[今月のエッセイ]
出雲の神々の采配に身をゆだねて
そんな尼子を書いてみる気になったのは、ひとえに編集者諸氏のおかげである。なじみのなかった出雲(つまり島根県ですね)へ取材に行ってみようということになり、そのとたん、私の中で眠っていた尼子への興味がむくむくと目を覚ました。とはいえ、事前に史料を集めて読みあさるにつれて
といって悩んでいてもしかたがない。エイッと思って出雲へ出かけた。ここでも編集者諸氏の頼もしい助勢がなければ、とうてい本著は生まれなかっただろう。今や朽ちかけた道標があるだけの城跡までことごとくまわり、
私は平安時代から昭和までを舞台に八十冊ほど本を書かせてもらったが、伝奇小説は一冊もない。本書も伝奇小説を書くつもりで書いたわけではなかった。というより、今も私の中ではファンタジーとか伝奇とかジャンル分けをすることに少々抵抗がある。尼子一族の歴史をひもとき、その興亡の足跡をていねいにたどってゆけば、自ずとここへ着地すると自分では信じているからだ。尼子の領国は神々の住まう地だった。土壌にも岩石にも年輪を経た樹木にも、
それにしても、尼子の武士たちはなぜ、飽きもせずに戦うのか。城を奪われ、城主も捕らわれの身、皆がちりぢりになって財力も兵力も失った。中には新たな仕官口を見つけた者もいる。それなのに、勝ち目がほとんどないとわかっていても、〈尼子再興〉のひとことに胸を躍らせ、血を熱く
尼子の宿敵、
みんな、尼子が好きなのだ。理屈ではなく。それこそが人智を超えた神々の采配かもしれない。荒ぶる魂が荒ぶる神々に呼応するように。
本書の舞台となった時代は、先の応仁の乱で都が荒廃していた。こののち、織田信長が頭角をあらわし、豊臣秀吉や徳川家康が天下を統一してゆく。これはその狭間の、生きるものすべてが疲弊した時代に、涙ぐましくも戦に突き進む(現代もちっとも変わらないけれど)憐れな男たちと、彼らを自在に操るしたたかで逞しい女たちの物語である。
私自身、今は出雲の神々の采配に身をゆだねて書いたような気がしている。ふしぎな力に導かれて、なにが飛び出すか最後までわからなかった。読者の皆様も、時空を超えて、愛すべき十勇士と一緒に壮絶ながらも痛快な〈尼子再興〉の旅に出かけていただければ、と願っている。
諸田玲子
もろた・れいこ●作家。
1954年静岡県生まれ。1996年「眩惑」でデビュー。2003年『其の一日』で吉川英治文学新人賞、07年『奸婦にあらず』で新田次郎文学賞、18年『今ひとたびの、和泉式部』で親鸞賞を受賞。「お鳥見女房」シリーズ、「狸穴あいあい坂」シリーズ等著書多数。