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720通りの読み方がある、道尾秀介『エヌ』刊行記念インタビュー
「自分だけの物語を体験してもらいたい」

[特集インタビュー]

自分だけの物語を体験してもらいたい

前代未聞の試みである。
全六章で構成されるこの小説は、どの章から読んでもかまわない。しかも各章のつながりを断ち切るために、単行本版では一章ごとに上下反転させて印刷している。
道尾さんはこの本の冒頭に添えた「本書の読み方」に、「読む人によって色が変わる物語をつくりたい」と書いている。『向日葵の咲かない夏』『カラスの親指』『スケルトン・キー』などの作品でつねに読者をあっと言わせてきた道尾さんは、近年、『いけない』で、各章の最後に図版を添えてミステリの要素の一つにするなど、小説の常識を超える挑戦をしている。
最新作の『N』は、エンターテインメントとしてさらなる高みに到達した意欲作だ。

聞き手・構成=タカザワケンジ/撮影=chihiro.

ラストシーンを決めるのは読者

―― ページを開いて仰天しました。どの章から読んでもいいということで、どこからお話をうかがうか迷うところです。

 読む人によって順番が違いますものね。でも、どこから読み始めるか迷うところから楽しんでほしいというのが『N』の狙いなんです。
 二〇一九年に『いけない』を出した頃から「体験」にこだわるようになりました。僕はリアル脱出ゲームが好きなんですけど、アメリカやカナダ、ドイツには外に出ずに家のなかでできる脱出ゲームが日本よりもたくさんあるんです。部屋の模型やカードを使うんですけど、破いても切っても折ってもいい。一回きりしか遊べないわりに三千円、四千円するからコスパはあまりよくないんですけど、体験する面白さがあるんです。小説のような受動的なエンターテインメントにないものがあって、ちょっと羨ましいなと思っていました。でも、よくよく考えたら、小説でも能動的に楽しんでもらうことができるんじゃないか。それで『いけない』から体験にこだわるようになったんです。

―― 『いけない』は文字だけで完結するミステリではなく、写真や地図といった図版を能動的に「読む」ことが真相につながる作品です。大きな話題になりましたね。

 ええ。今回の『N』の場合は、読者が次はこれを読みたいという作品を能動的に選んで、ページをめくって読んでもらおうと思いました。どの章をラストシーンにするかも読者が決める。そうすることで、読者に自分だけの物語を体験してもらいたかったんです。

―― なるほど。では、今作で舞台となっている、地図で見ると「つ」の字になった湾のある町はどのように生まれたのでしょうか。

 地理的な舞台設定はいつもそうなんですが、ストーリーが進んでいくにつれ、山が必要だ、海が必要だと、だんだん世界が広がっていくんですね。同時にディテールもできていく。  今回もまさにそう。ただ、「つ」の字の湾ということ自体に初めは意味はなかったんです。「J」だとフォントによっていろいろだったりしますし、「傘の持ち手」も、右を向くときも左を向くときもあるので、「つ」の字がいいかなと。それから、真ん中に島があったら魚の目に見えるなとか、いろんなことを考え出すんですね。

―― なるほど。それで「目玉島」という無人島が出てくるんですね。

 そうなんです。地理的なものがストーリーを引っ張ってくれるときもあったりするのがまた面白いんですよね。

―― 各章をどこから読んでもいいということは、時間の流れも錯綜しますよね。

 その辺もちょっと地理的な広がり方と似ているんです。地理的に水平方向に広がっていくなら、時間軸は前後に広がっていくということですね。ただ、二〇二五年とか未来に設定すると、その頃に世の中がどうなっているかが分からない。あまり未来のことは書けないから、現在とその前後ぐらいをこの小説の「いま」にしよう。そこから後ろのほうへ。また、ラフカディオ・ハーンにあこがれてアイルランドを旅する男性の話が出てきますから、日本とアイルランドでは九時間の時差があるな、とか。そうやって、登場人物が動くことで地理的な広がりが生まれ、生きていくことで時間も広がっていくような感じですね。

Nの数だけ人生がある

―― タイトルは「N」。単行本版では奇数章が上下反転して印刷されていて、「N」は逆さまにしても「N」。ぴったりなタイトルだと思いますが、どのように決めたのでしょうか。

 書き上げてから考えました。初めは同じ集英社から出した『光媒の花』、『鏡の花』に続く作品として「花」という文字を使おうと思っていたんですよ。でも、一章おきに上下反転して印刷したり、読者が自分で読む順番を選ぶということが「花」という文字とそぐわないような気がしてきたんです。ゼロから考えることにして、本のコンセプトとストーリーの大もとにあるものを端的に表せるものを考えて「N」という文字が出てきました。自然数のN。Nの数だけ人生があるという意味を込めたいなと。

