[インタビュー]
〈生と、死の狭間〉で出会ったふたりに迫る
究極の選択とは――
デビュー作『名も無き世界のエンドロール』は青春小説の名作としてロングセラーを続け、今年、映画化もされました。主人公たちが思いがけないシチュエーションに放り込まれ、人生の意味を問い、大切なもののために闘うさまが疾走感たっぷりに描かれています。かつ、構成の妙で読者を幻惑させてくれるのが、行成作品の魅力です。
最新刊『明日、世界がこのままだったら』もまた、〈狭間の世界〉に放り込まれた若い男女が、記憶をひもときながら究極の選択へとたどり着く、行成さんらしい一作になっています。作品に込めた思いを、語っていただきました。
聞き手・構成=三浦天紗子/撮影=山口真由子
キリスト教的世界観を踏まえた生と死
―― 物語は、サチこと
ありがとうございます。テーマ部分は、いままで書いてきたことをぎゅっと濃縮させたようなところがあるかもしれません。『名も無き~』のときは「一日あれば世界が変わってしまう」を踏まえて書いていたのですけれど、今回も「たった一日で人生が変わってしまう」わけです。三作目の『ヒーローの選択』でも、主人公を世界を救うか一人の命を救うかという難しい選択に直面させていますが、サチたちも同じように、考えれば考えるほど選べないものをどう選ぶかという難題にぶつかります。
―― 本作には、殺し屋や裏稼業の人とかは出てこないので(笑)、いわば白行成的な物語ですよね。サチとワタルの気持ちを想像すると胸が締めつけられました。本作では、ふたりがいる〈狭間の世界〉が主な舞台になります。最初は、彼女たちだけでなく読者もまた状況がまるでつかめず、一体何が起きたのかを確かめるようにそろそろと進んでいきます。〈美人管理人〉のサカキによれば、狭間の世界というのは〈生と、死の狭間〉のことだとか。こうした生死の
僕はプロテスタント系の幼稚園に行っていたので、いまでもそのキリスト教的世界観が根っこのほうにあるのかなと思うんですね。この話の出発点になっているのは、ダンテの『神曲』です。ダンテが地獄、煉獄、天国を旅して帰ってくる物語で、その中で天国の道案内をしてくれるのがベアトリーチェという女性なんですね。キリスト教では、煉獄は、魂を浄化して天国に連れていく前にワンテンポ置くための場所だと連想させるので、それが〈狭間〉とつながったのかなと。構想のおおもとは、デビュー前からあったんです。そのときは男女ふたりではなくて、複数の人間が狭間の世界に入ってくるというストーリーを考えていました。
―― ふたりはサカキに〈今まさに完全な死を迎えようとしているところ〉と宣告されているのですが、あまりピンと来ていないようですよね。〈狭間の世界〉では欲しいものがすぐに手に入ったり、包丁で手を切っても血も出なかったり、奇妙ではあるけれど、一方では、生きていたころとあまり変わらない日常があります。サチたちはそこでのほほんと過ごしていたので変化のない静的な場所だと思い込んでいましたが、実はいまいる世界が「本当の死」で取り囲まれているのだとのちに気づきます。それでもパニックになったりしませんよね。
悟り世代ではないですが、いまの若い子たちはわりと過酷な状況に対してもあまり抵抗したりしない気がしていて。ディスるわけではなく、そもそも彼らから、僕らや僕より上の世代が若い
―― 行成さんに見えている現代の若者像が、かなり埋め込まれているんですね。
さらに言えば、そこには僕の性格も反映されていると思うんですね。僕の小説の登場人物はみな自分の状況をすぐ受け入れてしまうし、異様に物分かりがいい(笑)。僕もびっくりしたりすることはあるんですけれど、「どうしよう、どうしよう」と混乱したり、焦ったりしたことはほとんどない。というのをはっきりと自覚したのが、東日本大震災です。東京は震度五強くらいでしたが、周りがこの世の終わりのような反応を見せている中で、僕ひとり「揺れてるなあ」とどこか傍観者の気分だったんですよね。ただそれは同時に「もしかして自分は生きようという力が弱いのかもしれない」と感じた瞬間でもありました。
―― 行成さんのどの小説にも、根底に「こんな自分でも成長できる」「自分にも世界を変える力がある」というようなポジティブなメッセージがある気がするんです。なので、生きようという力が弱いのかも、という言葉は意外でした。
ちょっと説明が難しいのですが、死というのは必ず訪れるものだから、そのときにじたばた生にしがみつくという感覚が僕自身にはあまりないということだと思います。とはいえ、いま生きているからにはその自分の人生に精一杯の価値を見出そうとも思う。その両方の感覚があって、等身大の人生でいいけれど後悔しないように生きたいというだけなので、自分の中でそこが相反する意識はあまりないんです。だから、市井の平凡な人間がヒーローになったり、意外な人とつながったりという軸と、ある日突然人生が変わってしまう軸、そのふたつがいつも重なるようなテーマになっていくのかなという気はします。
死は必ずしも犠牲ではない
