[本を読む]
物語の醍醐味に囚われろ!
なんと見事な現代の「千夜一夜物語」なのだろう。多彩にして巧妙な連作短編の展開に驚かされた。物語の魅力が完全凝縮されている。舞台は13世紀末のジェノヴァの牢獄。無実の罪である戦争捕虜として、5年前から囚われている若者を中心とした5人の囚人たちがいた。いつまで拘束されるかわからない絶望を抱え、退屈で劣悪な環境の中にいた彼らの前に現れた新入りがなんとマルコ・ポーロ。「百万」とは「ホラ吹き」のことで、汚い格好をした小男がいきなり真打ちとして登場だ。
冒頭から繰り広げられるのは、活き活きとしたマルコの語りによる「東方見聞録」の世界。大ハーン・フビライの指令によって辺境を訪ね歩き、命懸けの冒険によって財宝を持ち帰る武勇伝の数々に血湧き肉躍る。黄金の国・ジパングのエピソードなど小気味よく披露される未知なる世界の情報は、乾ききった脳内を潤し想像力を無限に広げてくれるのだ。これぞ物語の醍醐味である。
マルコからの摩訶不思議な問いかけに頭を悩ます仲間たち。ゲーム感覚で謎解きをしながら、初めはマルコの話が本当か懐疑的であった彼らの態度も次第に変わっていく。牢獄という閉ざされた空間で過ごす人々の心を解放し、自由という名の翼を与えたのは物語の魅力だった。希望があれば生きられる。虚構の中にも真実がある。世界を知り自分を知る。そして囚われた空間から抜け出すためには知恵と勇気が必要なのだ。さり気なく人生の真理を教えてくれる本書は、生き延びるための虎の巻でもある。
シリアスな話があればユーモアあふれる短篇もある。人間の理性も感情も切れ味鋭く描ききる。世界を達観したようなマルコの視線や雄弁な語り口には著者・柳広司の人柄が乗り移っているようだ。優れた物語は眼前の風景だけではない、読む者の人生を、そしてこの世の価値観をも変えてしまう力がある。『百万のマルコ』からも刺激的なパワーが感じられた。理不尽なこの時代にはこうした心に突き刺さる物語が必要なのだ。
内田剛
うちだ・たけし●ブックジャーナリスト、本屋大賞理事