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インタビュー/本文を読む

『我は、おばさん』岡田育
刊行記念インタビュー
「今の時代の視点から”おばさん”を再発見する」

[インタビュー]

これまで与えられた物を
下の世代に手渡していきたい

四十歳あたりを境に「おばさん」を名乗ることにしたという文筆家の岡田育さん。「おばさん」という言葉にはネガティブな響きが強く、周囲の反応は様々だとか。そんな岡田さんが「おばさん」について多方面から考察した新刊が刊行されます。
小説、漫画、映画のなかに登場する「おばさん」から、街で出会った「おばさん」まで。お手本となり、時に反面教師となる「おばさん」たちを探し出し、心を寄せ、学び、現代の価値観で解釈しなおしながら、岡田さんは「おばさん」という言葉を、ポジティブに再定義していきます。
巻末の特別対談で、コラムニストのジェーン・スーさんが「エッセイとかコラムだと思って読み始めたら、『え、論文!?』」と語っているように、これはかつてない「おばさん」論であり、「おばさん」が登場する作品ガイドとして楽しめるカルチャー・エッセイであり、そして、岡田さん曰く、〈「おばさん」の時代を生きる著者の所信表明〉でもある作品です。刊行を前に話を伺いました。

聞き手・構成=砂田明子/撮影=HAL KUZUYA

「呼ばれたくない」「なりたくない」、
それが「おばさん」だった

―― 「おばさん」をテーマに書くことになったきっかけから教えてください。

 初出は文芸誌『すばる』の連載なのですが、編集者が同世代の女性で、我ら中年女性はいかに生きるか、という話を書けたらいいねというところまではすんなり決まったんです。ただ、そこからが難産でした。どういう形で書くのがいいのか、いろんな案が出るなかで、たとえば「私を変えた十人のおばさん」といったベストテン形式はどうだろうと。でも、いざ十人を選ぼうとすると、おばさんが主人公の作品って少ないんです。母集団が少ないという難しさがある。また、スーパーウーマンばかりを挙げても、自分たちから遠い感じがするよね、という話もしました。たとえば子供を三人産み、姑の介護もしながら社会に貢献する仕事もバリバリしてきた、といった例を十人挙げたとしても、それが中年女性のためのエンパワーメントになるのだろうかと。いろいろと考えていくうちに、私が書きたいのは、物語や街中でこんないいおばさんを見かけたよ、といった、もっと身近な像なのだと思い至ったわけです。
 そうなると、いわゆる文芸評論のような形では書きづらいし、一方で、今まで書いてきたような、一〇〇%自分自身のことを書いていくスタイルでも難しいだろうと。新しい書き方を模索しながら探り探り書き進めていって、今回、単行本にするにあたっても、書き換えたり書き下ろしを加えたりして、やっとこさ書き上げた本でして、この本がどのジャンルに入るのか、自分でもわかっていないという感じです(笑)。

―― 冒頭で、「おばさん」という言葉の現在地について書かれています。本来は「中年女性の総称」でニュートラルな意味合いしかないのに、いつしか「蔑称」として使われるようになり、自称、他称を避けるのはもとより、他人が自称するのを嫌がる人もいると。

 男性が三十代半ばから「おじさん」を自称しても何も言われませんが、私が「おばさん」と名乗ると、男性からも女性からも反発されることがあるんですね。男性からは、お前はまだ早いよ、とか、岡田さんはまだまだ現役としてイケますよ、と言われるんですが、私の自称をあなたにジャッジされる筋合いはないと言いたい。年上の女性からの反撥も多くて、「あなたの年でおばさんと言われたら私まで老け込むからやめて」と怒られたり、自分を卑下しちゃダメよとたしなめられたり。卑下しておばさんと名乗っているつもりはないのですが、それだけネガティブなイメージの呼び名ということでしょう。辞書を引くとどこにも蔑称とは書いていないのに、難しいところですよね。

―― それだけネガティブなイメージがあるがゆえに、中年女性を指す新しい呼び名をつくるという考え方もあると思いますが、「おばさん」にこだわったのはなぜですか?

