[今月のエッセイ]
EPICソニーの時代と音楽と
私の青春のこと
スージー鈴木と申します。このたび、集英社新書から『EPICソニーとその時代』を上梓することとなりました。
タイトルに、ピンと来ない方がいるかも知れません――「EPICソニーって何?」。そんな方はこうも思われるでしょう――「EPICソニーの時代って、そんな時代があったのか?」。
でも、そんな方でも、以下の音楽家のラインナップを見れば、彼(女)らに共通する、ある空気や気分に、お気付きになるはず。
佐野元春、ラッツ&スター(シャネルズ)、THE MODS、大江千里、大沢
これらすべてが、EPICソニーというレーベル発の音楽家。そして、彼(女)らが彩った80年代こそが「EPICソニーの時代」だったのです。
では、そのEPICソニーとは一体、どんなレーベルだったのか。
まず、彼らの音楽の共通点。それは「ロック」だということ。EPICソニーの母体となった「総合商社」的なCBSソニーや、「ニューミュージック」の東芝EMI、「歌謡曲」の老舗としてのコロムビアやビクターとはまったく違う「ロック」な匂いが、EPICソニーの音楽にはありました。逆に言えば、歌謡曲やアイドル、ひいては演歌の匂いなど、まったくしないレーベル。
そして、EPICソニーは「映像」でした。巨大な営業部隊を持ち得なかったことを逆手に取り、他のレーベルに先駆けて「PV」(プロモーションビデオ)を積極活用。さらには自社のPVだけを流すテレビ番組(テレビ東京『eZ(イージー)』)まで制作するという、ビジュアル面での先駆性も大きな特徴だったのです。先の音楽家のラインナップを見て、音よりも先にPVを思い浮かべた人も多いのではないでしょうか。
「映像」への取り組みの先には、見事な「タイアップ」がありました。シャネルズ《ランナウェイ》(80年)×パイオニアのラジカセ「ランナウェイ」、大沢誉志幸《そして僕は途方に暮れる》(84年)×日清食品カップヌードル、THE MODS《激しい雨が》(83年)×マクセルカセットテープ「UDI」など、EPICソニーのCMタイアップには、商品の宣伝に「使われる」というパワーバランスではなく、宣伝する商品と音楽が同じ運動量で、ガチンコでぶつかり合う、いわば「美しいタイアップ」が多かったのです。
また、EPICソニーには「(80年代の)東京」の感覚が溢れていました。日本全国に営業網・宣伝網を張り巡らし、全国津々浦々の老若男女に幅広い音楽を届ける既存大手レーベルに対し、EPICソニーは極めて東京的で都会的で、都市のティーンエイジャーだけを見据えた音作りをしている感がありました。「あれも・これも、する」ではなく「あれしか・これしか、しない」。だからこそ、1つの時代を築けたのだと考えます。
そんなEPICソニーのあり方を最も具現化した存在といえば、もちろん「佐野元春」です。まったく新しい言語感覚と、まったく新しい歌い方で、いきいきとした日本語をロックのビートに見事に乗せて、都会の「キッズ」から絶大な支持を集めた音楽家。彼の持つラディカルかつポップな感性は、そっくりそのままEPICソニーのDNAになったのです。
以上、EPICソニーとは「ロック」で「映像」で「タイアップ」で「東京」――つまりは「佐野元春」なレーベルなのでした。
本書『EPICソニーとその時代』では、まずEPICソニーが生み出したヒット曲30曲を徹底評論します。佐野元春から岡村靖幸まで1曲1曲、音楽的に、歴史的に分析していきます。続いて、EPICソニーの歴史を紐解きます。CBSソニーから分派し、「ロック・レーベル」として一時代を築きながらも、80年代末に、あるきっかけで法人格が消滅、結果、レーベル特有の音楽性も変容していったという、実に数奇な歴史を追います。さらには当時の伝説的プロデューサーの小坂洋二氏、そして佐野元春氏本人へのインタビューを敢行。EPICソニーの意味と意義について、当事者の視点から浮き彫りにします。
最後に自己紹介をすれば、私は54歳の音楽評論家で、高校・大学時代(82~90年)がEPICソニーの黄金時代にすっぽりと入ることになります。
だから「EPICソニーとは何だったのか」を追うことは「私の青春とは何だったのか」を追うことなんだ――そんな面持ちで書き進めた本なのです。よろしくお願いします。
スージー鈴木
すーじー・すずき●音楽評論家、野球評論家。
1966年大阪府生まれ。著書に『1979年の歌謡曲』『1984年の歌謡曲』『サザンオールスターズ1978-1985』『イントロの法則 80’s』『いとしのベースボール・ミュージック』『チェッカーズの音楽とその時代』『80年代音楽解体新書』『恋するラジオ』等。