[インタビュー]
好きなことを貫いて生きる覚悟と幸せ
映画字幕翻訳者の戸田奈津子さん、85歳。
元コロンビア大学教授で、メトロポリタン美術館特別顧問も務めたニューヨーク在住の日本美術研究者、村瀬実恵子さん、97歳。
海外の文化を字幕というかたちで日本に伝えた戸田さんと、日本美術を世界に発信してきた村瀬さんは、方向は異なりますが、長年にわたって文化の懸け橋として、第一線で活躍してきました。
その二人がニューヨークで初めて出会い、戸田さんが村瀬さんに「深い感銘を受けた」ことによって生まれたのが、このたび刊行された対談集『枯れてこそ美しく』です。「おしゃれ」「キャリア」「美」「人との付き合い」から「終活」まで。好きなことを貫いてきた二人の軽やかで深いスペシャルトークには、人生を最後まで楽しく、美しく生きるヒントが詰まっています。
刊行に当たり、戸田さんに話を伺いました。
聞き手・構成=砂田明子/撮影=冨永智子
村瀬先生にお会いして
「私もこうありたい」と思った
―― 10月に公開されて大ヒットしている『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』の映画字幕を戸田さんがされていますね。
あのシリーズの字幕は、ショーン・コネリーのときはやっていないんですが、それ以降はほとんどやらせていただきました。現在のジェームズ・ボンド役のダニエル・クレイグをはじめ、来日した俳優にもほとんど会っていて、いろいろと思い出がございます。
―― そんな戸田さんが字幕を担当された映画は1500本以上ということで、言わずと知れた日本を代表する映画字幕翻訳者でいらっしゃいますが、一方、村瀬さんという素晴らしい日本美術研究者を、この本で初めて知ることができました。
私も4、5年前、知人の紹介でお会いするまで、存じ上げなかったんです。ニューヨークの街角の気軽なオイスターバーで、オイスターをたくさん食べながらお話しして、徐々に仲良くさせていただくようになったわけですが、コロンビア大学で教えていらっしゃったり、キュレーターとしても活躍されていたりといった素晴らしい経歴はもちろんのこと、専門分野の日本美術のお話だけでなく、政治や社会問題まで、話題がとても豊富。そのうえ
―― ニューヨークと東京で、Zoom対談をされたんですね。
昔だったらとてもできなかったことでしょう。そういう意味では、デジタル技術に感謝すべきですね。本当は出版の機会にニューヨークか東京か、どちらかで再会できたらよかったんですが……、それはもう少し先の楽しみですね。
―― 年齢で言いますと、村瀬さんは戸田さんのひと回り上の先輩なんですね。
あまりそういう感じはしないんですよ。お元気で、お若くて、とにかくおしゃれでいらっしゃる。あらゆる点で見本にしたい方です。
―― 本書も「おしゃれ」のテーマから始まります。村瀬さんは90歳をすぎてハイヒールを履いていらっしゃる。
すごいですよね。村瀬先生は靴がとてもお好きみたい。話していくうちにわかったんですが先生と私は共通点が多くて、私も靴が好きなんです。高いヒールはとても履けませんけど、足の形ってあまり変わらないから、好きな靴はいつまでも履いていますね。服も同じ。ちょっと高くても「いい!」と思うものを買って、30年、40年着ています。「安物買いの銭失い」って言いますが、それは正しいと思います。
―― お二人ともいいものを長く。そして戸田さんは、決断が早い!
