だと冒頭でおっしゃっていましたが、家族崩壊について書き切ったという達成感はありますか。
三部作として集大成になったという達成感はあるのですが、家族が壊れていく物語を書き切ったかと言われると、まだまだ書き足りないですね。
世の中に「普通」の家族はないと思うんです。百家族あれば百家族とも違う。平均的な家族像はあると思うんですが、平均は普通とは違いますよね。どんな家族にも外からはうかがい知れない事情があって、壊れてしまう危険性が潜んでいる。だから物語になる。まだまだ物語はいくらでも書けるんじゃないかと思っています。
伊岡瞬
いおか・しゅん●作家。
1960年東京都生まれ。2005年『いつか、虹の向こうへ』で第25回横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をW受賞しデビュー。著書に『代償』『痣』『悪寒』『不審者』『仮面』『奔流の海』など多数。