[巻頭インタビュー]
生殖医療で選択肢が広がった今、
女性たちは――
北海道での介護職を辞し、憧れの東京で病院事務の仕事につくも、非正規雇用ゆえに困窮を極める二十九歳女性・リキ。心身ともに疲弊する生活の中で、「いい副収入になる」と同僚に卵子提供を勧められ、ためらいながらクリニックに赴くと、代理母になることを持ち掛けられた。代理母を依頼したのは、自分の遺伝子を受け継いだ子が欲しいと望む著名な元バレエダンサーとその妻。リキは迷い、恐れながらも、生きるために、未知の“ビジネス”へと踏み出していく。
桐野夏生さんの新刊は、女性の貧困と生殖医療ビジネスの倫理をめぐる長編小説です。生殖医療の発達は人間を幸せにするのか。
『OUT』から二十五年、日本の女性の「今」をとらえつづけてきた桐野さんに、お話を伺いました。
聞き手・構成=佐久間文子/撮影=野田若葉(TRON)
女の人がどう生きるかに関心を持ってきた
―― 『燕は戻ってこない』では、生殖医療が扱われています。北海道の地方都市から上京してきた主人公のリキは、貧しさから抜け出せず、子供ができない夫婦の代理母になるという選択をします。なぜ今、このテーマで書いてみようと思われたのでしょう。
私は若いころからずっと、女の人がどう生きるかということに関心を持ってきました。この五十年ぐらいで、女性の生き方は、大きく変わりましたが、子供を持つ、持たないということに関しては、年齢的な問題や婚姻制度、法律の縛りもあって、それほど女の人の自由に、思うようにならなかった部分だと思います。
それがここにきて、生殖医療技術が発達して卵子凍結なども可能になり、今はパートナーがいなくても、将来、自分の子供を持つことができるかもしれないとか、さまざまな選択肢を考えられるようになってきました。もともとそうしたことに関心があって、一度、考えてみようと思ったんです。
私の場合、小説を書くときはいつも、テーマを設定して、それについてあれこれ考えていきます。小説の中で正解を出すというのではなく、登場人物たちが、世の中の動きに翻弄されたり、何か損なわれたり、あるいは逆に救われたり。
流れゆく時代の中で、今を生きている女の人が、何を考え、何に傷つけられて、どんな可能性を持つのか。そういうことをこの小説で書いてみたいと思いました。
―― 詩的で、読む人ごとに受け取るイメージが膨らむような、とてもいいタイトルです。小説を書くときはまず、タイトルをお決めになるんですよね。
いつもそうなんですけど、今回は迷いました。タイトルは思い浮かんだものの、同じ時期に書いていたのが『砂に埋もれる犬』(朝日新聞出版)で、それと、「燕は戻ってこない」だと、ちょっとネガティブなタイトルが続くかな、と思ったんですね。
でも、戻ってくると思っていた燕が戻ってこない、というのは不穏で不吉かもしれませんが、逆に言えば何ものにもとらわれず、自由になることなのかもしれない。タイトルは、両義的、多義的なものが好ましいと思うので、これに決めました。
―― 章題は逆に即物的で、第一章が「ボイルドエッグ」。貧しいリキは、たんぱく質の補給源としてゆで卵をよく食べます。ほかにもタラコのおにぎりやイクラ、数の子、からすみも連想に出てきて、人間の卵子もそうした卵の一つだと突き付けられるようです。
現代美術家の会田誠さんに、少女の腹を押すと膣からイクラが出てくる有名な作品があります。卵子ってどんなものかうまく想像できないけど、排卵というと、そういうイメージかもしれないですね。
「代理母」には女性の負担が集約されている
―― 『燕は戻ってこない』のリキは、地元の短大を出て介護老人ホームに就職しますが、二百万円貯めて六年前に上京します。東京に来たものの思うような仕事につけず、派遣で病院の事務をしていますが、給料は安く、切り詰めた生活を送っている。そんなとき同僚に誘われてエッグドナーに登録、クリニックで代理母になるよう誘われます。近作の『砂に埋もれる犬』でも格差の問題が取り上げられていますが、本作でも埋めがたい溝のように格差が描かれます。
社会の中の格差は、どんどんひどくなっている気がします。たとえばバブルの時代には、もう少し平坦になったように思えたんですが、今は本当にひどいですね。しかも何代にもわたって格差が固定されていっている気がします。
私は作家で、社会運動家ではありませんが、女の人の生き方についてずっと考えて書いてきたので、どうしても現状を書かざるを得ません。
―― 家族制度にとらわれず、社会の中でどんな風に子供を産み育てるのか、という点で、『夜の谷を行く』(文藝春秋)を思い出しました。
小説を通して女の人の人生を考えたいと常に思っているので、出産ということでは確かに『夜の谷を行く』にもつながりますね。『夜の谷を行く』は、女であることが「負」とされた判決に対して、真っ向から否定したいと思って書いたのです。もちろん、出産の部分は創作ですが、出産がひとつの局面を開く、というポジティブな発想でした。
―― 卵子提供や、法の抜け穴を探すようにして成立させている代理母ビジネスも含めて、現代的な生殖医療が取り上げられていますが、取材は難しかったですか?