私はあまり迷わないんです。いったん買うと決めたら、あれこれ迷わない。試着はしますよ。それでサイズが合ったらお会計をして終わり。つまり自分の好きなものがよくわかっているんですね。
底辺を見ながら、夢を追った
―― 「自分の好きなものがよくわかっている」。これは戸田さんの人生を象徴している言葉だと感じます。戦争を知っている世代のお二人が、どのように新しい分野を切り拓き、グローバルなキャリアを築かれたのか。本書に詳しく書かれていますが、学生時代に映画にのめりこんだ戸田さんは、映画字幕翻訳者の清水俊二さんに手紙を書かれたんですね。
いきなり初対面の女子大学生から字幕翻訳者になりたいと言われて、清水先生も困惑したと思います。結局、普通に就職するんですが、つまらなくて1年半で辞めて、そこからはフリーターになって翻訳関係の仕事を何でもやりました。でも、キャリアを築こうとか、第一人者になろうとか、そういう大層な意識はなかったんですよ。好きなことをやりたい、好きなことができる場所に行きたいと、ただそれだけでしたね。計画性があったわけじゃない。それは村瀬先生も同じだったと思います。
―― 村瀬さんはコロンビア大学で西洋美術を学ばれていましたが、教授に勧められて、専門を日本美術に変えられたんですね。当時、日本美術はアメリカで認知すらされていない時代でしたが、だからこそ、日本語のできる村瀬さんならいち早く専門家になれるだろうと。〈自分でプランを立てたわけではなく、転がり込んできたチャンスに乗っかった〉と話されています。
日本美術を世界に広めてやるぞ、なんて強い意志があったわけではなかったということでしたね。でも美術がお好きな気持ちが根底にあって、勉強に打ち込まれて、女性差別などを乗り越えて大学の教授になられた。その大学で教えられていたときに、偶然、美術がお好きな裕福な方(メアリー・バークさん、日本美術のコレクター)に出会われて、仲良くなられて、彼女のコレクションのためにキュレーターのような仕事もされるようになった。大学の仕事と美術館の仕事、どちらもやるのは珍しいことだそうですが、そういうキャリアって、必ずしも計画を立てて実現できることではないです。今回の本は対談本ですが、どちらかというと私はインタビュアーのようになって、まだ知られていない先生の仕事やお考え、「美」についてなど、いろいろお聞きしました。たくさんの方に先生のことを知っていただけたら嬉しいですね。
―― 戸田さんの仕事に戻りますと、字幕翻訳の仕事を始めるまでに20年かかったと。
よくも飽きもせずに、と思われる方もいるかもしれませんが、私としては、当たり前のことをしていただけなんですよ。母は心配していましたが、ほかにやりたいことがないんだから諦めずに、目の前のできることをがむしゃらにやっていたら、「あら、20年経ったんだわ」という感じ(笑)。
―― 思い入れが強かった一方で、字幕翻訳者になれないこともあるとわかっていた、と話されていたのが印象的です。
それは非常に大事なことだったと思っています。つまり私は、夢に賭けていたわけだけれど、同時に、どんな結果も受け入れる覚悟がありました。夢を追うときは、夢が叶った場合も、叶わなかった場合も、両方を考えなくてはならないと思いますね。夢ばかり見ていては不安定になりますから。
当時の日本は高度経済成長期で、飢えはしないと思ったんですよ。戦争中の、食べ物のない時代を知っていますから、今だったら飢え死にはしないだろうと。字幕翻訳者になれなかったとしても、何をしてでも食べていけると自分に言い聞かせてね。底辺を見ながら、上を目指していたんです。
「ブッククラブ」と「映画クラブ」
人付き合いの秘訣
―― お二人もよき友人だと思いますが、「人との付き合い」の大切さを語られています。友人は少ないと話す村瀬さんですが、「ブッククラブ」に参加されているとか。
それがすごいんです。メンバーには翻訳もなさる作家の朽木ゆり子さんもいらっしゃって、皆日本人だそうですが、「紫式部日記」とか本居宣長の著作とか、高尚な本を読まれる知的なブッククラブで。私はとても読めませんが、話の合う仲間と楽しく過ごす場や時間は大切だと思います。
―― 戸田さんには「映画クラブ」がありますね。
そんな大袈裟なものではないんですよ。映画好きの友達と集まって、それぞれが勧めるDVDを観ながら話したり騒いだりするだけですが、やっぱりそこでいちばん楽しい時間を過ごしていますね。家族のよさもあると思いますけど、私にはたまたま家族がいませんから、友人しかいないんです。一回り下の友人もいれば、男性の友人もいますが、この歳になっても友人たちがいてくれるのは幸せなこと。退屈もしませんし、悲観的にもなりません。
―― 戸田さんといえば映画スターたちとの交流もよく知られています。リチャード・ギアにトム・クルーズ、フランシス・フォード・コッポラ監督……。コッポラ監督の自宅に滞在したこともあると本書で話されていますが、信頼関係を築く秘訣は?