―― エピグラフとして、古代ローマの詩人、ホラティウスの「なぜ笑う? 名前を変えればこの物語はあなたのことなのに」という言葉が添えられています。読者が能動的に「N」の物語に参加してほしいという思いを感じました。同時に「花」のイメージも物語の中にさりげなく織り込まれていますね。

 花は世界がつながっていることの象徴です。でも『光媒の花』『鏡の花』と『N』ではそのつながり方が違っているんですね。『光媒の花』は一つの章の脇役が次の章の主人公になり、リレー形式で円環をなすというスタイル。『鏡の花』はパラレルワールド。それぞれの章で、誰か一人が欠けている世界が描かれ、一人の死をきっかけに枝分かれしていく世界を書きました。『光媒の花』も『鏡の花』も全体として一つのつながりがあって、それは作者である僕がつくったものでした。『N』の場合は六つの物語は僕がつくりましたが、そのつながりは読者につくってもらう。ばらばらになっている六章を読者が一つにするというコンセプトなので、また違った楽しみがあると思います。

―― 『N』にも実は「花」が登場しますが、それはたしかに前二作とは違うかたちの花ですね。また、『光媒の花』『鏡の花』に引き続き、「蝶」が出てきます。これもつながりの象徴なのかなと思いましたけど。

 そうですね。『N』だけで一つの世界になっているんですが、でも、やっぱり『光媒の花』『鏡の花』の世界ともどこかでつながっていてほしかったんですね。もしかしたらこの蝶は同じ蝶かもしれない。この三冊がというだけじゃなくて、世界はみんなつながっていますよという象徴ですね。

七百二十通りの物語体験

―― どこから読んでもいい、というのは丸腰というか、順番に読んでもらうよりも仕掛けが難しいと思うんです。ネタバレ的なことをどう隠すかとか。しかも一章ごとにミステリとして成立させるのは大変だったのではないでしょうか。

 難しい部分はありましたね。たとえば、Aの章で死んでしまう人物がいる。その人がBの章で出てくるときに、将来的に死ぬ人として読者は読んでしまうので、その感情をどうするか、ストーリーをつくるときにそこを考えなきゃいけない。Aを先に読んだ場合とBを先に読んだ場合、その両方を想像しなくてはいけないところが難しかったですね。

―― 順番を変えて読み直したりもされたんですか。

 それができればいいんですけど、頭の中に物語があるのでまっさらな状態で読み直せないんですよ。頭の中でカシャン、カシャンと順序を入れ替えて書きました。

 でも実は読者が順番を決められるということで、いままでにない新しい仕掛けが生まれることもあるんですね。詳しく話すとネタバレになっちゃうんで言えないんですけど。

―― 新しい仕掛けとおっしゃいましたけれども、読むと分かるんですが、たしかにそういうものを発見されている。そのために本のつくり自体も普通の本とは違いますね。一章ごとに天地逆になるというのは前代未聞でしょう。

 紙の本の場合、いくらただし書きを入れても、普通に印刷したら大半の読者が最初から読むと思うんですよ。章と章の物理的なつながりをなくしたい。いろいろ考えて「そうか、一章ごとにひっくり返せばいいんじゃないか」と。一つの章を読んで、次のページがもし目に入ってしまっても、上下反転していれば意味はすぐに入ってこない。各章の冒頭の一ページだけ最初に巻頭に入れておいて、そこから好きな章に飛んでもらえばいいなと思いました。電子書籍の場合はリンクで飛べるから上下はそのままですけど。

―― 冒頭一ページだけというのは、読者が迷うところでしょうね。どれも謎めいていて面白そう。しかも文体にも変化があって、内容にも幅がある。

 各章の冒頭一ページで、興味が湧かない章が一つでもあったら問題なんですよね。読者に迷って選んでもらわないと仕掛けが成立しない。そこは力を入れましたね。

―― 友達とか、恋人同士でも、どこから読んだかで物語全体が違った印象になるから、本の話をするのも楽しそうです。

 そうなってもらえると嬉しいですね。六章あると何通りなんだろうと、計算してみたら、七百二十通り。そうそうかぶらないと思います(笑)。

ハーンがいた街、ダブリンへ

―― 『N』には印象的な人物が何人も登場しますが、その一人がペット探偵の江添です。江添と相棒の吉岡でペット探偵シリーズができるんじゃないか、というくらい。

 江添、いいですよね。いつか機会があったらまた書いてみたいです。江添だけじゃなくて、『N』に出てくる主人公たちは、もう一回書いてみたいというくらい愛着があります。

―― 道尾さんの小説の登場人物は現在だけではなく、過去のことも丁寧に書かれることが多く、その人物を身近に感じます。『N』ではとくに読む順序によってその印象が変わるんじゃないかと感じたのですが。