卵子提供について調査している研究者にお会いしたりはしましたが、今回は主に、インターネットで情報を集めました。自分の知りたいことについて、本もほとんど出ていませんでしたし最新の情報はネットでした。
海外の状況も調べました。アメリカは非常に生殖医療が発達していて、合理主義で割り切ると、あそこまでいくんだな、とちょっと驚きました。ゲイのカップルが、自分の精子と、人から提供してもらった卵子を受精させ、代理母に産んでもらうとか、そういうことが、日常的に、とは言えないまでも、かなり行われているようです。
小説にも書きましたが、アップルやフェイスブック(メタ)などのIT大手は、福利厚生制度の一つとして、女性社員が社会的卵子凍結をすることに補助金まで出しているそうです。
―― 『燕は戻ってこない』を読んで面白かったのは、子供が持てない夫婦にも、こうすれば持てるかもしれないという選択肢は増えたけれど、増えたがゆえの悩みも描かれるところです。リキに代理母出産を依頼する、
選択肢が多いから幸せになれるわけじゃないんですよね。選択肢が増えたぶん、選んだこと、選ばなかったことについての悩みも増えるし、複雑になっていく。基のように、子供を持てないことに、ある種の不全感を持つ人って少なからずいて、子供に対する幻想をふくらませることにつながっているように思います。
―― 母親もバレリーナで、自身もバレエダンサーだった基は、自分の遺伝子を引き継ぐ子供を持つことに強くこだわります。ある種の優生思想ですが、大っぴらに言わないまでも、こうした考えを持つ人は、少なくないかもしれません。
自分の遺伝子を残したいという気持ちは意外に根強いものだと思います。一種の自己承認欲求かもしれません。基の母親の
疎外されていく妻、肉体をランク付けされる代理母
―― 代理母を引き受けるなかで、リキは自分の生き方に迷って、お金を払って男とセックスしてみたり、昔の恋人と寝てみたりもします。状況に流されているようで、意外にしぶとく、とことん自暴自棄にはなりません。
リキはドジもたくさんするし、やることが主人公らしくないかもしれませんが、強いし、賢い人間だと思います。北海道の介護老人ホームを辞めて、東京へ出てきたあといろいろ苦労しますが、自分が今置かれている状況について、彼女みたいに客観化して、自分で考えをまとめられる人は、意外と少ないのではないかと思います。リキは物語の推進役なので、そういう人物にせざるを得ない面もありますが、現実問題、リキの立場に置かれたら、状況に流されるか、逆に踏み出せないか、のどちらかかもしれません。リキの賢さは、さまざまな経験をしながら、鍛えられていきます。
―― そうした人物像は、書きながらできあがっていくんですか?
