[今月のエッセイ]
貧困という宿命を背負わされて
「黒川さん、女性の貧困元年って、いつだと思いますか?」
2017年夏、大阪・梅田の喫茶店。取材で対面していた社会学者、
予想もしない問いに瞬間、虚をつかれた私は、ぽかんとした表情を浮かべたに違いない。女性の貧困はすでに可視化されていたし、私自身、大学生の息子を持つシングルマザーとして、「働けど働けど……」を実感する日々を生きていた。
私の
「全くわかりません。女性の貧困に、“元年”があったなんて思いもしませんでした。一体、それはいつなのですか?」
神原さんは、きっぱりと答えた。
「1985年です」
1985年――、男女雇用機会均等法が施行された年、そしてバブル前夜。
80年代に行われたカラクリを知った私は、静かに涙を流した。心をも
新たな視界が、くっきりと大きく開いて行く。この事実を、白日の下に暴きたい。今、この瞬間も、自分を責めている多くのシングルマザーに、あなたは悪くないと伝えたい。その思いが私に本書を書かせた、大きな動機だ。
女性が、「人」ではない社会
1985年――、それは「男性に扶養されない女性」は貧困に至るという宿命が、社会構造として構築された年だった。
中核となったのが、国民年金の「第3号被保険者制度」の創設だ。それまでは第1号(自営業者や学生)と、第2号(会社員や公務員)のみだった保険制度に、新たに第3号被保険者が作られた。それは、第2号保険者に扶養されている配偶者のためのものだった。これで多くの主婦たちは、保険料を納めなくても年金が受け取れるようになったのだ。
一方、ひとり親に対する児童扶養手当に関して国はこの年、全額と一部支給という2段階制度を導入し、母子世帯への手当大幅削減に踏み切った。一方、夫と死別した母子世帯へは手厚い遺族年金制度を創設、充実した社会保障を完備したのも、1985年だった。 こうした専業主婦優遇政策を進めた国の意図は、「自助」にある。一家の主婦である女性が、家事も育児も介護も担うことで、国は社会保障に最低限の金しか出さなくて済むという「日本型福祉社会」がこうして作られ、それを担う妻に、国はご
ここで、はっきりと見えてくることがある。自民党政権にとって、女性は「人」ではなく、「役割」なのだ。女性は子を産み、家事や育児、介護などの役割を担う存在であって、夫という大黒柱に扶養されるのが前提だから、非正規の低賃金労働でいいとされ、これが今に至る、女性の貧困の最たる原因となっているのだ。2008年の年越し派遣村で、男性の非正規労働が「発見」されるずっと前から、圧倒的多数の女性は非正規でいいとされてきたのだ。
国は1985年から40年近く、「男性に扶養されない女性」を想定することなく、政治を行ってきている。その結果、社会保障も何もない丸腰で、非正規の低賃金労働しか、選択肢のない社会を生かされているシングル女性やシングルマザーは多い。社会構造により、貧困に至る宿命を背負わされているのだ。
一方、男女雇用機会均等法で男性並みに働くことが可能となった「総合職」の女性は、多くが男性並みに働く代償として、結婚や出産を諦めざるを得ない人生を
なぜ、この国ではどんな女性でも自らの意志で働き、家庭を作り、生活に困窮することなく生きることができないのだろうか。
日本のシングルマザーは世界一働いているにもかかわらず、その貧困率は世界で最も高い。これは明らかに、政策が間違っているとしか言いようがない。コロナ禍で生活苦に
シングルマザーの問題を見つめることで、この国の
黒川祥子
くろかわ・しょうこ●ノンフィクション作家。
福島県生まれ。東京女子大卒。著書に『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(第11回開高健ノンフィクション賞)、『子宮頸がんワクチン、副反応と闘う少女とその母たち』『心の除染 原発推進派の実験都市・福島県伊達市』『8050問題 中高年ひきこもり、七つの家族の再生物語』等。