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今日に続く「接待」の構造
戦時性暴力の問題は、長い間、表だって語られてこなかった。被害者が重い口を開きはじめたのは、敗戦から半世紀以上の年月が経過した後である。
〈私は絶対、忘れられないよ。ほかのことは忘れても、これは忘れない。だから私は……。子どもたちに言わないの〉
90代になった女性の証言である。
いったい何があったのか。
彼女はかつて、岐阜県旧黒川村から満州(現在の中国東北部)に入植した黒川開拓団(129世帯、600人余)の一員だった。『ソ連兵へ差し出された娘たち』は敗戦直後の1945年、この集団が満州から引き揚げる途中に起きた忌まわしいできごとを、被害者の側から告発した戦慄のノンフィクションだ。
敗戦で満州が崩壊した後、黒川開拓団は暴徒化した現地住民の略奪とソ連兵による手当たり次第の「女漁り」に悩んでいた。この状況をどう乗り切ればいいのか。謀議の上で団幹部らはひとつの決断に達する。〈ソ連軍に助けを求めるしかない〉〈娘を出せば、ソ連軍司令官に守ってもらえるのではないか〉
10代半ばから20歳そこそこの娘たちが集められ、事実上の命令が下される。〈身体を張って、犠牲になってほしい〉。これがおぞましい「接待」のはじまりだった。18歳以上の未婚の娘15人ほどが差し出され、18歳に満たない少女たちは事後の「洗浄」を担当させられた。
生存者の証言を軸に、「接待」の内実と被害者となった女性たちの帰国後を著者は丹念に追ってゆく。のみならず、特筆すべきは、本書がこの事件を特殊な事例とせず、今日まで続く性差別の構造の中でとらえていることだろう。
みんなの盾になったのに、帰国した女性たちに貼られたのは〈満州でけがれた女〉のレッテルだった。ある女性は「唐人お吉」と同じだといった。従軍慰安婦を連想する人もいるだろう。私が想起したのは、敗戦直後に日本政府の肝煎りで設立された占領軍の将兵相手のRAA(特殊慰安施設協会)だ。
時に爆発しそうになる怒りを抑えながら「非常時だから仕方がない」という発想に著者は全力で
斎藤美奈子
さいとう・みなこ●文芸評論家