 同じ人物がある章では名前がないままで、別の章では名前があったりする。過去から読むか、現在から読むかで捉え方も変わる。その章を何番目に読んだかで想像するイメージが違うんじゃないかと思います。そこも楽しんでほしいですね。

―― 題材としてラフカディオ・ハーン、そしてハーンゆかりのアイルランドの街、ダブリンが登場するのも意外でした。

 ハーンはもともと大好きなんですけど、小説にモチーフとして、ハーンの怪談とか、ラフカディオ・ハーンその人を入れるのって難しいんですね。若い人はラフカディオ・ハーンとか小泉八雲って聞いても知らないから。そうすると、ハーンについて説明してくれる、そこそこ頭のいい、ものを知っている登場人物が必要。でも、あまりペダンティックになってもいけない。それで、あの英語をしゃべれない英語教師が登場したんです。

―― 新間先生ですね。ハーンの怪談のエピソードが新間先生の人生とピタリと重なって忘れられない章になりました。

 九州のハーンが暮らしていた家にも行ったことがありますし、アイルランドも行ったことがあるんです。アイルランドへは、僕がボーンズというアイリッシュ楽器を演奏するので、本物のアイリッシュの演奏を生で見たいなと思って行ったんですけど。そのときも、ハーンがここで過ごしていたんだなと街を歩いていて感慨深かったですね。
 書いていてびっくりしたのが、ダブリンを出して、「つ」の字形の湾がある町を書いて、ふっと地図を見たら、二つの町がちょうど鏡像になっていたことです。ダブリンはアルファベットの「C」のような形をした町なので、湾の位置から、規模から対称的で。まったくの偶然なんですけど、作中にもそれを取り入れて書いたところがあります。

―― そんな不思議な偶然があったんですね。この小説にもそんな奇跡的なつながりがさりげなく書かれています。仕掛けを読み解いていく面白さももちろんありますが、登場人物たちの人生の一部に触れる面白さがあります。

 小説の登場人物たちにはそれぞれの人生があって、長い人生の中でなぜここだけ文章にするのかというと、やっぱりそこにスポットを当てることがエンターテインメントとしての面白さが一番濃くなるからなんですよね。『N』は一章ごとに短篇としても読めるように書いたので、一つ一つの章が、彼らの人生の中で一番面白いと思えるところ、一番興味深いところ、一番濃い部分にスポットライトを当てています。  でも、六章が目の前に並んだときに、どれから読むかでまったく違うイメージになるという読書体験は僕もしたことがありません。実は僕自身も体験したいんですが、物語を覚えているからそれができない。忘れた頃に読んでみたいと思いますね。何年後になるか分からないけど(笑)。

―― 読者も一度読んで、しばらくたって忘れた頃に違う順番で読むといいかもしれませんね(笑)。読み返すたびに違う感想を持つかも。

 本屋さんで迷って買った本を、読み始めてまた迷う。迷って進んでいく楽しみを味わってほしいと思います。

道尾秀介

みちお・しゅうすけ●作家。
1975年東京都出身。2004年『背の眼』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞しデビュー。著書に『向日葵の咲かない夏』『シャドウ』(本格ミステリ大賞)『カラスの親指』(日本推理作家協会賞)『龍神の雨』(大藪春彦賞)『光媒の花』(山本周五郎賞)『月と蟹』(直木賞)『鏡の花』『いけない』『雷神』等多数。

『N』

道尾秀介 著

10月5日発売・単行本

定価 1,870円(税込)

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全六章。
読む順番で、世界が変わる。
あなた自身がつくる
七百二十通りの物語。

「魔法の鼻を持つ犬」とともに
教え子の秘密を探る理科教師。

「死んでくれない?」
鳥がしゃべった言葉の謎を解く高校生。

定年を迎えた英語教師だけが知る、
少女を殺害した真犯人。

殺した恋人の遺体を消し去ってくれた、
正体不明の侵入者。

ターミナルケアを通じて、
生まれて初めて奇跡を見た看護師。

殺人事件の真実を摑むべく、
ペット探偵を尾行する女性刑事。

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