何度も会っているうちに自然と親しくなっていっただけですが、もちろん気の合う人、合わない人はいますから、家族ぐるみで付き合っている人は数えるほどです。それは相手がスターであろうと誰であろうと同じことで、映画俳優だから仲良くする、ということは、仕事を離れれば一切ありません。人間同士の付き合いですから。
スターとうまく付き合う秘訣があるとしたら、スター扱いしないこと。それをされるのを一番嫌がります。どんなにビッグでも、私はこういう人間ですと素直な気持ちと対等な目線で向き合えば、それなりに付き合ってくれます。この人は気難しいと言われているとか、予備知識をもって会うのはいけない。自分の目で判断すべきです。誰であろうと、ですね。
それにしても私は本当にラッキーでした。あの時代は英語を話せる人がほとんどいなかったから競争相手がなく、私に通訳の仕事が来たんです。
関係を築くこともできました。これは時の運ですね。
―― 「運がよかった」と村瀬さんもおっしゃっています。今と比べて女性が働くには困難が多かった時代だと思いますが、お二人とも、大変な面よりポジティブな面を見られています。
私はもともと非常に楽観的な人間ですし、自分の生きる時代は自分で選べませんから、運がよかったと思って生きていくほうが幸せですよね。そして村瀬先生も運がよかったとおっしゃっている。それはやっぱり、私たち二人は好きなことをやって生きてきたおばあちゃんだから(笑)。
運動嫌いでも健康でいるために
―― 本書の最後のテーマは「終活」です。「終活」という言葉を、村瀬さんは初めて聞いたとおっしゃっています。
アメリカではそういう言い方をしないようですが、老後のことは皆さん考えていますね。ただ、死はプライベートな問題ですから、各自が自分の考えで自由にやればいいと思っています。この本では村瀬先生とそういう話をしました。
―― 個人的な締めくくりを考える一方で、新しいことを始めようというお二人の姿勢に刺激を受けました。
それは本当に重要ですね。先生が90歳を超えてから新たに「書」を習い始めたとお聞きして、私も触発されました。私は悪筆で、習いたいと思って先生は見つけてあるんですが、まだ始められていなかったので。
―― でも村瀬さん、運動はお嫌いなんですね。とてもお元気そうなのでちょっと意外でした……。
そうですよね。でも私もまさに同じなんです。昔から本を読む、映画を観る、と、座っていることが大好きで、体を動かすのは大嫌い。仕事が忙しい時は、睡眠時間以外は机に向かっていましたし。さすがに歳なので医者に運動するようにと言われますけど、なかなかね……。それでも肩凝りくらいで不具合なく今日までこられたのは、親からもらったDNAのおかげでございます。それから、ストレスがないことね。ストレスがないからのびのび能天気に暮らせているんです。
―― ストレスフリーでいるにはどうしたらいいでしょうか?
嫌な人には会わない! 私の場合はね。かなり意識して選択しています。会って嫌な気持ちになるくらいなら、最初から会わないほうが心穏やかにいられてお互いにいいんです。人に迷惑をかけるわけでもありませんからね。
―― 字幕翻訳の仕事を続けていらっしゃる戸田さんと、今も論文を執筆されている村瀬さん。「生涯現役」のお二人を理想とする人は多いと思います。
でも仕事に限らず、家庭生活を
戸田奈津子
とだ・なつこ
1936年東京出身。津田塾大学英文科卒。映画字幕翻訳者・通訳。『地獄の黙示録』で本格的に字幕翻訳者としてデビュー。担当した映画字幕は1500作以上。洋画字幕翻訳の第一人者としての地位を確立。ハリウッドスターとの親交も厚い。