 新しい言葉をつくると、たとえ流行はやったとしても、いつかすたれてしまうと思うんです。たとえば私が二十代のときに、酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』がベストセラーになり、三十代で独身で子供がいない女性を「負け犬」と呼ぶようになりました。その前には「おやじギャル」という言葉があり、最近では「アラサー」や「アラフォー」と呼んだりと、時代とともに女子には新しい呼称が出てきて、なんとなくかろんじ続けられるということが繰り返されてきた。そうした流行りの言葉でくくられることからのがれたい気持ちがありました。
 だから、わかりやすくカテゴライズする言葉をつくることの良さもあると思うのだけれども、それらすべてを包括するのが「おばさん」だなと。未婚でも既婚でも、産んでも産まなくても、お洒落であっても美容に関心がなくても、稼いでいても無職でも「おばさん」。これ以上、大きな傘はないということで、ここに辿り着いたわけです。
「おばさん」という言葉はこれまでいろいろな使われ方をしてきましたが、この本に書いたのは、私なりの解釈であり、私がなりたいおばさんになるために必要な条件です。長い人類の歴史上、ずっといたおばさんを、今この時代の視点から再発見しようという試みでした。言ってみれば“おばさんルネッサンス”でしょうか。

「母」とは違うライフスタイルを持つ大人

―― 小説『夏物語』(川上未映子)や『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ)、映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』など、近年の話題作から『若草物語』まで。古今東西の作品から「おばさん」を蒐集しゆうしゆうし、分析し、再定義していきます。こんなにおばさんがいたのか! と驚きました。

 立ち止まって探すとこんなにいました。主要な登場人物ではないため見落としていた人もいましたし、おばさん視点で見返すことで、浮かび上がってきた人もいましたね。
 ただ、断っておきますと、この本に挙げた作品は偏っています。私が強く思い出した順に書いているだけで、全く網羅的ではないし、今すでに、あれも入れておけばよかった! と思う作品も出てきています。読者がご自分にとってのおばさんを思い出したり、人と話し合ったりするときの引き金として使っていただけたら嬉しいです。

―― よき「おばさん」の条件の一つが、若者に有形無形の贈り物を授ける年長者であること。たとえば『更級さらしな日記』の著者・菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめは、名もなきおばさんに『源氏物語』を授けられて人生が変わります。実生活に必要なものを用意する「おかあさん」に対し、「非・おかあさん」は、母親とは異なる価値観を提示します。

『更級日記』には、「ゆかしくしたまふなる物」をあげましょうというおばさんの言葉が出てきます。実用品や必需品は母親が用意するだろうから、私はあなたが欲しい(ゆかし)ものをあげましょうと。実は私は同じような体験をしているんです。小学生のときに従叔母から『ポーの一族』を譲り受け、私のバイブルのような作品になりました。このエピソードを人に話したら「菅原孝標女みたいですね!」と教えられて、気づいたんですけど。

―― 「非・おかあさん(おばさん)」だからできることがあるということですね。

 そうですね。私は子供の頃、父や母と全く違うライフスタイルを送っている大人に憧れていました。ずっと独身だとか、異様に漫画に詳しいとか、ジャズのレコードをたくさん持っているとか、親戚のなかに一人はいる、何をしているかわからないおじさんやおばさん。そういう謎の大人によって世界がちょっと広がるんです。こんな生き方もあるんだ、こんなふうに生きてもいいんだ、と知る。今、自分が甥や姪に対して、そういう大人になれているだろうかと考えますね。そういえば少し前に、親戚の子が『鬼滅の刃』を読み始めたというから、「え。私、一気読みしたよ」と言ったらすごく株が上がりました(笑)。「大人なのに!」と驚くから、「大人だからだよ! 大人だから一気に買って一気に読んだの、大人は楽しいぞ」と教えておきましたね。そんな、親とはできない雑談を気まぐれにプレゼントすることで、下の世代にいい作用を与えられるといいなと思うんです。時には悪い作用を与えることがあるかもしれないけれど、それは人間だからしようがない。

―― 姪御さんが成人したとき、アフタヌーンティーに連れて行ってあげたという知り合いを思い出しました。

 まさに、おばさんってアフタヌーンティーみたいなものだと思います。つまり三度の飯とは違う、余剰部分。重要度は低いけれど、だからこそ、ちょっと人生が豊かになったり、面白いことが起きたりする存在です。親と子の関係についてはこれまでさんざん論が書かれてきたし、おかあさんをテーマにつくられた作品は多いですよね。ただ、全員が結婚する時代は終わり、おばさんが減ることはないわけです。そして現在は核家族が標準ということになっているけれど、歴史を見れば、大家族で子供を育ててきた時代のほうがずっと長い。「非・おかあさん」である「おばさん」の価値をもっと認めることは、これは「おじさん」も含めてですが、子育てのあり方を見直していくことにもつながると思います。

アメちゃんを配るおばさんになりたい!

