[今月のエッセイ]
面白いことになっていた
世界の教育
世界の教育が、実は相当に面白いことになっているのではないか?
最初にそう予感したのは、2000年代半ばごろのこと。
当時、東京の我が家にはマレーシア人やシンガポール人、香港人など、インターネットで知り合ったアジアの友人たちがよく遊びに来ていました。マレーシア人中学生やその家族から、インターナショナル・スクール(インター)の教育がいかに面白いか、聞かされたのです。
公立学校から転校を繰り返し、今の全寮制インターに落ち着いたマレーシア人の彼女。「とにかく勉強が楽しくてたまらないのだ」と言いました。
「勉強が楽しいとはどういうことか?」と興味を持った私に、「宿題ですら楽しいのだ」というのです。
「私の学校には韓国人がたくさんいるけど、日本人はほとんどいない。あなたの子どもにもこんな教育を受けさせるべきだよ」と。
彼女はその後、国際バカロレアのディプロマ(高校卒業認定)を取得、英国の大学を卒業し、今は欧州で働いています。
「ふーん、そんなもんかなぁ、日本の公立も悪くないと思うけど、私も夫も高校までは公立だったしな……」とピンと来なかった私ですが、自分の子どもを近所の公立小学校に入れてみて、考えが変わりました。子ども自身が「学校に行きたくない」と拒否し出したのです。元気のない子どもを見て思い出したのが、冒頭のマレーシア人たちの言葉でした。
当時の私は「子どもが不登校になったらどうしよう」「子どもが学校に馴染めなかったらどうしよう」「いじめられたらどうしたらいい?」とマイナスな心配ばかりしていました。しかし、世界に目を向けると違うものが見えるのです。
私と子どもとの冒険が始まりました。最初は英国式インターへ。
3ヶ国語を小学生で学ぶことや、算数の時間に計算機を使うことなどにいちいちびっくりしていましたが、そんな私が気づいたのは、世界の教育が大きく姿を変えていることです。インターネット時代に合わせて、大きく「進化」していたのです。
そこから、10年弱、マレーシアを舞台に、世界の教育についての取材が始まりました。世の中には私のように、発展途上国の教育に注目し、冒険している人たちが他にもいました。私自身も学校案内の仕事をしたり、実際に現地の教育機関で働きながら、子どもたち、先生たち、そして親たちに取材を重ねていくうちに、ぼんやりした輪郭が見えてきました。
私の旅は、つくづく「知っている」と思っていることが、よくわかっていなかった――この繰り返しです。世界の教育はひとつではなく、「伝統的な教育」と「21世紀型の教育」が共存していて、せめぎ合っていること。公教育、英国式、米国式、国際バカロレア――学校によってもかなり細かい違いがありました。毎回、新たな取材先に赴くと、また新しい扉が開く、この繰り返しです。
そして、何よりも、学びの主体である子どもたちが、私にとっての最大の先生になっていきました。今もこの渦中にいて、「わからないこと」の終わりはありません。まだまだ、旅の途中です。
小学校高学年で、オンラインの学習サイト「カーンアカデミー」に出会った長男は「学校の勉強は効率が悪すぎる」と言い出し、中学を辞めて、プログラミング教室に所属し、理数系とプログラミングを自習するようになりました。
「お母さんオイラーって知ってる? すごいんだよ」と夢中になったかと思えば、ピタゴラス、デカルト、マンデルブロ――偉人たちの考えに次々に触れる日々。かと思えば、プログラミングで3Dゲームを作るのに夢中になり、ゲームばかりしていた時期もあります。
数年自学すると気が済んだのか、今度は「哲学を学びたい」と、国際バカロレアのディプロマ課程にいくことを選択し、ギリシャ哲学を学び、広告にどんな心理学テクニックが使われているかを分析したり、メディアの
同級生たちに大いに刺激を受け、学校で学んだシェークスピアやフィッツジェラルドに夢中です。それはかつて私が見たマレーシア人中学生のようです。
学びとはこんなにも豊かで楽しいものだったのか。いまさらですが、そんなことに気づきつつあります。
大冒険の毎日を過ごし、他の船で冒険している人々の話を書いているうちに、読者が少しずつ増えて、今では毎日noteに執筆しています。本書は、そんな私が見てきた一部を切り取ってお伝えするものです。
野本響子
のもと・きょうこ●文筆家、編集者。
埼玉県生まれ。「ASAhiパソコン」「アサヒカメラ」等で雑誌編集を手がけた後、マレーシアに移住。著書に『いいね! フェイスブック』『日本人は「やめる練習」がたりてない』『マレーシアに来て8年で子どもはどう変わったか』等。