[本を読む]
生き生きとした手練の秀作
あいかわらず井上荒野は巧いなあと思う。大きなドラマがあるわけではないのに、節々でニヤリとし、感じ入り、幕がおろされた後も続きを読みたくなる。これといって確たるものをもって生きているわけではない人々のさすらうありようがしみじみと伝わってくるのである。
舞台は、長野県側の八ヶ岳の
三十八歳で独身の
園芸店は父親が不在の間も、母親の歌子、姉の真希、その夫の祐一、従業員
こうして家族に波瀾がおきる。設計事務所のオーナーと不倫中の遥の視点で始まり、夫に不審を抱く四十一歳の真希、嫉妬に狂う五十七歳の蓬田、秘密を抱える祐一、遥の不倫相手で自分勝手な池内、そしてイタリア女など次々と視点が移っていく。各自のとりとめない心の揺れと生活をのぞかせながら、気づき、諦め、不安といったものが少しずつ積み重ねられ、何らかの決断に繫がる。といっても大きな人生の決断ではなく、衝動に近い。ただ衝動的に見えても、もはや絶対に以前には戻らないという確信を抱かせる。
タイトルの「百合中毒」とは、ユリ科の植物に猫が中毒を起こすことで、種によっては毒性が強く、葉を三枚食べただけで入院または死亡の例もあるという。些細な好奇心が命取りになるたとえで、各自の人生と響きあうけれど、印象深いのは「結局のところ愛したり恋したりする」行為は一種の病気で、本当の愛だとか偽物の恋だとかは「それが終わってからしか言えない」という感慨だろう。そう、ここには
池上冬樹
いけがみ・ふゆき● 文芸評論家