―― 裕福な家庭に生まれて何不自由ないお嬢様的な育てられ方をしたサチ。反対にワタルは、父親は身体を壊して働けず、長男として家族の犠牲になるのが当たり前という境遇にいます。極端に違うバックボーンを持つふたりですが、ともに自分の人生に意味はあるのだろうかという思いを抱えています。そんなふたりが命の価値というものに向き合い、どのような選択をするのか。作者として、どう考えていったのでしょうか。
前提として、僕の中に、人間はいつか死ぬとわかっているからがんばれるという気持ちがあります。もし永遠に死にもしなければ生き返りもしない、変化がつかない環境だと、肉体ではなくて心が死んでしまうんではないかなと。なので、ふたりはいつかは狭間から抜けるだろうと考えました。次に浮かんだのが、よく「平等に命は尊い」「命を大事にしろ」などと言われるけれど、みなその意味を本当に考えているんだろうかという疑問ですね。そういう紋切り型の表現は、現状に価値を見出せず、自分の命を大事に思えない人にとってはただ苦しい。また、現実でも、「裕福な層と貧困層とでは命の価値は等価である」と、本当にそんなふうに
―― それにしても、厳しい選択ですよね。ネタバレになるので、あまり詳しくは言えませんが。
そうですね。僕自身も自分の人生は選択の連続ではあったなという気がしていますし、振り返ってみて、どちらの道が正解だったんだろうとふと考えてしまうことがあるんです。ただ、選んだ方が正解だったのか間違っていたのか、それは
―― 囚人のジレンマとはなんですか。
同一の犯罪に関わったふたりの囚人が別々の部屋で尋問されていて、ある条件の下で自白した方が得か黙秘した方が得か。思考実験ですよね。そこでは、個々にとって最適と考えられる選択が、全体において最適な選択にはならないという矛盾が起きてしまう。サチとワタルの間にも、その囚人のジレンマのような問題が生じます。しかも、このケースでは生と死の価値が普通とは違うから、よけい複雑ではあります。明確な是非がない中で、いちばん曖昧な状態で重大な決断をしなければいけないという厄介なシチュエーションを作れました。
―― そのあたりが行成さんらしくはありますが……。
Twitterとかでもよく言われますね。登場人物にもう少し優しくできないのかと(笑)。ただ、一般的に我々は死を悪いもの、イヤなものと捉えていると思いますが、この作品においては必ずしもそうではないんですよね。生身の人間としての苦しい人生があって、魂の世界に戻るなら魂の救済でもあるわけですから。人間として生きているいまの自分の見方で生死を見るだけではなく、死というものを捉え直して狭間の世界の価値観に連なる死生観をどう捉え直すか。それが書きながら考えていたことですね。
会話を書くときに意識するのはマンガのテンポ
―― 行成さんの小説は、とにかく会話のテンポがいいですよね。この作品でもそれは顕著です。その上で誰でもくすっとする品のいい笑いを誘う文体を生み出すのに、どんな工夫をしていらっしゃるんでしょうか。
僕自身はいつもマンガのフキダシのようなものをイメージして書いていて、そういうテンポは意識しているんです。でも今回は結構、会話は苦労しまして。会話にこそキャラクター性が出ると思うんですが、サチとワタルのキャラクターが本当になかなか決まらなくて、というのも、最初、性格悪くて。ふたりとも(笑)。
―― え? どちらもすごく性格いいじゃないですか!
最初の打ち合わせで、ちょっと少女マンガっぽい男女の話はどうですかというアイデアがあって、少女マンガを集中的に読んでみました。すると、オレ様的な男の子とちょっとドジな女の子がくっついていくパターンがすごく多いと感じました。それを踏襲して書いてみたんですが、担当さんから「キャラにいまいち魅力がない」とダメ出しされて。確かに最初、ワタルはイヤな感じに上から目線で、サチは卑屈すぎて鬱陶しかった……。たぶん僕の少女マンガの解釈が間違っていたんですよね。結局、四回ぐらい直しています。あと五十枚くらいで完成というところまで来たのに、頭から全部書き直したこともありました。なので、着手したのは二〇一七年の終わりぐらいなのですが、二〇一八年からプロットができて原稿にしていって、連載自体が始まったのは二〇一九年からです。その年に出せるかなと思ったけれど、そのときに『名も無き~』の映画化の話が具体化して、先に続編の『彩無き世界のノスタルジア』を書くことになり、それで本作の出版が少し遅れました。
―― 時間も労力も並以上にかけた甲斐はありましたよね。本当に面白かったです。
考えてみたら、僕の小説中のノリのいい会話って、狂言回し的な変な人間がひとりいるからできるんですよね。今回は意外とふたりとも常識人というか、おとなしいんです。それでも面白く読んでもらおうというときに、性格を
行成 薫
ゆきなり・かおる●作家。
1979年宮城県生まれ。2012年『名も無き世界のエンドロール』(「マチルダ」改題)で第25回小説すばる新人賞を受賞してデビュー。著書に『ヒーローの選択』『僕らだって扉くらい開けられる』『廃園日和』『ストロング・スタイル』『怪盗インビジブル』『本日のメニューは。』『彩無き世界のノスタルジア』等。