[今月のエッセイ]
動物倫理学への招待
『はじめての動物倫理学』というタイトルを見て、読者はどう思われるだろうか? 「動物」という言葉は誰もが知っているし、「倫理学」という言葉も、はじめて見たという人は余りいないだろう。しかし、「動物倫理学」となるとどうだろうか。そもそもそんな学問分野があるのか、勝手に造語したのではないのかと
ところが海外に目を転じると、これをテーマにした数多くの書籍が出版されている。
本書はこのように、我が国ではまだ一般には
では動物倫理学という学問について、読者はどのような内容をイメージされるだろうか? おそらく犬猫のようなペットや動物園の動物について主に扱う学問分野に違いないと思われるのではないか。
確かに動物倫理学にあってもペットや動物園は研究対象となり、本書でも独立した項目を設けて解説している。しかし、動物倫理学はこのような問題のみを扱うのではない。
動物倫理学が扱うのは、倫理学的に考察する必要がある限りでの動物の問題全般であり、その中ではペットや動物園は比較的周縁的なテーマに属する。
倫理学的な考察とは、人間が何をなすべきかを問うことである。従って動物倫理学とは、人間は動物をどう扱うべきかを考察する学問ということになる。
人間がそれに関してわざわざ何をなすべきかと問うのだから、問われる対象は人間にとって大切なものであるはずである。では、その対象が動物ならばどうなのか。
動物が人間にとって大切な存在だというのは、人類最初の美術のモチーフが動物であったことからも明らかだ。そしてはるか古代でなくてもつい200年ぐらい前までは、動物は人間の生活にとって不可欠な存在だった。現在では機械に取って代わられた文明生活を支える領域が、動物利用によって成り立っていたからである。農耕における牛、移動における馬を考えてみれば分かるだろう。
現代では動物はかつてのように我々の日常生活に直結し、それなしでは便利な文明生活を送れないというまでに重要なものではなくなっている。
ところが動物は現代社会では、以前とは違った形で大きな問題になっている。それは昔と同じように、今も多数の人々が動物製品を使い続けていることに由来する。
動物製品は
動物性食品は昔からずっと消費されているが、今それが問題なのは、莫大な地球人口に見合う量を供給しなければならなくなったためである。このため現在の地球上には膨大な数の食用動物がいる。これが今、最も深刻な「動物問題」になっている。
例えば、「牛のゲップ」が地球温暖化に一役買っているという話を小耳に挟んだ向きも多いのではないか。実際牛のゲップには大量のメタンが含まれ、メタンは主要な温暖化物質の一つである。そしてメタンはゲップ以外にも牛のおならや糞からも発生するし、牛以外の動物からも生じる。こうした動物由来のメタンは、自然発生のものと並ぶメタンの主要発生源なのだ。そして動物はメタンと共に温暖化の中心原因物質である二酸化炭素の主要発生源の一つでもある。
こうして動物が深刻な環境破壊原因となってしまっているのも、余りにも数が多くいるからだ。多数の動物を製品に転ずるためには、効率よく飼育しなければならない。そのため現在の食用動物は、CAFO(集中家畜飼養施設)と呼ばれる施設と方法論で、生きた「工場製品」として大量生産される。こうしたCAFOの実態についても、本書では解説している。
また、このような「工場畜産」は動物を完全に物扱いすることによって、動物に虐待ともいえる甚大な苦痛を与えてもいる。それが、現在の動物性食品産業ということになる。
言うまでもなく、動物を虐待するのはよくない。しかし我々の食生活は、動物を虐待することを前提に成立している。これをどう考えたらいいのか?
まさにこうした問題こそが、動物倫理学の中心問題なのである。そして動物倫理学とは、こうした一般的にタブー視されているような問題も目を逸らすことなく直視し、人間と動物とのあるべきあり方を提起しようとする学問である。
本書では肉食の他に、先に述べたようなペットや動物園、動物実験や野生動物の狩猟、それに最近話題となった動物性愛などの具体例を取り上げ、動物倫理学の基本をできる限り易しく解説しようと試みた。
本書でなされている議論には、
田上孝一
たがみ・こういち●哲学者。
1967年東京都生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。立正大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了。博士(文学)(立正大学)。著書に『マルクス疎外論の諸相』『マルクス疎外論の視座』『環境と動物の倫理』『マルクス哲学入門』『支配の政治理論』等。