[今月のエッセイ]
宇宙は足下にある
2017年9月13日。僕は北九州市にいた。行く先は株式会社ゼンリン、いわずと知れた地図情報会社として国内最大手である。この年の6月、ゼンリンは東京23区を含めた全国1741市区町村すべての住宅地図を完成させた。66年をかけて。まさに偉業だ。
『地図の物語を書くなら、まず地図作りを学ぶべし』
徹底的に取材をしてリアルを知る。これは創作する上でのポリシーだ。当然、出来る事、出来ない事を知ってしまえば、物語を作る上での
あの夜、話が思わぬ方向に転がったのをはっきりと覚えている。映像制作会社のプロデューサーと文芸編集部の担当者と三人、行きつけの店で珈琲焼酎を酌み交わしていた。この時、僕の頭はある作品でいっぱいだった。二十数年前に書いた未発表の長編小説。舞台は宇宙、知恵と勇気を兼ね備えた主人公とそのチームが見知らぬ惑星に向かい、地形図を作る。フロンティアスピリットに満ち溢れたイキのいい冒険譚を世に出したいと考えていた。しかし、「SFはハードルが高いです」と担当者はバッサリ切り捨て、「SFの実写化は金が掛かりますからね~」とプロデューサーも追い打ちをかけてくる。あまりの取りつく島の無さに、「なら、地下の地図を作る話はどうだ!」と声を張り上げた。条件反射である。上がダメなら下という安直な発想だ。だが、俄かに二人の表情が変わった。運命と酒とネタは時として絶妙に混ざり合い、思わぬ方向へと転がり出す。苦し紛れで放った一言が、今作、『インナーアース』誕生のきっかけとなった。
ゼンリンの会議室で待っていたのは三人。以後、長く深くお付き合いする事になるベテランのO氏とN氏、そして紅一点のKさんだ。自己紹介もそこそこに僕はこう切り出した。
「この物語は地上ではなくて、地下の地図を作る話なんです」
「……え? 地下……ですか?」
皆で集まると今でも必ずその時の事が話題になる。この人はいったい何を言っているのだろう。一瞬、頭が白く飛んだそうだ。
当たり前のように存在している地図はどのようにして作られているのか。GPSやジャイロセンサーを搭載した専用車両で街を巡り、集められた膨大なデータはコンピューターに入力され、データ化されていく。しかし、それは地図作りの一面でしかない。今でも主流は徒歩調査であり、うだるような暑い日も、凍えるような寒い日も調査スタッフが一軒一軒建物を巡り、玄関の向き、表札、看板などを確認しながら情報を収集していく。2018年は初めて実測に基づく正確なな日本地図を作った伊能忠敬の没後200年だった。地図作りはその頃となんら変わる事なく、ひたすら足が使われている。ネタとしてはこれだけでも申し分ないくらい面白い。だが、物語の軸はあくまでも地下なのだ。
取材を続ければ続けるほど、素材を集めれば集めるほど壁はどんどん高くなっていった。
そのたび、頭を捻り、足を使って情報を集めた。地質学者、古生物学者から、京都大学でプラズマを研究している幼馴染の物理学教授宅へ押しかけもした。また、地下空洞を体感する為に、カルスト台地で有名な
「我々の進む道はこっちです」
そう言うや、狭い縦穴のような場所に身体を滑り込ませていく。後を追うようにして縦穴に入った途端、日常が非日常へと切り替わった。ひんやりとした空気の中、身体を
人類初の地底行と地下空洞の地図作り。いつしか僕は主人公達と行動を共にしていたのかもしれない。
小森陽一
こもり・よういち●作家、漫画原作者。
1967年佐賀県生まれ。著書に「天神」シリーズ、『オズの世界』等、漫画作品は、原案・取材に『海猿』、原作に『トッキュー‼』『S―最後の警官―』『BORDER66』等。2008年、海洋三部作等で第一回海洋立国推進功労者表彰を受賞。