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西上心太が読む、伊東潤『真実の航跡』
「戦争犯罪における法と正義を問う、歴史法廷ミステリー」

[本を読む]

戦争犯罪における法と正義を問う、
歴史法廷ミステリー

「船舶の拿捕だほおよび情報を得るために必要最低数の捕虜を除く、すべての捕虜を処分すること」
 太平洋戦争の末期、この文言に縛られた重巡洋艦「久慈」の艦長いぬい大佐は、撃沈したイギリス商船の捕虜六十九名を殺害してしまう。敗戦後、乾と上官の第十六戦隊司令官五十嵐いがらし中将はイギリスから戦犯として起訴された。大阪の若手弁護士鮫島と河合は弁護人に指名され、裁判が開かれる香港に渡航する。
 戦犯の裁判といえばA級戦犯が裁かれた極東国際軍事裁判(東京裁判)が有名だが、アジアの各地で連合国各国によるBC級戦犯を対象にした裁判が開かれ、何千人という軍人や軍属が裁かれたことも忘れてはならないだろう。
 鮫島は五十嵐の、河合は乾の弁護を担当する。二人は同一の法廷で裁かれるため、被告同士ではあるが、二人の利益が相反する場合もある。またそれは鮫島と河合が対立することをも意味するのだ。
 法の正義を何より信奉する鮫島は、それを唯一の武器に真相の解明にあたろうとする。だが彼が直面するのが、イギリス人の日本人に対する激しい恨みの感情であり、一つの審判で最低一人は死刑に処するというイギリス側の“不文律”である。さらに保身による証人の偽証や、公平性を欠く判事の裁量も加わるのだ。
 最大の問題が、冒頭に挙げた文言が命令書ではなく「口達覚書こうたつおぼえがき」であることだ。「口達覚書」はたとえ書面になっていても、署名も捺印もない。つまり軍令部が責任を回避するためのものに他ならない。乾はこの覚書があったことを承知しているにもかかわらず、偽証する。その結果、捕虜殺害命令の最高責任者は五十嵐であるとされてしまうのだ。
 責任回避を前提とした文書。上意下達じよういかたつが基本でありながら、忖度そんたくや空気を読むことを求められる軍隊がはらんでいる矛盾。これは現代日本の各組織にもつながる悪弊ではないか。
 自分の努力は無駄であり、死を覚悟している五十嵐の心の安寧を妨げるだけではないのか。鮫島は四面楚歌に置かれ、自分の心も幾度となく揺らぐ中、「大海原に刻まれた真実の航跡」を追い続ける。
 その果てに彼は何を見るのか。いまの時代にこそ、読まれるべき作品である。

西上心太

にしがみ・しんた●文芸評論家

『真実の航跡』

伊東 潤 著

発売中・集英社文庫

定価 880円(税込)

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