[巻頭エッセイ]
ノンフィクションってやつは 北尾トロ
僕にとって、ノンフィクションを書く醍醐味は先が見えないことにある。テーマや取材相手を自分で決めることはできても、そこから先、どのように話が転がっていくかはやってみないとわからない。
もちろん、事前にいろいろ考えてはいるのだ。こんな話から聞き始めて、最終的にこうなればと計画も立てる。でも、それは絵に描いた餅で終わるのが常だ。僕のちっぽけな頭脳が思い描くストーリーなどたかが知れていて、現実は軽々とそれを超えて迫ってくる。予想外の展開にビックリしつつ僕はそれを書き、懲りずにつぎを予想するが、またしても思いがけない方向に話が向かう。果たして収拾がつくのか。どこまで取材すれば最終ページにたどり着けるのか。霧の中をわずかな光を手がかりに進むように書き終えた本を開き、こうなるとはなぁ、と笑ってしまうことさえある。著者なのに。
とくに雑誌で連載する場合はスリリングだ。今号の原稿を書き終えたとき、自分でも次号がどうなるかわからないのである。考えれば考えるほど不安しかない。どうしてこのテーマで行こうと決めたのかといまさら凹む。
そんなことが何度か続き、もう成り行き任せだと開き直るころ、肩の力が抜けてくる。これでこそノンフィクションだよな、と楽しくなってくるのだ。
思えばいつもそうだった。かつて東京地裁に通って裁判傍聴記を書いていたときは、法廷という人生の土俵際で被告人が見せる人間臭いやりとりを見るたびに途方に暮れていたものだ。現実に起きていることが奇想天外すぎて、「こういう事件をこのように書きたい」というプランが通用しない。といって、ありのままを書けば被告人の意味不明な主張が延々続いてしまい、読むに堪えない文章になってしまう。このリアルさをどう伝えたらいいのか悩み、締め切り前には毎回お腹の調子を崩していた。
そして学んだ。おもしろいことと大変なことは同時進行するのである。おもしろければおもしろいほど大変さも増す。だから、おもしろさが大変さを少し上回るくらいが、ノンフィクションを書くにはちょうどいいのだ。
そんな僕が今回挑むことになった相手は猟犬である。
取材するのは単独で犬と一緒に冬の山へ入ってイノシシやシカと対峙する猟師なので、話を聞くことはできる。猟場に同行して見学もさせてもらえる。僕は狩猟免許を所持し、空気銃を使った鳥撃ちをしているので、銃声を聞いて縮み上がることもない。猟犬を使う単独猟を見たことがなく、知識も乏しいが、わからないことはそのつど尋ねればいい。たったひとりでどのように猟をするのか。犬はどんな働きをするのか。猟師と猟犬の関係とはいかなるものなのか。湧き起こる素朴な疑問に答えてもらえるだろう。
しかし、犬は喋ってくれない。初対面のとき、満面の笑みで話しかけても返事はなく、まじまじと顔を見ても何を考えているかわからないのである。猟犬ってどんな感じだろうと興味本位で近づいたら完全に無視されたようなものだ。
これまで接してきたペット犬たちは、尻尾を振ったりすり寄ってきたものだった。ときには警戒心を
それでも、猟の現場に行けばなんとかなる気がしていた。取材対象の猟師は、人生のほとんどを猟犬とともに過ごし、犬がいるから猟をするんだとキッパリ言うほどの愛犬家だ。単独猟は猟師の指示のもと、犬たちが獲物を追い詰め、あるいは猟師が待ち構える場所に誘導して仕留めるスタイルだから、犬はサポート役だろう。だったら主役である猟師をしっかり追えばいいのではないかと考えていたからだ。
それが全然違うことに、初めて同行した猟で気づかされた。動物が残した足跡や山の地形などから獲物がいる可能性を感じた猟師がリードを外すと、犬はフンフンと探るように空気を嗅ぎ、迷うことなく森の中に入っていく。そして、付近にはいないと思えばすぐに猟師の元へ引き返し、つぎの猟場へ移動する。逆に獲物がいると感じればわき目も振らずに追跡を開始するが、その場合も、気配が薄くなれば自らあきらめて引き返してくる。その判断がものすごくスピーディーなのだ。
僕はすごい生き物に出会ってしまった。これまで僕が見てきた、飼い主に連れられておとなしく歩く犬とは別の生き物みたいだ。
いや、その言い方は間違いかもしれない。犬はもともと、人間が及びもつかない能力を持っているが、家の近所を散歩するくらいしか外出の機会がないペット犬には、持てる力を発揮するチャンスが少ないのだ。その点、猟犬は勇敢さや追跡力、泳ぎのうまさなど、狩猟に向いた資質を持つ犬種が長い時間をかけて改良されてきたものだけに、得意分野の能力が突出している。ペットとして飼われることのある紀州犬、ポインター、ビーグルなども、そんな特徴を持つ犬種だ。僕がこの日、目の当たりにしたのは嗅覚と聴覚の片鱗。その後、脚力や判断力、精神力など、出猟のたびに驚かされることになっていく。とにかくすべてが想像を超えていた。
出猟の回数が増えるとともに見えてきたこともある。猟師と猟犬はどちらが主役ということではなく、ひとつのチームとして獲物に向かうのだ。優れた猟犬とは、獲物を追い詰めてやっつけるのではなく、リーダーである猟師を喜ばせることが自分の喜びになる犬なのである。では、この感覚を身に着けるための訓練を猟師が行うのか。それも違う。教育係として最適なのは、一緒に飼われている年長の猟犬たちだという。ということで、主力メンバーとは言えない他の犬からも目が離せなくなってしまった。
70歳というみずからの年齢を考慮して、いまのメンバーで現役の猟師生活を締めくくるはずが、まさかの赤ちゃん犬誕生。しかも、生まれた2頭を里子に出さず自分で育てる決断をするなど、予測不能の事態にも事欠かなかった。2019年のシーズン、
しかし、そんなことにはおかまいなく、カエデ、モミジと名づけられた仔犬たちは成長し、2020年シーズンからは本格的に猟にも参加するようになった。猟犬としての資質が開花するのはこれからだろうが、その賢さと優しさを僕は保証する。日が暮れてしまった山中を、カエデとモミジに先導してもらうことでなんとか脱出できたからだ。
まさか仔犬の世話になろうとは……。連載開始時、僕の頭にこれっぽっちもなかった現実が着々と進行していった。これを嬉しい誤算と言わずして何と言おう。
そして、毎号締め切りに追われて苦しんでいたくせに、いま僕は、すっかり霧が晴れた気分でこう思っている。
「だからノンフィクションはやめられない」
北尾トロ
きたお・とろ●ノンフィクション作家。
1958年福岡県生まれ。2010年ノンフィクション専門誌『季刊レポ』を創刊、15年まで編集長を務める。13年狩猟免許を取得。猟師としても活動中。著書に「猟師になりたい!」シリーズ、『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』『欠歯生活』『夕陽に赤い町中華』『なぜ元公務員はいっぺんにおにぎり35個を万引きしたのか』、電子書籍に『僕が20年ぶりに人ん家に泊まってわかったこと』等多数。