[本を読む]
「非科学」だと
侮って済まされないこと
妊娠・出産が絡むと謎の行動に走る人が、たまにいる。サブカル一辺倒でハードなロックを愛好していたのに「胎教に良いから」とモーツァルトを聞き始めた……というエピソードならまだ理解できるが、「なかなか子供を授からない」と悩んでいる人に「ヒーラーに頼んで先祖のカルマを解除してもらうといいよ」と真剣に勧めた友人にはかなり驚いた。その相談者は
なぜ真顔で頷いてしまうのか。それは、彼女たちが切実に妊娠・出産に取り組んでいて、その熱心さ故に「非科学」に走っていると見ていてわかるからである。
筋肉は裏切らないとよくいうが、筋トレと違って努力が必ずしも結果に結びつかないのが妊娠・出産だ。それでいて我が子の命を預かるという他に類がない重責である。あらゆる角度から万全を期そうとする彼女たちの姿は確かに「非科学」かもしれないが、だからと言って切って捨てられないある種の必然性や合理性を持っているようにも思われるのだ。
こうした営みは個人的に達成できるものでは到底なく、それを支える社会システム、理論やメソッドがあるだろう。その見取り図を得たいとずっと思っていたが、これに正面から応える書籍がとうとう現れた。社会学とフェミニズムを支柱とする骨太な論理と日本社会の現在を切り取るフットワークの軽さの両方を併せ持った、まさに良書である。キラキラとしたスピリチュアルから家父長制の本丸に接近する筆致は著者のセンスと知識が爆発していて、読んでいるこちらもワクワクする。
原発事故に伴う過敏とも思える避難引っ越しや反ワクチン、そしてエビデンスがないコロナウイルス感染症対策など、同じ構図を
永田夏来
ながた・なつき●家族社会学者