[本を読む]
両方読めば、きっと心が軽くなる
介護と悔いはワンセット。六年前、遠距離介護を経て父を看取った私は、そんなふうに思っている。
青森の実家で一人暮らしをしていた父の様子がおかしい、と感じたのは八年前の夏の終わりだった。それまでは、やや耳の聴こえが悪いかな、ぐらいに思っていた父だったのだが、ある日、電話料金の未払いで実家の電話が不通になっていたことが発端となり、父の認知症が発覚。そこから、雪が根雪になる前に、なんとか父をグループホームに入所させるまでの半年弱、さらにはホームで風邪をこじらせて入院した病院で亡くなるまで。それが私が介護に携わった時間だ。
トータルで二年ほどという短い間のことなので、正直、これで介護をした、というのはおこがましい、とは我ながら思うけれど、自分のできる範囲で、できる限りのことはしたはずだ、という気持もある。
それでも、ふとした時に思ってしまうのだ。“もっとできたのでは”、“父よりも自分や他の家族を優先してしまったのでは”、“あの時の決断は間違っていたのでは”。そんな自問を今でも繰り返すなか、辿り着いた実感が、介護と悔いはワンセット、だ。
松浦晋也さんの『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』は、著者である松浦さんの、文字通りの介護奮闘記。これね、もう読んでいて胸が痛い、痛い。本書の「前書きにかえて」の一文、「働き盛りの世代は、親を心配しつつも割く時間がなく、特に根拠もないまま『
これ、本当にわかるんですよ。子どもは、いくつになっても子どもで、だから、親は大丈夫、というか、大丈夫であって欲しい。大丈夫じゃないかも、と片鱗が見えても、いや、これはたまたまで、まだ大丈夫なはず、とか、年なんだからこれくらいは当たり前、とバイアスがかかってしまうのだ。
とはいえ、認知症は病気で、多くの場合、その病態は進むことこそあれ、治ることはない。まずは、そのことを受け止めて受け入れなくてはならないのだが、これがなかなかにしんどい。そのしんどさが、本書には本音で書かれているし、いざ、受け止めて受け入れて、介護を始めたとして、やっぱりしんどいことも、包み隠さずに書かれている。
とりわけ、松浦さんは男性で、異性であるお母さまの介護は、想像以上に大変なことだった。例えば、下着の問題。替えの下着を買おうにも、サイズがわからないのだ。このくだりには、はっとなりました。
こういう細部のリアルさ、加えて松浦さん自身の論理的な思考が、本書の
介護する側の視点といえば、篠田節子さんの『介護のうしろから「がん」が来た!』は、お母さまの介護と自らの乳がんの闘病を描いたエッセイ集だ。介護だけでも大変なのに、そこに加わる闘病。想像しただけで気が重くなるテーマですが、そんなテーマを、時に笑いさえ交えて描いているのが本書だ。
篠田さんの場合は、お母さまが認知症を発症されていて、老健(介護老人保健施設)に入所されている状態だ。とはいえ、日常的なお世話(週二の面会や洗濯物等々)は篠田さんがカバーする日々。そんななかでの乳がん発症なのである。幸いにもステージは1と2の間くらいという初期だったとはいえ、がんはがん。検査→入院→手術→通院、そこからさらに切除した乳房の再建、と、自分の身体だけでも対処しなければいけないことが山盛りなのに加えて、の介護。
にもかかわらず、本書のトーンが明るいのは、篠田さんの肝っ玉の大きさにあるのだと思う。なんというか、闘病にしても、介護にしても、わちゃわちゃと慌てたり、パニクったり、ということがないのだ(もちろん、そういう部分を描かないようにした篠田さんの心づくしもあるのだろうけれど)。だから、読んでいて、こんなに重いテーマなのに、辛い気持ちにはならないのだ。
老健は入所期限があるため、その後の施設探しに奔走しつつの闘病、はきっと本当に本当に大変だったと思うけれど、この施設探しのくだりは、今の今、実際に家族のために施設を探している人にとって、ものすごくためになるはずだ。篠田さん同様に、闘病しながらも介護を続ける人にとって、本書が灯台の明かりのようになってくれるといいな、と思う。