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今月のエッセイ/本文を読む

集英社文庫『尼子姫十勇士』諸田玲子 刊行記念エッセイ
「出雲の神々の采配に身をゆだねて」

[今月のエッセイ]

出雲の神々の采配に身をゆだねて

 尼子あまごというコトバには哀しくも魅惑的な響きがある――と、かねてより思っていた。滅亡した一族への判官びいきにも似た思い入れや、領国が出雲いずもという神話にかかわりの深い土地であること、真田十勇士ならぬ尼子十勇士が知られていることなど、いくつかの要素があるのだけれと、だからといって、それ以上の関心は抱いていなかった。その訳は勇士の筆頭たる山中鹿介やまなかしかのすけにある。かつては講談でも大人気、戦前は教科書にも載るほど不屈の傑物で、軍からアジテーターのような持ち上げられ方をしていたのが気にくわなかった。鹿介のせいではないのにゴメンナサイ。
 そんな尼子を書いてみる気になったのは、ひとえに編集者諸氏のおかげである。なじみのなかった出雲(つまり島根県ですね)へ取材に行ってみようということになり、そのとたん、私の中で眠っていた尼子への興味がむくむくと目を覚ました。とはいえ、事前に史料を集めて読みあさるにつれて暗澹あんたんたる気分になった。あっちの城こっちの城と攻防につぐ攻防で合戦についてはやたらと詳細だけれど、肝心の十勇士については虚々実々、長い歳月にいくつもの物語が生まれているだけあって、混沌とした膨大な逸話から真実――はムリとしても小説の核になる拠り所――を選定するのがむずかしい。
 といって悩んでいてもしかたがない。エイッと思って出雲へ出かけた。ここでも編集者諸氏の頼もしい助勢がなければ、とうてい本著は生まれなかっただろう。今や朽ちかけた道標があるだけの城跡までことごとくまわり、月山富田城がつさんとだじようや出雲大社、石見銀山いわみぎんざん日御碕神社ひのみさきじんじやはいうにおよばず、大蛇のごとき斐伊川ひいかわ温泉津ゆのつ神楽かぐら舞、黄泉国よもつくにの入口との伝承がある猪目いのめ洞窟まで探し当てた。海岸沿いにぽっかりと空いたうろへ足をふみいれたときの妖しくも神々しい威圧感……黄泉国へちこんでしまいそうだった。海猫の島を見晴るかす日御碕神社と尼子の本城である月山富田城は出雲国の東西の端にあり、はるかに離れているのに、なぜか双方が呼び合っているような……。神話と伝承、歴史と自然が融合した地に身を置き、無心に自由に思いをめぐらせることができたのは幸運だった。
 私は平安時代から昭和までを舞台に八十冊ほど本を書かせてもらったが、伝奇小説は一冊もない。本書も伝奇小説を書くつもりで書いたわけではなかった。というより、今も私の中ではファンタジーとか伝奇とかジャンル分けをすることに少々抵抗がある。尼子一族の歴史をひもとき、その興亡の足跡をていねいにたどってゆけば、自ずとここへ着地すると自分では信じているからだ。尼子の領国は神々の住まう地だった。土壌にも岩石にも年輪を経た樹木にも、数多あまたの合戦の雄叫おたけびや血飛沫ちしぶき、歓喜や苦悶や怨念と共に、神々の叡智がしみこんでいる。
 それにしても、尼子の武士たちはなぜ、飽きもせずに戦うのか。城を奪われ、城主も捕らわれの身、皆がちりぢりになって財力も兵力も失った。中には新たな仕官口を見つけた者もいる。それなのに、勝ち目がほとんどないとわかっていても、〈尼子再興〉のひとことに胸を躍らせ、血を熱くたぎらせて馳せ参じる。敗け戦にもひるまない。本書では第一次の再興戦を描いているが、実際にはこのあともまだ性懲りもなく出陣している。 なにが彼らを戦にかりたてるのか。命を棄ててまで戦いに挑むのはなぜだろう。
 尼子の宿敵、毛利もうりにいったんは寝返りながらも尼子に戻った者たちもいる。毛利に比べて寛容なところはあったかもしれないが、尼子がとりたてて善政を敷いていたわけでも、城主が人徳者だったわけでもない。尼子一族の歴史をみれば、卑劣な裏切りや容赦のない制裁など目を覆うようなことばかりだ。それでも〈尼子再興〉と耳にしただけで、ある者はくわすきを放り出し、ある者は愛しい女人に別れを告げて駆けつける。
 みんな、尼子が好きなのだ。理屈ではなく。それこそが人智を超えた神々の采配かもしれない。荒ぶる魂が荒ぶる神々に呼応するように。
 本書の舞台となった時代は、先の応仁の乱で都が荒廃していた。こののち、織田信長が頭角をあらわし、豊臣秀吉や徳川家康が天下を統一してゆく。これはその狭間の、生きるものすべてが疲弊した時代に、涙ぐましくも戦に突き進む(現代もちっとも変わらないけれど)憐れな男たちと、彼らを自在に操るしたたかで逞しい女たちの物語である。
 私自身、今は出雲の神々の采配に身をゆだねて書いたような気がしている。ふしぎな力に導かれて、なにが飛び出すか最後までわからなかった。読者の皆様も、時空を超えて、愛すべき十勇士と一緒に壮絶ながらも痛快な〈尼子再興〉の旅に出かけていただければ、と願っている。

諸田玲子

もろた・れいこ●作家。
1954年静岡県生まれ。1996年「眩惑」でデビュー。2003年『其の一日』で吉川英治文学新人賞、07年『奸婦にあらず』で新田次郎文学賞、18年『今ひとたびの、和泉式部』で親鸞賞を受賞。「お鳥見女房」シリーズ、「狸穴あいあい坂」シリーズ等著書多数。

尼子姫あまごひめ十勇士』

諸田玲子 著

集英社文庫・発売中

定価 1,210円(税込)

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