―― 本書には、フィクションの中だけでなく、著名人や街で出会った素敵な「おばさん」も紹介されていて、ロールモデルを見つける手引きにもなりそうです。岡田さんは、たとえば黒柳徹子さんの名前を挙げていますね。

「徹子の部屋」ってずっとありますよね。私が物心ついたときからあるんだけど、その前からあって、ありとあらゆる著名人があの部屋に招かれている。本当に特異なおばさんです。そして徹子さんが私の世代の頃、何をしていたかといえば、歌番組「ザ・ベストテン」の司会であり、しばらくしてユニセフの親善大使にもなるんです。つまり徹子さんは一日にして成らず……と考えると、背筋が伸びる。
 アメリカだと、オプラ・ウィンフリーが似たような位置づけだと思います。世代的には徹子さんより下ですが、非常に発言力のある女性司会者です。彼女が大統領選に出馬すべきとよく言われるんです。その是非はおいておいても、バイデンよりオプラだろうという声が挙がるのを見ると、彼女はアメリカの頼れるおばさんなんだろうと思いますね。
 ロールモデルは一〇〇%でなくてもいいんですよね。仕事の面ではあの人を参考にしようとか、あるいは反面教師にしようでもいい。都合よく取り入れていけばいいんじゃないかなと。同時に、日本にはきちんと評価されていないおばさんがたくさんいると思うので、そういう人をもっと探していきたいです。

―― 「おばさん」がニュートラルな言葉になるといいなと思いますが、現在は、自虐して名乗る人も少なくありません。こうした自虐についてはどう思われますか?

 自虐をやめるのは本当に難しいと思います。私にも、自虐で笑いを取りにいっていた時代がありました。女の生き方が「きれい」「かわいい」「面白い」しかないと思ったら、私は迷わず「面白い」の箱に自分を入れて、面白いとは何かを深く考えもせずに、自虐していた。他人を傷つけていないのだからいいだろうと若い頃は思っていたのですが、年を重ねて、それは緩やかな自傷行為だったことがわかります。
「きれい」「かわいい」「面白い」をジャッジするのは世間様で、自分で選んだつもりでも、結局はこの箱に入るべき人間だということを世間様に示すために、露悪的な態度をとっていたわけです。今となっては、あれは本当に自分がやりたかったことだろうかとか、見られたい姿だったんだろうかと、反省しますね。もう、何かを差し出さなければ何かを守れない、と考えるのはやめたい。そう思えるようになると、「面白い」とは、自分が面白くあること、自分が機嫌よくいられることだと気づくし、「きれい」も「かわいい」も「面白い」も、年齢問わず、全部持っておばさんになったっていいとわかるんですよね。

―― 本書には、加齢を引き受けた「おばさん」を卑下ではなく、主体的に選び取っていこうというメッセージが込められています。いいなと思うのは、その実践方法が書かれていること。まずはアメちゃんを渡すところからですね。

 私にとっての「おばさん」像は、護られる側から護る側へ、与えられる側から与える側へと、一歩階段を上がった大人です。そうなるための訓練として、アメちゃんを持ち歩くのはいいんじゃないかと。アメちゃんってつまり、ほとんどお金のかからないコミュニケーションツールです。惜しいな、と思うものを人にあげるのはなかなか難しいじゃないですか。アメちゃんだったらなんぼでもあげますよ、となる。そういう低いところから始めて、将来もし石油王になったら、大きな慈善事業ができるかもしれない(笑)。この本を書きながら、自分自身がいかに、見ず知らずのおばさんに与えられ、教えられてきたかに気づきました。下の世代に少しでもそれを返していけるおばさんになれたらと思っていますし、読んでくださる方にとってこの本が、おばさんについて考える触媒になったらとても嬉しいです。

岡田育

おかだ・いく●文筆家。
1980年東京都生まれ。出版社勤務を経て、2012年よりエッセイの執筆を始める。著書に『ハジの多い人生』、『嫁へ行くつもりじゃなかった』、『天国飯と地獄耳』、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』等。15年より米国ニューヨーク在住、グラフィックデザイナーとしても活動中。

『我は、おばさん』

岡田 育 著

6月4日発売・単行本

定価 1,760円(10%税込)

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