そうですね。いろんな人物を出して、お互いの凹凸がぶつかり合うなかでこねあげていく感じです。悠子の友人で、りりこという画家が出てきます。描いているのは春画だけど、彼女自身はセックスはしない、したくないと言う。強烈な個性で、悠子にも思ったことをズバズバ言います。私がりりこという人物が好きなものだから、つい、あれこれ書いてしまい、悠子の存在感が少し弱くなってしまうんじゃないかと悩んだりもしました。
―― リキが妊娠すると、出産のためにリキと基は法律上も夫婦であるというかたちにするため、悠子は書類の上でいったん離婚せざるを得ない。彼女が疎外されたと感じるのはよくわかります。
卵子も他人に提供してもらって、妊娠もその人に任せ、限られた期間とはいえ戸籍上も他人になると、悠子は完全に
草桶夫婦の身勝手に怒ったりりこが「子供って誰のものなの?」と悠子に聞きます。「子供は、子供自身のものだよ」というりりこの言葉もまた綺麗ごとで、本当はすごく利己的な考えで子供をつくっていたりする。
リキはリキで、若さや容貌を値踏みされ、肉体をランク付けされる。「産む機械」とみなされるわけですが、今の社会状況では、たとえば一千万円もらえるのなら代理出産を引き受けてもいいという、リキのような女性は出てくるかもしれません。それこそ、何重もの苦しみを担うことになるかもしれません。
若い人には、未来を切り開いていってほしい
―― 母親だけに出産・育児の負担がかかる社会状況も依然として変わりません。
資料として読んだ本の中に『無子高齢化』(前田正子著、岩波書店)というのがあったんです。「少子化」なんて甘い、これからは「無子化」社会になって、働き手もいなくなり、年金制度も崩壊、日本は
問題は無子も少子も、女性の責任のような言われ方をすることです。いまだに、子供に何かあったとき、すべて母親の責任になるじゃないですか。あれが不思議で、母親が悪いという話になっても、父親が悪いとはめったに言われない。鬼母という言葉はあるけど、鬼父とは言わない。
すべてにおいて、女の人に対する風当たりは強いですよね。あれではみんな子供を産まないだろうな、と思います。
生殖医療が発達していろんな治療法ができても、ほとんどは、法的に結婚した夫婦にしか適用されない、というのもおかしいです。これだけいろんな生き方があるとわかっているのに、実情に合っていません。
―― 実情に合っていないから、すき間を埋めるようなビジネスも生まれる。リキに代理出産を依頼する側の悠子が、「ビジネスってもっと対等なものじゃないかしら」と悩む場面が印象に残ります。
自然に出てきたフレーズですが、あれが本質かもしれないですね。やっぱり、お金に換算できないものは、あると思います。妊娠・出産することの肉体的なダメージや、からだに妊娠線が残るといった点だけでなく、子供を産んだという事実を一生、背負っていくわけですから、想像以上に負担は大きい。それでもなおやらざるを得ない経済的な事情が引き受ける側にあるなら、対等なビジネスとは言えません。そうした格差を、ビジネスをつくりだす側が利用している面はあります。
―― 生活苦に押しつぶされそうになりながらリキは難しい選択を迫られますけど、読んでいて暗い気持ちにはならず、彼女のたくましさに期待しながら読んでいました。
それはうれしいです。今の社会で子供を産むのは大変だけど、なんだかんだ言って、命を一つ生み出すわけで、暗くなれないところはあるんですよね。命あるものを生み出す喜びや、明るさも、同時に感じながら書いていました。子供は存在自体が前向き。これから先の時間しかないですし。
若い人には、大変だけれど、リキのように自分の力で未来を切り開いていってほしいという思いを持っています。女であることの悩みや苦しみはいろいろあるけど、楽しみもまたいっぱいあります。悩むということは、それだけ人間の深みを増すことでもありますしね。
桐野夏生
きりの・なつお●作家。
1951年石川県生まれ。著書に『顔に降りかかる雨』(江戸川乱歩賞)『OUT』(日本推理作家協会賞)『柔らかな頬』(直木賞)『グロテスク』(泉鏡花文学賞)『残虐記』(柴田錬三郎賞)『魂萌え! 』(婦人公論文芸賞)『東京島』(谷崎潤一郎賞)『女神記』(紫式部文学賞)『ナニカアル』(島清恋愛文学賞・読売文学賞)『バラカ』『日没』『インドラネット』『砂に埋もれる犬』等多数。2015年、紫綬褒章を受章。21年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。